改題第7号(通巻第85号) 読者からの手紙

平成から令和へ~私と息子の物語~

私は昭和も終わる頃、北海道北広島市に生まれた。高校の同級生だった郵便局員の父と専業主婦の母の間に生まれた。ごく普通の中流家庭で、好きなように習い事もさせてもらい、父は休みとあらばキャンプや釣りやスキー等に連れて行ってくれ、母は過干渉なほど私を甘やかし育てた(今でいうモンスターペアレントだった)。

私が高校生の頃小泉構造改革が勢いを増し、成人する頃に郵政が公社化された。その間父は夜中によく換気扇の下で煙草を吸うようになり、酒に溺れて暴言などを吐くようになった。母は外にパートに行くようになり、夕食に毎日お弁当屋のお弁当を買ってくるだけになり、持ち始めた携帯電話で不特定多数と不倫するようになった。
愛だと思っていたものが、あっけなく音を立てて壊れた。私は、ああこれまでのすべては虚構だったのだと解釈した。父と母は離婚した。

やりたいことが何も見つからなかった私は、なんとなく北海道では有名なお嬢様学校に進学した。進学はしたがほとんど学校には行かなかった。行っても図書館でずっとDVDを観て帰った。実家にも居たくなかったので家賃二万五千円の部屋で一人暮らしを始め、部活動(ボールルームダンス)ばかりに明け暮れた。一人暮らしと部活をするには多額のお金が必要だったが、人一倍感受性が強く極度のコミュ障に育ってしまった私は、不況の北海道ではアルバイトですら必要とされず、女子大生ですすきのの風俗嬢になった。
大学は、ほとんど単位も取れないままに、三年生で退学した。必然的に部活も退部した。

ヘルス・デリヘル・出会い系サイトで個人的売春・ソープを経た風俗嬢時代は、コミュ障克服に役立ったと思う。日本中のあらゆる職業のあらゆる人が、日本全国から来た。私は顔を出していたし、唯一の特技である文章(ブログ)を使って集客をしていたので、ブログのファンなのでお話をしたいだけで性的なサービスはしなくていいなどという奇特なお客さんも全国から沢山来てくれた。いろいろな人から世間の話を聞くのは楽しかった。
少なくとも毎月五十万以上の稼ぎがあった。
しかし、本格的に風俗嬢を始めてから、摂食障害を発症し、毎日大量に食べて吐く生活も続いた。自分は生まれもっての遊女なのだと思う一方で、女性性を強烈に否定したい自分もいた。私は母のようにはなりたくないと。コンビニやスーパーを梯子する生活は辛かった。

そして、ホストに一千五百万貢いだあげく音信不通にされるという典型的パターンを食らって、北海道にいたらババアになっても風俗嬢のままの気がして、青春の八年を浪費した風俗嬢を辞め、すっからかんで東京に来た。

東京に来てからは、グループホームにて無資格未経験から介護の仕事をしており、今は介護福祉士としてデイサービスで働いているが、最初の頃は夜勤ありで月収十五万円と、前職との差額の大きさに苦しんだ。しかも摂食障害は治っていなかったので、ほとんどが食費に消えた。どこかにお金が落ちていないかと歩いてみても、どこにも落ちていなかった。心に空く虚とか深淵を抱えたまま、夜勤明けのYouTubeだけが楽しみだった。「国会中継」「西部邁ゼミナール」「チャンネル桜」「CGS」あたり。

これが、私が欲しかった答えだ。直観でそう思った。漠然と漫然と疑問だったことの答えが全てあると思った。

正しきことの正しさに近づきつつも私のセックス依存症(今から思えばそう思う)は治らず、東京へ来てからもSNSや出会い系サイトで知り合った男性と会っていたが、一夜限りのその一人が教えてくれたのだ。「一般参賀に行ったら人生変わったよ」と。そして実際に行ってみた。

それから五年連続して正月二日には朝一の参賀の列に並んだが、本当のおじいちゃんのような今上陛下はいつも「国民一人一人の幸せ」を祈って下さった。
一人ぼっちだと思っていた私は、一人ではなかったのだ。いつでも私の為に祈って下さっている陛下がいらっしゃる。それは私の虚を埋めるに充分な、法外な喜びと感謝だった。

そんな中、東京へ来てmixiでマイミクだったある人と近くなった。その人は美しく切ない文章を書く人だったから、北海道にいた頃から憧れていた。春の新宿御苑で初めて逢って嬉しくて、本名を聞いて、お友達になった。よく話すようになったある夜、酒に酔った勢いで手を繋いだら、ただのお友達じゃなくなった。
私と同い年の死にたがりのお坊さん(現某寺住職)。
これが息子の父である。

息子父には産むなら死ぬと脅されながらも息子を産み、認知と毎月八万円の養育費(純然たる教育費にするため全額貯蓄中)をいただき、手当てや社会資源を活用しつつ、今は完全に一人で育ている四歳の息子。
息子には、「母さんが一人ぼっちで寂しくて、靖国神社の神様に、息子下さい!って頼んだらくれた」と話しているが、「国の為になる人間を産み、育てることが尽忠報国である」という私に英霊達が遣わせてくれた大御宝だと、私は心から信じて物語ることができる。息子は○○家とは繋がれなくとも、そこでルーツやアイデンティティと繋がれる。
息子はなるべく無添加の国産(出来れば有機栽培)の食べ物に、衣類は綿、洗剤類も無添加、ステロイドやフッ素などは使わない、TVを置かない、晴れた日には布団干すなどなどなど、こだわって育てているが、今のところ私が今まで出逢った男の中で一番穏やかで優しい。
息子が虐待されたら嫌なのもあり、私の性格上の問題もあり、このまま誰とも結婚はしないと決意した。父は昨年三度目の結婚をし、母は昨年二度目の離婚をした。私は、今でも息子父が好きだ。酔った時だけ機嫌よくどうでもいい電話してくるくせに息子の話はしない、口達者な最低野郎でもデブでも好きだ。おばあちゃんになっても好きだ。
(ああでももう一人子供が欲しい。息子と私で育てるから、種と養育費だけ欲しい)。

穏やかな日常は穏やかであろうとする覚悟の上にしか成り立たず、油断すればいつ丸ごと闇へ持っていかれるかわからないというプレッシャーと一人で戦っている。私がフルタイム週五で働いているため、平日は睡眠時間を除けば一日四時間程しか一緒にいられないが、教えることは教えないといけない。息子のクライテリオンは私なのだと。
一日が二十四時間じゃ足りない。そしてお金が足りない(笑)けど、大切なものがあるから幸せだ。遠廻りしても真実に辿り着けばいい。
息子といる時間の中で、摂食障害とセックス依存症は治った。私は「母であるが、父である」という気持ちが芽生えた時に。

息子は、成人するまでに沢山の人に世話をかけるかも知れないが、必ずそれより多くの人を救う。
ニヒリズムの平成を越え、令和は息子の時代。成長する日本と共に、すくすく成長して欲しい。そして縦軸と横軸のナショナリズムを再発見して、大きな和を作って欲しい。
私達の最後の仕事はデフレ脱却だ!

令和の政策ピボット運動に心から賛同いたします。

投稿者 : 

  • 小松永(36才、東京都、介護士)

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