改題第8号(通巻第86号) 読者からの手紙

人のわる口

 僕は、どちらかというと奥手で、人と楽しく話すのは苦手な方です。
 現在、大学の研究室にいますが、いつも本ばかりを読んでいて、仲間たちとの雑談の輪から逃げてしまっているように感じています。研究室に入る前も、大学生活における友人づくりは下手で、親しい関係をつくるのに何度も失敗してきました。また、恋愛も同様です。
 どうして、そうなってしまったのか、自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。
 
 僕は、小学生ぐらいの頃から、無駄に真面目な性格だったのかもしれません。
 というのも、人のわる口や陰口をいうことを、ずっと我慢してきていました。母親によるものか、先生によるものかは忘れましたが、人のわる口をいわない、という約束を愚直に守っていたのです。あるいは、中学生ぐらいの頃からか、誰かの陰口を言うくらいだったら、堂々と面と向かって文句をいうのが男らしさだという考えも持っていました。
 どういう経緯によってかは、明確ではないのですが、とにかく僕は、人のわる口を極力いってこなかったし、誰かの陰口を聞くと、卑しい奴らだと見なしてきました。

 しかし、一般的に言って、小学校から高校までの年代の人たちが、一番盛り上がる雑談の話題といえば、たいてい先生や友だちのわる口でしょう。僕はこう考えたのです。つまり、僕でない他の人たち、雑談が得意な人たちというのは、小さい頃にたくさん、人のわる口をいってきた経験を通して、雑談における話し方、聞き方、ふるまい方を学んできたのではないでしょうか。
 それとは逆に、人のわる口をいってこなかったような人間は、雑談においてどういうふるまい方をすればいいのかを体得してきていません。そういう状態で、いざ雑談を試みても、その様子は不自然なものにならざるを得ないのでしょう。あるいは、俗世間的な話題を振ることにも慣れておらず、いつの間にか、仕事の話に傾きがちになってしまいます。

 考えてもみれば当たり前ですが、人のわる口というのは、楽しい話題になりうるという意味で、必要なことなのでしょう。実際、表現者クライテリオンの間でも、左翼のこういうところがバカらしいとか、頭の固い右翼のここがわるいとか、そういう雑談を通して、仲間意識を強化しているのではないでしょうか。批判とは、上品なわる口だといってよいでしょう。

 もっとも、大人になってから、大人らしい話題で、雑談する力を上達させていけばよいという意見もあると思います。若者にとって雑談できるかどうかなど、社会に出てから考えればよいということです。
 確かに、社会の全体からみれば、そのように片づけることはできますが、一個人にとっては大問題です。
 それに、雑談をする能力のない若者が、社会全体の中でも無視できないほどに増えれば、それは社会問題としても取り上げることができます。というのも、最近「雑談」をテーマにした指南書が書店に増えてきたように思います。おそらく、皆こういったことで悩んでいるのでしょう。僕は、何となくそう感じています。

 道徳教育というのも、考え物なのかもしれません。人のわる口をいわない、という道徳律が、どういう経緯で発生したのかはわかりません。しかし、いわゆる理性で編み出したような道徳規律を、学校教育で展開してしまうと、後に不都合となってしまうということが、こういった例に現れているように思います。

 僕は、小さい頃から人のわる口をいうことを拒絶してきたのですが、実は間違いだったのでしょうか。補足して、これはいわゆる「いじめ」を擁護するものでは断じてありません。ただし、もう少し議論の俎上にのせる事柄の範囲を広めると、話は複雑なものにならざるを得ないという気持ちがあります。
 この投稿は、僕の考えであると同時に、僕の悩みでもあります。編集員の方々の誰でも構いません。お答えできますでしょうか。

投稿者 : 

  • 佐々木広(神奈川県、22歳、学生)

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