村上春樹を通して考える「物語の力」とクライテリオンのない日本

仁平千香子(山口大学助教)

 

~選ばされている私たち~
 
 「表現者クライテリオン」が危機として提示する問題の一つは、日本におけるクライテリオン=基準の不在が社会と個人に与える甚大な影響である。
村上春樹も資本主義社会によって基準を失った世界を描くことで、現代社会の「炭坑のカナリア」たり得ようとする作家の一人である。
村上春樹は「対米従属文学論」第七回で『風の歌を聴け』を中心に取り上げられたが、本稿では村上が発信し続ける「物語の力」について言及したい。
 
村上は経済成長後の日本における資本主義を生きる個人について考え続けてきた。
学生運動が終わり、資本主義が加速し、市場価値が物事の価値を決める社会では、情報がドミナントストーリーとなる。
八〇年代後期に発表された『ダンス・ダンス・ダンス』で、村上は情報社会を、選択する意志を放棄する人々を例にして描く。
フリーランス作家として生活する主人公「僕」はグルメ雑誌の依頼を受け、一日何軒ものレストランを回り、注文した料理のほとんど残して次の店に行くという資本主義社会特有の無駄遣いの日々を送る。
「僕」は、個人が行く店や食べるメニューすら選ばされている現状を皮肉を込めて指摘する。
ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう?
 
みんな勝手に自分の好きなものを食べていればいいじゃないか。そうだろう?
どうして他人に食い物屋のことまでいちいち教えてもらわなくちゃならないんだ?  
どうしてメニューの選び方まで教えてもらわなくちゃならないんだ?
 
そしてね、そういうところで紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。
需要と供給のバランスが崩れるからだよ。(中略)それを人々は情報と呼ぶ。
生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の洗練化と呼ぶ。
 
情報が「洗練化」した社会では、人々は選ぶ必要がない。
何を食べ、何を着て、どこに住んで、どんな音楽を聴いて、どんな映画を見て、どんな会話をして、どんな場所で休日を過ごして、日々の些細なあらゆる場面が目の前に出されるメニューから選ばされているに過ぎないにも関わらず、人々は自分たちは主体的に選んでいると思い込む。
この情報が支配する世界の象徴的存在として登場するのが、五反田という人気俳優である。
高校時代の同級生として主人公と五反田は再会し、バブル経済に有り余る経費を濫費するなか、五反田は自分の人生を振り返りつぶやく。「
僕は次々に回ってくる役回りをただただ不足なく演じていただけじゃないかっていう気がする。僕は主体的になにひとつ選択していない」。
これは優等生のちには人気俳優として、期待された役を演じ続けた自身の人生への評価であるが、資本主義社会と情報社会に生きる人々に共通していえることだろう。
私たちは選んでいるというより、与えられた選択肢から選ばされている。
しかし五反田と多くの人々の違いは、その現実に気づいているかいないかである。五反田は言う。
必要というものは人為的に作り出される。自然に生まれるものではない。でっちあげられるんだ。誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだ。簡単だよ。情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。住むんなら港区です、車ならBM
Wです、時計はロレックスですって。
 
選ばされているに過ぎない現実に気づいている五反田は、人生の基準を見失い、自ら車ごと海に飛び込むという最期を迎えることになる。

~若者が欲した麻原の物語~

 九〇年代、バブル経済は崩壊し、基準のない不安定な社会を支えていた物質的豊かさすら失い始めた日本人が、その加速する地盤の緩みをより強固に気づかされたのがオウム真理教による地下鉄サリン事件だった。
村上は事件を通して、麻原彰晃が作り上げた「王国」に「物語の力」が大きく関わっていることに気づく。
村上は、若者が信頼を寄せられる「物語」、つまりドミナントストーリーを社会が与え損ねた結果、麻原の「物語」に行き着いたという。
村上によると、「物語」とは「あなたが見続ける夢」であり、「他者と共時体験をおこなうための重要な秘密の鍵であり、安全弁」で、それ「なしに長く生きることはできない」ものである。
人々は「物語」を共有する他者の集団に帰属し、「この世界で個であることの孤独を癒している」という (1) 。
「物語」がなければ個人は帰属する空間がわからず、自分の立ち位置も覚束ない。
 
情報に左右される社会は、ドミナントストーリーが次々と移り変わり、「クライテリオン」創刊号で話されたように「ムードやその場のノリといったものが必然的に支配的になり、『炎上型選挙』が民主国家で繰り返される」。
ドミナントストーリーが変わる度に個人は不安定な地盤に自らを適化しなければならない。それは非常に疲れる作業である。
確固たる物差しのない社会では自己理解も容易でない。にもかかわらず、社会は個人に「何者かであれ」という自己表現を強要する。
村上はこれを砂漠で塩水を飲むように苦しい作業であるという (2) 。
 
そんな「物語」不在の時代に、麻原は若者が求める「物語」を差し出した。
それは粗雑で単純なジャンクであるがゆえに、効果的であったと村上はいう。
というのは、人々の多くは重層的で多義的な物語を受け入れることに疲れていたからだ。
実際、村上がサリン事件とは無関係の教団メンバーにインタビューをした際、彼らは共通して麻原が与えた「物語」によって、現代を生きる苦しさから解放されたと答えた。
現代の苦しみとは、自ら考え選ぶ苦しみである。彼らは村上に言う。「(教団の中にいると)疑問もないんです。どんな疑問にも全部答えがあるんですよ。(中略)どんな質問をしてもちゃんとすぐに答えがかえってきます (3) 」。
別の信者も言う。「こういうの楽だなあって思いました。自分で何も考えなくていいわけですからね。言われたことをそのままやっていればいい。自分の人生がどうのこうのなんて、いちいち考える必要がないんです (4) 」。
つまり、「彼ら自身、積極的に麻原にコントロールされることを求めていたのだ (5) 」と村上は気づかされる。
 
しかし麻原が提供した「物語」は抑圧的で、個人の思考を閉鎖する力を持っていた。
それは閉鎖的であるゆえ、自分たちの正義を主張し続けるために外部に敵を意図的に作らなければならず、結果、教団は破壊的な行動に進んでしまった。
これに対し、良い物語とは自発的で外に向かって開かれているものだと村上はいう (6) 。
それは個人にある閉鎖的な思考回路を刺激し、物事の多層的構造を理解するための多角的な思考を喚起するものである。
 
村上は、マスメディアも麻原同様、視聴者に閉鎖的な「物語」を提供することで、短絡的思考を誘導していたと警鐘を鳴らす。
サリン事件の報道は連日、無垢で正義の被害者である「こちら側」と、悪で汚れた加害者である「あちら側」を無批判に切り離し、二つを対立させ、「あちら側」の論理とシステムの歪みを徹底的に分析し批判した。
しかし「こちら側」の論理とシステムも同様に分析が必要だったと村上は主張する。
なぜなら、「あちら側」の彼らはかつて「こちら側」に所属し、自ら「あちら側」に進んでいった人々だからである。「あちら
側」に若者を送ってしまった責任は「こちら側」にもあるのではないかと。
私たちの多くは麻原の差し出す荒唐無稽なジャンクの物語をあざ笑ったものだ。
そのような物語を作り出した麻原をあざ笑い、そのような物語に惹かれていく信者たちをあざ笑った。(中略)しかしそれに対して、「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?
麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか ? (7)
 
「こちら側」と「あちら側」の無批判な切り離しは、多くのメディア報道に共通することである。
事件が人々に伝えられる時、善悪の線引きはメディアの報道次第だ。
昨日まで人気のあった政治家は、たった一つの「失言」を過剰に取り上げるメディアによって支持を根こそぎ失う。
昨日までの人気タレントは過剰なスキャンダル騒ぎで、スポンサーを失い、テレビから排除される。
人々はメディアから与えられるドミナントストーリーを無批判に受け入れ、自分の意見であるかのように呑み込む。
メディアの情報は人々の思考を停止させる。オウム信者が「こちら側」を見限って「あちら側」に救いを求めたという背景を考慮せず、彼らを「あちら側」に住む狂気の集団として排除しようとする。
彼らが「あちら側」に向かう原理を理解せずに、「あちら側」を求める新たな若者をどう止められるだろうか。

~国境を越える Haruki Murakami の「物語」~
 
村上春樹の物語は国境を越える。いまや五十カ国語もの言語に訳され、海外での人気は国内のそれを上回っているともいわれる。
海外の大学では宮崎駿と並んで日本社会の講義で取り上げられ、海外の本屋で村上の翻訳本を見ることは珍しいことではなくなり、ポーランドでは新作の翻訳が出た際、鉄道駅に専用の自動販売機が置かれたほどである。
村上作品は英語圏だけでなく、ロシアやポーランド、中国、韓国などでも人気があり、特に社会が不安定化した時に村上が爆発的
に人気を博すことが指摘されている。
社会のクライテリオンが揺らぐ時に、人々は村上の物語を求めるのだ。
 
しかし、村上のグローバルな人気は、国境を無視した空疎な抽象性ゆえのものではない。
確かに谷崎や三島や川端など、いわゆるビック・スリーとして日本文化の代表的代弁者として世界に読まれているわけではないが、村上の世界にはノモンハン事件や阪神淡路大震災、オウム真理教など、ローカルな問題が至る所に顔を出している。
そして、そこで問われているものこそ、やはり基準たりうる「物語」の欠如によって生きにくさを感じる個人の存在なのである。
資本社会と物語の揺らぎの関係が世界に共通する問題であるからこそ、村上の描くローカルな世界は、グローバルレベルで共感され
たのではないだろうか。
 
「僕」たちは派手に世界を悪から守るヒーローでも、社会を大転換する革命家でもないが、権力に個人が絡みとられないよう、自分の規律を作り、多数決の意見に惑わされず、周囲を俯瞰し思考し、自らの答えを見出す。
この一見ささやかな行為は、読者に「僕」の意志の強さとして映るのだろう。
それは、社会規範やメディアに左右されず自分の規律と意見を作り上げるという単純に思える作業が、実際いかに難しい世界に私たちがいるかを示唆する。
 
村上の「僕」たちには非現実な収入源があることが多い。貧困がほぼ不在の村上作品にどれだけの現代人が共感するのかと疑問を持つ読者もいるだろう。
しかし村上が一貫して描き続ける、自ら考え選択することを諦めない主人公への読者の共感は無視できない。
文学は政治的影響力を失ったといわれる。エンターテイメントの種類がこれほどある時代に小説を娯楽にする人も確実に減っている。
情報戦争の時代に、小説を武器に対抗することも決して容易ではないだろう。
そんな時代に小説に残された可能性は、より広い読者を獲得できる魅力的な作品を描き、その中で発信し続けることである。
村上は、社会の思考の閉鎖性に気づかせるために、読者に発信し続けることをやめない。
読者である私たちは、村上の「僕」たちのように世界の片隅で、個人にできる「ささやかだけれど、役に立つこと」(村上訳、レイモンド・カーヴァー「ASmall,GoodThing 」の邦題)を実践していくことで、いずれ日本を危機から救う一助となれるかもしれない。

(1)  村上春樹『アンダーグラウンド』講談社文 庫、二〇〇四年、七五〇頁 (2)  村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚める のです』文春文庫、二〇一二年、一一四頁 (3)  村上春樹『約束された場所で』文藝春秋、 一九九八年、三八頁 (4)  『約束された場所で』一六九頁 (5)  『アンダーグラウンド』七四九頁 (6)  『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 三八五頁 (7)  『アンダーグラウンド』七五三~七五四頁