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社会を動かすもの

StudentのK(34歳・公務員・茨城県)

 

「それは違うだろう」

 クライテリオンの読者の方々は社会に対してこのような思いを抱いたことがある方が多いのではないだろうか。私もそうである。

 この点について、単に不満を漏らすだけでなく、この状況の意義を一考してみるのも価値があるのではと思い、稚拙ではあるがまとめてみたい。

 

 社会は一つの生命体であるとする社会有機体説については賛否両論あるかもしれないが、森鴎外の「かのように」に倣い、一つの生命体であるかのように考えることが有益であるとすることは問題ないだろう(私は社会有機体説を支持するが)。

 そして、一人一人の人間に意志があるならば、人間を包含する社会にも意志があると(又は、あるかのように)考えることもまた有益だろう。

 私は、この「社会の意志」こそが社会を動かすものと考えている。これを説明するにあたっては、まずは一人の人間に置き換えて例えてみたい。

 

 物事はいくつもの側面から捉えることができる。例えば、人が物を持ち上げた時、何がその物を持ち上げたのかを考えてみると、その人が物を持ち上げようと思ったからと捉えることもできれば、筋肉が持ち上げたと捉えたり、重力があったからと捉えることもできる。

 この時、これらはいずれも欠かすことのできない要素だが、私はその中でも、物を持ち上げようとする意志こそが一番重要であると考える。

なぜならば、先の要素の中で、物を持ち上げるという「目的を定め」、「目的に向け現状を調整」しているのは意志だけあり、この意志の働きが無機質な変化と意味のある成果を分けるからだ。

 現状の調整については、積み重なった本を持ち上げることを思い浮かべれば分かりやすい。これはただ本を持ち上げる動きをすればいいのではなく、本が崩れないように力加減やバランスなどを調整しながら持ち上げる必要がある。このように、その時々の状況に応じて現状を調整し、自ら定めた目的に向かっていくことは意志を持った生命にしかできないだろう。

 そして、この意志が強い生命体ほど大きな成果を残すことができるだろうが、私は「精神面」と「環境面」が循環する時、意志が強化されると考える。上記の例で言えば、「精神面」は物を持ち上げようとする思いであり、「環境面」とは実際に物を持ち上げられる物理的状況になる。

 これを社会に転じて考えると、社会が意志を持つこととは、社会がその目指す目的を定め、目的に向け現在の社会を調整していくこととなる。また、社会が変化しようとする方向と社会の環境が循環した時、社会の意志が強化される。例えば、まちに緑を増やそうとした時、そのまちが木が育つのに適した物理的状況であれば、この2つが循環し、緑の多いまちになろうとする社会の意志が強化される。

 この社会の意志が社会を動かすプロセスは、(物を持ち上げる意志が筋肉に宿るように)社会の意志が人々に宿り、(筋肉が物を持ち上げるように)その人々の行動により社会が動いていく。この時社会の意志が強いほど、(本のバランスを取るように)目的に向け社会の変化が調整される不思議な力が働く。

 

 さて、現在はデフレマインドという言葉が使用されて久しいが、この言葉は経済学的には、物価の下落を前提とした経済的判断基準となるだろうが、経済を超えた意味では、人々の活力の低下、ひいては未来への希望の喪失を意味するのではないだろうか。

 これにより、もしも社会が人々の未来に希望のない意志を持ってしまったら、希望がない未来に適合するように現在の社会を調整する力が働いてしまうだろう。この社会がどうなるかは、未来に希望を失った人がどうなるかを考えれば分かりやすい。

 しかし、だからといって必ずしも未来に絶望する必要は無いと私は考える。なぜならば、人が迷うならば、社会も迷うのだろう。仮にデフレマインドが中心であったとしても、同時にそうではない意志も含まれている。普段我々も「やっぱりこっちにしよう」と思い直すことがあるように、社会も「やっぱり未来を明るくしていこう」と思い直すこともあるかもしれない。

 つまり、まだ我々の社会には未来を明るくしていこうとする意志が残されているため、その意志を宿した人が行動を起こすことで社会の意志の中心を変えることができるかもしれない。後の成否は、環境である我々の国土がその思いに応えてくれるかにかかるだろう。

 

 これをご覧の方々にはそうした社会の意志が宿っていると信じ、それぞれの立場から社会をよくするための行動をしてみてはいかがだろうか。私はその先の未来を信じたい。