【寄稿】国債は国の借金ではない

和田実(64歳・会社員・東京都)

 

 ウィキペディアによれば、国債は国家が財政上の必要によって国家の信用によって設定する金銭上の債務であると書かれている。財務省のサイトにある「令和3年度『国の財務書類』」(一般会計・特別会計)の概要」の貸借対照表では、公債(国債)は<負債の部>に表示されている。国債は、会計理論上は紛れもなく負債であり、常識的には借金である。そのため、現在の国の財政状況は極めて悪く、国債を財源とする財政出動は借金を増やし、ますます財政状況を悪化させ、将来の子孫にその返済のツケを回すことから、不道徳な所業であると、まことしやかに語られている。しかし、実態として、国債は本当に借金なのか、以下に考察したい。ただし、論点を明確にするために、架空の極端な例を用いることを予めお断りしておきたい。また、筆者は長年、一般企業で会計実務に従事する者であり、大学教授や公認会計士のような専門家ではないので、議論に学問的厳密さを欠くこともご容赦願いたい。

 A社が、B社から1年後返済期日の約束で1千万円の借金をしたとする。その場合、A社では(借方)現預金10,000(貸方)短期借入金10,000(単位:千円)の仕訳が切られ、貸借対照表の負債に短期借入金10,000と表示される。B社が何らの理由でその債権を放棄した場合、A社では(借方)短期借入金10,000(貸方)債務免除益10,000の仕訳が切られ、他に取引がない場合、決算を経て、貸借対照表の純資産に利益剰余金10,000と表示されることになる。A社とすれば借金1千万円を返さなくてもよくなったのだから、これは丸儲けであり、財産が1千万円増えたことになる。

 次に、A社はB社から1年後返済期日の約束で1千万円の借金をするが、1年後の返済期日に新たに1年後返済期日の約束で1千万円の借金をし、これを原資として当初の1千万円の借金を返済する。これを、返済期日が到来する毎に未来永劫繰り返すことを、当初からB社と約束できたとする。この場合も、A社の仕訳は(借方)現預金10,000(貸方)短期借入金10,000となり、貸借対照表上の負債に短期借入金10,000と表示される。しかし、ここで矛盾が生じる。A社には借金1千万円があるが、この場合、返済期日は未来永劫到来しない。実態として、A社は、当初から(借方)現預金10,000(貸方)債務返済期日不到来益10,000の仕訳を切り、貸借対照表の純資産に利益剰余金10,000と表示することができるのではないか。A社とすれば、当初から借金1千万円を返す必要がないので、丸儲けであり、財産を1千万円貰ったのと同じことになる。

 通常ではあり得ない例を挙げたが、現実社会でもこれに極めて類似した事例がある。それが国債である。例えば1年国債1千万円ならば、償還期限が1年後に到来するが、償還資金1千万円は、新規国債を発行しその原資に充てている。1年国債に対して1年国債を発行する等の1対1のものではないが、償還期限の到来する国債残高に対して、新規国債発行で償還原資を生み出している。所謂、借り換え債の仕組みである。そして、国家には通貨発行権と言う強大な力があるので、国家が存在する限り、借り換え債の仕組みが頓挫することはない。財務省のサイトに「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」と記載されているとおりである。通貨発行権を背景とした借り換え債の仕組みによって、国債の償還期限は、国家が存在する限り、未来永劫到来しないのである。国債は貸借対照表上の負債に表示されているが、その実態からすれば、純資産と解釈することができる。国債は国の借金ではなく、国の財産である。

 「令和3年度『国の財務書類』」(一般会計・特別会計)の概要」の貸借対照表では公債1,114.0兆円が負債に表示され、そのため資産・負債差額が▲687.0兆円(債務超過)と計算されている。これが実態ならば、日本国家はとうの昔に破綻しているはずである。それ故、これは実態を表示しているものではない。公債1,114.0兆円を純資産に表示するならば、資産・負債差額は+426.9兆円で自己資本比率が59.0%となり、国の財務状況は優良企業のものと言えるのではないだろうか。国債は国の借金ではない、国の財産なのである。

 ただし、これには条件がある。その一つは国債発行によって、大きく貨幣価値が減じないこと、即ち、国債発行額の調節、金利政策、税制見直し等の政策実行により、過度のインフレにならないようにすることである。いくら国債を発行しても、貨幣価値が大きく減じてしまえば、投資・消費も大きく目減りする。これは説明の余地はないと思う。もう一つは、国家の供給力を維持し、拡大することである。換言すれば、民間部門と公的部門が正常な活動を継続し、国民も真面目に働き続けることである。無人島に1億円をジュラルミンケースに詰めて持って行ったところで、お金の使いようがない、即ち、無人島には供給力が存在しないので、その1億円は紙屑同然となる。また、国民が誰かからお金を貰って安心し、働くことを一斉に止めてしまえば、経済活動が停止し、供給力が消滅するので、そのお金も紙屑同然となる。国家の供給力の維持・拡大は必要なのである。

 これらの条件を満たしていれば、国債は国家財政の有効な財源となる。国債と税収の適切な組み合わせにより収入を確保し、支出となる政策を実行していくことが国家の課題となる。マイナスの税金である助成金も含めて戦略的な税制等により政策誘導し、国民および各産業のモチベーションを向上させながら、最適な政策を実行し、経済を成長させ、国家を発展させるのである。

 冒頭に「国債は常識的には借金である。」と記したが、実はこれはウソなのだ。「常識のウソ」と言えるだろう。しかし、誠に残念ながら、「常識のウソ」に、国家と多くの国民も騙されて、身動きが取れなくなってしまい、悪性インフレの退治を初めとする国家的課題に対しても、有効な手を殆ど打つことができない状況に陥っている。プライマリーバランス規律遵守も「常識のウソ」から発している。のみならず、現下では、ガソリン補助金延長に対して、車を使わない人から徴収した税金を使うのは許せない行為であり、限られた財源である税金は他のより有効な目的に使うべきだと言う意見が噴出する等、国民の分断も生じている。このままでは、国家は破滅の道をまっしぐらに進むしかなく、真に見るに忍びない。

 けれども、希望は残されている。真実に気づけばよいのだ。国債は国の借金ではなく、国の財産である。ここから議論が展開することによって、日本の明るい豊かな未来が切り開かれることを、心から切に願うばかりである。