クライテリオン9月号での大澤先生の講義記事を拝読し、税について考えるきっかけになった。
記事ではなぜ、国民は納税を受け入れるのだろうか? という問題へのMMTの回答としての租税貨幣論に対して、モズラー氏の名刺の物語を例に「不換紙幣は納税義務の解消手段」としての価値をもつ、納税義務不履行に対する罰への恐怖によって需要を生じて流通する。それは権力についての問題であるが、モズラーと子供たちの間にある力は権力ではなく暴力である。と表現されていた。
私はこの家庭内の物語、ひいては国家と国民の関係において「暴力の問題」とすることに違和感を感じた。
確かに、そもそも権力は暴力と密接不可分で徴税権も司法や警察権力によって強制力をもって裏付けされている。
しかし、1つにはモズラー氏が自分が発行した名刺を回収した真の目的は子どもたちを翌月にまた名刺を稼がなくてはいけない状況に置くことを目的とした。そうすることでモズラー氏(家)と子どもたちの間にお互いに必要なサービスが提供され続ける好循環が生まれている。
つまり、家庭と個人がwin-winの関係になっており必ずしも暴力や権力だけの問題ではないのではないかと思う。そう考えると、国家と国民・国民と国民同士の間でも同様に、税を通じて皆がお互いに必要な物やサービスが生産され続けるwin-winの好循環のためにこそ、税の真の目的があるといえるのではないかと考える。
すると当該記事内の、「国民が納税するということは、逆に国民の方こそ政府に対して負債を負っているかのような振る舞い」に対しても、すべての国民が今現在存在していること自体が先祖代々共同体が脈々とその循環を繋いできてくれたおかげなのだから、国民は国という共同体に負債(恩?)を負っているとも考えられる。
そして、2つ目に自分の体験として子供をもった今、モズラー氏の物語には裏テーマがあると思う。私は3歳の娘にお手伝いをさせる。特にモズラー氏は大富豪である。家政婦を雇ってやらせればいいし、わざわざ面倒な手間をかけて子供に手伝いなんかさせる必要なんてない。
それは、家族という共同体の一員であるというアイデンティティ確立という目的もあるのではないかということである。
手伝いをして、感謝されることを通じて、共同体の一員としてここに居ていいと安心させてあげる、手伝いをする子供のためにもさせるのである。役に立っているという実感。共同体に奉仕し、感謝される喜びを知ってもらうためである。感謝される喜びは共同体に埋め込まれているという安心感を生み、感謝されることで自己肯定感を育み、安心感と自己肯定感は自己効用感と自信を生む。
そして、はじめは親にやらされるという形式から入ったとしても、成長と共に自発的に共同体への尊重の気持ちをもつことと、その気持ちをもって行う行為についても考え、感じることで共同体への尊重の態度を示す手段になる事も知る。日常生活に必要なコミュニケーション能力・言語能力・マナー、自分と関わりのある人々がいろいろな物や人を大切にしていること、そして自分以外の人が大切にしているものを我が事として大切にしようとする気持ちを育む。それこそが大切な人を大切にする方法であり、道徳を学ぶ事になる。その学習手段としてお手伝いをさせるのだと思う。感謝される実感の無い者が自己肯定感が高い訳がなく、自分も他人も大事にできるわけがない。
究極的に税は共同体への恩を通じてアイデンティティを確立し、その他の政策目的等の達成とともに、経済的、政治的な安定をもたらして、より良い世界を後世に残す。「税の本質は保守という目的を達成する為の手段」なのではないかと思う。
一方で現状は一部の者による収奪のための道具とされていることが残念でならず、一刻も早く本来の目的のための運用が成されるよう考えていきたい。
林文寿(岐阜支部)
2024.10.15
御子柴晃生(農家・信州支部)
2024.10.15
吉田真澄(東京支部)
2024.10.15
羽田航(53歳・派遣・埼玉県)
2024.10.15
川北貴明(34才・芸術家・大阪府)
2024.10.15
九鬼うてな(17歳・生徒・京都府)
2024.10.15
近藤久一(62歳・自営業・大阪府)
2024.10.15
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25