2023年7月下旬、報道各社はビッグモーターによる下請企業への数々の圧力を報じ、話題になった。記憶に新しい方も多いのではなかろうか。多くの方は、この出来事を日本の下請取引にありがちな問題であると感じたかもしれない。しかしこの問題は、学術的には「企業間下請関係における収奪問題」と呼ばれ、我が国の長期低成長を象徴すると言える問題なのである。
1991年のバブル崩壊以降、我が国は長期低成長時代に突入した。もはや誰もが知る事実である。また1998年からはより深刻な低成長であるデフレ(デフレーション)が始まり、デフレによる低成長は実質的に現在も続いている。そして我が国は、今や世界から取り残されつつある状況にある。
そのような長期低成長は、とりわけ「中小企業」の衰退と、歩みを共にするものであった。そして中小企業の衰退は、「企業間下請関係における収奪問題」の深刻化と、並行するものでもあったのだ。
「企業間下請関係における収奪問題」とは、「中小企業の生産した価値が取引上の優越性により寡占大企業に吸収されること」を意味する。その主な現れは「下請価格の買叩き」である。つまり、大企業が、中小企業を「下請企業」として様々な製品を購入する際に、その価格を、「不当に安くさせる」という行為だ。また収奪問題は、支払い遅延、不当返品などの、いわゆる「下請いじめ」「しわ寄せ」に相当する行為としても知られており、独占禁止法やその補完法である下請法では、「優越的地位の濫用」と呼ばれている。
なお、ここでいう下請関係とは、事実上の「企業間取引全般」をいう。あらゆる企業と企業の取引において、品物を納める業者は、その品物を買う業者にとっての「下請け」と見なすことができるからだ。そして、この「下請け」においては、我が国においては「買い叩き」という「収奪」が一般的に行われてしまっているのであり、かつ、その傾向が年々拡大してきているのが実態なのである。そしてそうした収奪問題は、中小企業の資本蓄積を最も鋭く阻害するものとして、古くから我が国の経済学で深刻な課題の一つと認識されてきた(黒瀬直宏『複眼的中小企業論』)。
収奪問題の深刻化は、これまでいくつもの手法で計測が試みられてきた。とりわけ近年の研究からは、収奪問題の深刻化が、「企業間取引における物価」の推移から間接的に観察できる事が解っている。以下、一緒に見ていこう。
「企業間取引における物価」とは、「企業間取引」(企業と企業の取引。通称Bto B)における、モノやサービスの価格の事をいう。またこの物価は、「モノ」の価格である「国内企業物価指数」(以下CGPI)と、「サービス」の価格である「企業向けサービス価格」(以下SPPI)の2種類に大きく分けられる。他方、経済ニュースでよく見かける「消費者物価指数」(以下CPI)は、「企業対消費者取引」(企業と消費者の取引。通称B to C)におけるモノやサービスの価格をいう。
では日本の「企業間取引における物価」の推移を見てみよう。図1をご覧いただきたい。図1は、1985年を基準(100)として、「企業間取引における物価」である「CGPI」「SPPI」と、企業対消費者取引における物価である「CPI」の3種類の物価の年次推移を示したものである(なお入手可能なデータの都合で、SPPIのみ1985年からとなる)。
図1を見ると、まず1980年からCGPIが急激に低下している事が解る。このデータからは、「収奪問題」、つまり消費者が支払ったお金が下請企業へ行かず親企業に留まっているという構造が、1980年から存在している事が、実証的に示されているのである。
また、収奪問題の深刻化が、デフレに先立っている事が解る。CGPIは1980年から、またSPPIは1991年から、急激な右肩下がりの低下トレンドとなっており、CPIが緩やかな長期低下トレンドに入る1998年よりも早くから、価格の低下が始まっている。CPIが一定期間低下を続ける事は「デフレ」と呼ばれるから、CGPIとSPPIが、CPIよりも早くから長期低下トレンドに入っているということは、「収奪問題の深刻化が、デフレに先立っている」という事を意味するのだ。つまり、我が国の長期低成長は、「デフレ」という深刻な形で顕在化する以前から、下請収奪問題の深刻化という形で、水面下で進行していたのである。
我が国では、企業間取引(B to B)の販売総額が、企業対消費者取引(B to C)の数倍にも及ぶとされる。その規模的影響力を鑑みると、収奪問題の深刻化が、全就労者の7割を担う中小企業の収益を圧迫し、その結果大多数の就労者の賃金が圧迫され、さらにその事を淵源として人々の消費が鈍化し、デフレの重要な原因となり、加速させた、という一連の流れが発生している可能性が十分に考えられるのである。
では、企業間取引における物価の低下が、なぜ収奪問題の深刻化を間接的に示すと言えるのであろうか。端的に言うと「中小企業が、大企業と比べて不利な条件で取引を行っているから」である。
商売の経験がある方はイメージしやすいと思うが、大企業は各々の分野において圧倒的シェアをもち、「寡占」(少数の企業が販売や生産市場を支配している)的である。そのため競争が制限的で、その寡占的な市場構造を基盤とした、市場価格と購入価格の管理が可能であるため、価格決定力が強い。一方、中小下請企業は、大きな資本が要らず参入敷居が低い分野に殺到し、同業他社との激しい競争に晒されるため、価格決定力が弱い。つまり、激しい競争に晒されている中小下請企業は、競争制限的な大企業から、「相見積り」を取られ、「価格交渉」を受け、交渉に抗うことができずに下請価格を買叩かれるのだ。
競争が激しい中小企業で営業を経験した事がある方であれば、直感的に理解できるのではなかろうか。「相見積り」を取った顧客からの「ヨソはもっと安いですよ?」という言葉は、極めて強烈で抗い難い。「じゃあヨソで買ってください!!」と言い返したくもなるのだが、ヘタに強気に返すと、多くの場合本当にヨソに行かれ、売上げがあがらなくなる。そのため、顧客の希望する価格を多かれ少なかれ受け入れざるを得なくなるのだ。これが「価格決定力が弱い」ということである。
また中小企業は、企業規模が小さいため、大企業と異なり「購買専用部署」を設けていない事が多い。そのため価格決定力のみならず購買力も弱く、買叩かれると同時に、自らは仕入れ価格を「買叩けない」。よって大企業との収益性の格差は、広まりこそすれ、縮小する事は殆どない。そして格差が拡大する事によって、大企業は、より強い購買力を持って買叩ける様になり、一方で成長を阻害される中小企業は、より買叩けない様になる。故に、企業間取引における物価が低下していくということは、様々な企業の物価が低下している中で、とりわけ中小下請企業への買叩き、即ち「収奪問題」が深刻化しているという間接的証拠であるといえるのである。
なお、各種物価推移についての補足であるが、1970年代のCPIとCGPIの高い上昇は、石油ショック、または田中角栄による大規模な財政出動と金融緩和によるとされる。また、1980年からのCGPIの急激かつ長期的な下落は、70年代の高い物価上昇の反動であると言われている。しかし、その後40年にも渡る長期的な低下・停滞トレンドを踏まえると、CGPIの下落が単なる反動によるものとは考えにくく、明確な原因は未だ解っていない。
またCGPIは2003年頃から総平均の下落が止まった。これは国際的な需要急増を背景とした原油価格の高騰と、大企業の合併による寡占化の進行に押し上げられる形で、海外発の大企業商品の物価が高騰したためとされる。さらにSPPIは、2012年頃からアベノミクスの影響によって上昇トレンドになったと考えられる。しかし、いずれの「企業間取引における物価」(CGPI・SPPI)も、低下トレンドに入る以前と比べると非常に弱い上昇トレンドであり、未だ十分な回復軌道に乗っているとは言い難い。そしてCGPIとSPPIのいずれも、2021年の時点で、ピーク時の9割程度の物価であるため、長期的に下落したままである。
収奪問題が激化した後、我が国では1991年をピークに中小事業所数が減少していき、とりわけ1999年に423万社あった小規模事業者は、2016年には305万社まで減少した。わずか17年間で、4分の1以上の小規模事業者が市場から退場した。その間、大企業の数もわずかながら減ったが、大企業の場合、合併等が多く、多くの産業でむしろ寡占が強まった。既に述べた通り、寡占化が進めば進むほど、収奪問題はより深刻化する。
また、戦後から長らく縮小傾向にあった人々の格差が、現在も続く拡大トレンドに入ったのが、収奪の深刻化が始まった1980年である。
ここで、収奪問題が発生する要因について、少しだけだが触れさせていただきたい。収奪発生の要因は、これまで多くの研究が行われてきた。とりわけ主要因として、「下請企業どうしの過当競争」要因と、「下請取引における特有の構造」要因がある。
前者の要因については、すでに述べた通りである。一方、後者については、法学と経済学による複合的分野にて研究が進められ、90年代末以降に研究が盛んになった。代表的なものとしてHold-up問題がある。長期的な下請取引において、下請企業は、特定の親企業にしか適用できない投資(「関係特殊投資」と呼ばれる)を行う場合があり、この投資が下請企業にとっての「人質」となる事で、特定の親企業からの価格交渉に抵抗できなくなるのである。
その他、収奪発生の源泉としていくつもの要因が指摘されているが、いずれの要因も、「適正な規制」が行われない限りは、下請企業にとっては、「受け入れざるを得ない買叩き」となるのである。
最後に、我が国の経済学界隈に氾濫する「経済成長の足を引っ張る中小企業を潰せ」という意見に全力で反論しようと思う。そして収奪問題を緩和する必要性を主張したい。
なぜ中小企業が大事なのか。それはひとえに、中小企業にも、大企業に劣らない程の重要な社会的・経済的役割があるから、である。
イメージを言うならば、大企業が我が国の経済の「頭脳」であり、中小企業は「身体」である。例えば、建設業では完成工事高に占める外注比率が高く、完成工事高の過半数を下請事業者が占める。下請の多くは、現場で直接作業を行う中小企業である。一方、親事業者である大企業は、計画・管理等の総合的マネジメントを担う。このような傾向性は建設業のみならず、製造業、IT等の他の巨大産業でも確認されている。頭脳と身体が相補的に重要である事は、言うまでもない。その他、中小企業は、雇用、健全な競争、イノベーション、地域経済などへ果たす役割も大きい。
そして現在の我が国は、全就労者数に対する中小企業就労者の割合が、先進国中2番目に低く、長期的成長を続けるほとんどの国よりも少ないのである。故に中小企業をこれ以上減らす必要があるとは思えない。何より、過去30年にわたり、中小企業が怒涛の勢いで減少したのに、経済はむしろ類を見ない程の長期低成長であったではないか。
かのシュンペーターは、中小企業の重要性を鑑み、資本主義の未来を悲観した。資本主義が発展すると、やがて大企業による中小企業の吸収や駆逐、即ち「収奪」が進み、競争が低下する。そして企業家たちの意欲は減衰し、官僚と既得権益が跋扈するというのである。シュンペーターの予想は、今や驚くほど的中している状況である。
故に我々は、本稿で示した様な、中小企業経営に深刻な負の影響を与える「収奪問題」という市場経済の宿痾と、徹底的に対峙し、その病を治療していく必要があるのだ。そしてそのためには、収奪問題の深刻化と並行して推進されてきた、経済の規制緩和路線に、別れを告げなければならない。
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25
長瀬仁之介(16歳・学生・京都府)
2024.07.25
北澤孝典(信州支部、50歳、農家)
2024.07.25
前田 健太郎(49歳・東京都)
2024.07.25
浅見和幸(東京都、54歳、システムエンジニア)
2024.07.25
柏﨑孝夫(東京都、38歳、自営業)
2024.07.24
北澤孝典(農業・信州支部)
2024.05.31
清水一雄(教員・東京支部)
2024.05.30