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「ライオン・キング」を真面目に見て

山口泰弘(35歳、東京都、サラリーマン)

 

 8月に公開された映画「ライオン・キング」を見た。

 筋書き自体は、二十世紀末にアニメ映画が公開されていたこともあって知っていたのだが、作品をちゃんと見ると、改めて気付くことがあった。

 話の流れは、次の通りである。主人公・シンバの父・ムファサは、プライド・ランドというサバンナの一定領域の王であるライオンだが、ムファサは肉食動物が草食動物を好き放題に狩って食べることを規制し、草食動物が生きていけるように統治していた。このようなムファサの統治の下、ライオンに捕食される草食動物であってもライオンを頂点とした秩序に従っていた。しかし、ムファサやシンバを亡き者にして王位を狙うムファサの弟・スカーは、王位簒奪のためにハイエナ達の協力を得るべく、彼らに対し、自分が王の座に就けば、狩猟を自由にしてよいと約束し、ムファサを謀殺。逃げ延びたシンバが成長してスカーを倒し、プライド・ランドを奪還した。

 このムファサの姿勢から、経済活動に程よい規制をかけることで国民が弱肉強食の競争から保護され、国民が豊かに安全に暮らせるよう統治を読み取ることができる。これは、狩猟という生きるための経済活動を認めつつも、国民経済の調和を目指す国家の関与を前提とする資本主義のようである。他方、スカーがハイエナ達に約束した、自由に狩りをしてよいというやり方は、強い肉食動物が弱い草食動物を満腹になるまで狩り尽くし、新自由主義的な経済政策と同根である。劇中では、スカーのこのような統治手法によって、プライド・ランドでは草食動物の数が一気に減り(プライド・ランドから逃亡げた者も)、あたかも不毛の地のようになってしまった。

 このムファサとスカーの対比からは、国家の関与を前提とする資本主義と新自由主義を比べ、前者が望ましい政策であるかのように思われる。だが、更に面白いと感じたのは、スカーが抱き込んだハイエナ達は、プライド・ランドの外れに生息していて、謂わば外国勢力なのである。スカーが王位簒奪のために企てた謀反が、新自由主義政策を掲げ、しかも外国軍隊を招き入れるという手段によるものなので、観客には、新自由主義者が国民経済の発展を考えない権力の亡者であるかのように感じさせる。確かに、シンバがスカーから王位を奪還するための戦いにおいて、シンバが成長するまで暮らしたジャングルでの友達である草食動物(イボイノシシやミーアキャット)の協力も得ているので、シンバが自国の勢力のみで権力闘争に勝利したわけではないが、スカー側の戦力が、スカー以外は全て外国勢力のハイエナの群れであるのに対し、スカーやハイエナ達を相手にシンバと共に戦ったのは、主にヒロインやシンバの母等である雌ライオンだから、概ね、ナショナルな戦力でシンバは権力闘争に勝利したといえるだろう。その後、ムファサ路線を踏襲したシンバのプライド・ランドに草食動物が戻ってきたことから、スカーの新自由主義的政策が失敗だったことが暗示される。

 子供だったシンバがプライド・ランドを追われて大人になるまで、草食動物を狩らずに昆虫類を食べて成長したというのは、生きるために草食動物を殺して肉を食うという現実から目を背ける綺麗事にも見えるが、本作では、外国と結託した新自由主義勢力を、国民が自力で倒して国民経済の調和的発展を目指す路線に回帰するストーリーを読み取れるのではないか。

 ディズニーがこの様なナショナリスティックな物語を好むのかと考えると、疑問はある。だが、新自由主義的経済思想の実践が国民を豊かにしないことが徐々に認識されてきている令和初頭において、「ライオン・キング」は意外にも時宜に適った作品であるといえるのではないか。