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古川雄嗣様へ

鎌田芳治(札幌市、71歳、無職)

 

 古川雄嗣さんの〈北海道「論」〉を毎号頷きながら読んでいます。西部先生が生前、北海道のことを「文化果つる地」と言っていました。中島岳志さんが北大に赴任してこられた時も、「なぜ、こんなくんだりまで来たの?」と。明治以来、北海道に渡ってきたほとんどの人というのは、食いはぐれた次男・三男坊、流れ者、犯罪者が多く、あのしょっぱい津軽海峡を(一昔前は連絡線で)渡った時に、何もかも(日本の伝統・文化や歴史さえも)捨て去った人たちの群れだ、と言っていました。

 サケやニシンや毛皮を採り、酪農、石炭、ジャガイモやタマネギ、そして米と国策は続いてきましたが、Boys be ambitiousと、開拓精神の掛け声の結果出来たものは、横文字が多い、看板だらけの小綺麗な都市・札幌に象徴されています。新しもの好きな道産子。チェンジという流行に踊り、真っ先に飛びつく性向。道内で生まれ、育ち、南・西高校→北大→道庁と進んだ人ほど面白くない人はいない、と言っていた友人がいます。内村鑑三や新渡戸稲造の話など出ることは無く、クラーク博士の方が断然知名度が高い風土です。

 以前、「自然は一流、食事は二流、三、四がなくてサービス五流」と言っていた某ホテルの支配人がおりましたが、その「自然」も道東、つまり、日高山脈を越えた東側に行かなければ、本当の北海道のよさはわかりません。それも、観光バスで行くのではなく。また、その頃の「自然」は、観光という金儲けのためにほとんど食い荒らされてしまった観があります(金儲けが悪いことはない)。世界遺産になった知床も、すっかり人工的になる一方で、熊と共生などと言って戯れていますが、ペットの犬の糞を拾いながら散歩しているいい歳のオヤジの部類を連想します。土台、世界遺産登録にやっきになっている昨今の全国的な風潮に首を傾げます。

 私は、三十数年この「自然」と関わって来ましたが(造園業)、当初はまだ施主に面白い人がおりました。施主から教わることがありました。「文化」を語り合える人がおりました。後半はほとんど絶望的でした。イングリッシュガーデン(EG)が流行したあたりが頂点かもしれません。EGそのものは、北海道の風土に合っているからいいテーマなのですが、要するに、上澄みをなぞる体の域を出ません。外国人や旅行者に喜ばれればよしとする。

 一方、「和風」にこだわることもありませんが、「和」のテーマを北海道で表現するのは非常に難しいのですが、その「心」さえ嫌う人たちが多く、これらの日本人を疑い、疲れました。今、先祖帰りのような行事が町おこし・村おこしで見られますが、「祭」一つとっても百年はかかるでしょう。お金はある程度出るとしても、「意は似せ易く、形は似せ難し」。否、神事という性格を出来るだけ剥ぎ取って、つまり、「意」さえ既に人寄せという金儲けにシフトしている有様ですから、当事者だけが騒いでいるだけで、周りの人たちはシラケています。全身全霊で担ぐべき神輿を動力で動かすのですから、威勢のいい力が出るはずがありません。逆に、ダラダラと不機嫌そうに、縄に引きずられているザマは見られたものじゃない。一言でいえば、全部どこかのコピー、嘘っぱち、贋物なのです。本物志向は無い。ハロウィンやディズニーランド、ゆるキャラまがいの幼児性がますます増長されるでしょう。男の女性化や女の男性化よりも由々しきことだと思います。

 しかし、何のかんのと言っても、私はこの北海道が好きです。格別好きだというわけではなく、ここで暮らす以外にないという、この「見捨てられた大地」を全うする以外にありませんから。