漫画『ワンパンマン』の批評をしてみたく思います。巷では有名な漫画ですので、詳しいストーリーの説明は割愛させていただきます。
主人公のサイタマは、どんな敵をも一撃で倒してしまう最強のヒーローです。いかなる怪人が彼の前に立ちはだかろうと、ほとんど勝負にならず、サイタマは余裕で勝ってしまいます。そのため、彼はどこか戦いに対する緊張感やモチベーションを欠いた、少しユニークな性格の持ち主でもあります。
その極端な設定ゆえ、サイタマは過去の作品とは異なる新しいタイプのヒーローとして受け入れられているように見えますが、ある意味では昔と変わらない、普遍的なヒーローとしての存在意義を有しているように思われます。というのも、日本社会における大衆が求めるヒーロー像というのがだんだんと変化してきており、サイタマはそれに応じるタイプの主人公だからです。
もともとヒーローというのは、古今東西において偶像崇拝の慣習をもとにつくり出されている側面があります。サイタマも、現時点の日本人が崇拝するスーパーヒーローなのであれば、その社会的役割は他のヒーローと何ら変わりがありません。
かつて、日本の少年漫画などで人気のあったヒーローというのは、自分と同等か少し強いレベルの敵に直面しながら、修行に励んだり仲間と協力したりして、相手をやっつけるというタイプのものでした。このことは、当時の日本人が「努力」とか「協力」というものの実りを信じていたことを映し出しているといって良いでしょう。
けれども、社会の趨勢によるものか、地道に努力したり皆と協力したりすることを信用できなくなっている人が増えてきたのかもしれません。そのように向上心や連帯感を失いかけた人々が、「彼こそは私たちの英雄だ」というスーパーマンを選ぶとするなら、同じように孤独感とか無気力を抱えつつも、悪に立ち向かうサイタマになるのではないでしょうか。
要するに、ワンパンマンは現代社会に虚しさを感じながらも不況とたたかう日本人の合わせ鏡ということです。
もう一つ、映し出されることがあります。
『ワンパンマン』の中には、サイタマ以外にも、さまざまなヒーローが出てきます。サイボーグや剣の使い手などが出てきます。彼らは怪人たちといい勝負をしたり、敗北を喫したりするので、そこで笑いあり涙ありのストーリーが繰り広げられます。
けれども、最後はサイタマがほぼ一撃で倒してしまします。サイタマ以外のヒーローが、いくら頑張ったところで、それはストーリーの進展とは何の関係もないのです。つまり、脇役ヒーローたちの戦いは、あってもなくても変わらない虚構性をおびた応酬に近いものです。
日本の現代社会も、似たような虚構性をおびているというのが私の見方です。
例えば、今の日本は、アメリカに安全保障をほとんど依存しています。日本の政治がどれだけ議論に時間を費やしても、アメリカが右向け右といえば、そうせざるを得ない場合があります。国家の根本的なところを他国に依存するということは、国内で展開されるストーリーやあらゆる意思決定を虚ろなものにしてしまいかねません。
あるいは、グローバリゼーションが深化した市場では、GAFAのようなほんの一握りの多国籍企業が君臨し、ほとんどの新興企業はそれらに依存するか買収されるか、という状況に立たされます。だから、最近の野心的なビジネスというのは、本当に自分たちが独立してやっているものなのか、あるいはただグローバル資本家の意向に乗っかっているだけなのか、判然としない欺瞞に満ちたものなのかもしれません。
以上が、漫画『ワンパンマン』から抽出される考察です。日本の漫画はもともと、政治や社会に向けた風刺としてはじまったといいます。それが漫画の正統だとするのなら、この『ワンパンマン』も十分にその流れを汲んでいる作品と見てもいいのではないでしょうか。
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