現在、我が国の過疎地域にたいして財政支援を講じることを規定している法律、過疎法(過疎地域自立促進特別措置法)が、2021年3月末で期限切れとなることを受けて、自民党は新たな法案を国会に提出するといいます。
その内容はおそらく、2021年3月現在におけるメディアの情報から大きく変わることはないでしょう。新法案では、現在817箇所ある過疎地域のうち、45市町村が指定から外れ48市町村が新たに指定されるため、総数としては820箇所に微増するといいます。
この指定から外される45市町村は、過疎地域として国から財政支援を受ける権利を名目上失うことになりますが、果たしてそれで良いものか大変疑問です。というのも、指定を継続すべき地域が多いように思われるからです。
例えば、今回の指定から外される自治体には、秋田県秋田市や岡山県岡山市といった都市が含まれます。これらは平成の大合併において、過疎地域だった市町村(秋田県旧河辺町、岡山県旧建部町)を吸収したために、同法の指定を受けていました。なお合併後も、両地域における過疎問題は依然として回復をみていません。
あるいは、群馬県上野村のような歴とした過疎地域も除外されようとしています。この地域が著しい人口減少を経験したのは1960年代ですが、新法案は対現在の人口減少基準年を1960年から1975年に改めました。このため、上野村のような早期に過疎化した地域は指定条件から外れてしまうのです。
メディアによれば、指定除外となる45市町村にも6~7年間にわたり財政支援を続ける経過措置が講じられるといいますが、それがどれほどの規模で6~7年後も続くのかどうかは分かりません。結局のところ支援を続けるにしても、指定除外を行ったのはいずれ支援を減らすためでしょう。
要するに、自民党は過疎地域を切り捨てる準備を進めているのです。競争力のない地域は滅んでも仕方ないという発想が垣間見えます。コロナによってグローバル化は終わっても、新自由主義は生きているわけです。
過疎地域というと、山奥にある辺鄙の村をイメージしがちですが、その総面積は日本国土の約六割に達しています。実は過疎でない地域の方が国土としては少数派なのです。もはや過疎が普通で、過疎でないのが異常という見方さえあり得るでしょう。
農村から都市への人口移動というのは、ヨーロッパでも起きており、日本では高度経済成長期から本格化している現象です。したがって、グローバル化やデフレから脱却すれば解決されるような問題ではなく、むしろ近代というより大きな問題と構造を共有しているとさえ思われます。
とは言うものの、グローバル化のごとく過疎化とは歴史の必然と考えるのは、知識人として怠慢だと言わなければなりません。都市より農村の人口割合の方が増加していた時代もあります。例えば江戸時代では、幕府は帰農令により都市人口を抑制したり、積極的な新田開発を奨励したりすることで、一貫して農村人口を増やし続けていました。
それに加えて、過疎問題はとりわけ現代日本人が向き合うべき問題とも言えます。戦後日本というのは、山地の社会を犠牲にして、平地の豊かさを実現させてきました。ダムの建設はその典型ですし、石炭採掘から石油輸入へのエネルギー政策の転換もまた然りです。また全国の農村は、大都市の経済発展のために大量の人手を供給し続けてきました。日本の都市は単独で成長したのではなく、農村の奉仕によって成長したのです。
こういった歴史上の経緯を蔑ろにし、簡単な理由をつけて過疎地域を見放そうとするのは道徳的ではありません。国の威信をかけてでも、土地の生活と文化を保護し、また全国の第1次産業を興して労働需要を喚起させ、地方人口の回復を図るべきです。
それは社会主義政策だと却下したところで、何の解決にもなりません。危惧すべきはむしろ、都市と農村が離れて別々の国のようになってしまうことです。
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御子柴晃生(農家・信州支部)
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