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【柴山桂太】思想誌の挑戦は続く

柴山桂太

柴山桂太 (京都大学大学院准教授)

このたび『表現者criterion』の発刊にあわせて、メールマガジンを配信することになりました。紙媒体の雑誌とは違い、電子メール形式で気軽に読めるものを、というのがメルマガの趣旨でしょうから、雑誌本体とは違う語り口で、つれづれなるままを書いていければと考えています。

雑誌の再出発にあたり、過去のバックナンバーを読み返してみました。西部邁先生が『発言者』を創刊したのは1994年。その後、2005年に富岡幸一郎編集長の下で『表現者』に名前が変わり、今年から『表現者criterion』へとリニューアルしました。『発言者』の時代から数えると、およそ四半世紀の歴史を持っています。

94年は、細川内閣から村山内閣へと変わった時にあたります。55年体制が終わり、日本の政治が戦後的安定を失って激しい混乱へと突入していく、まさにその時でした。同時に、日本経済がバブル崩壊後の「失われた10年」(あるいは「20年」)に突入していく時でもありました。

その後、オウム事件に阪神・淡路大震災、アジア通貨危機に9.11テロ、アフガニスタン・イラク戦争、リーマンショック、東日本大震災に原発事故と、大きな事件が次々に起きています。『発言者』と『表現者』は、それぞれの事件をただジャーナリスティックに追うのではなく、文明論的な視点から、それぞれの事件の意味を解釈するという路線を貫いてきました。

いや、ジャーナリズムの本義が「(社会で起こったことの)記録」であることを思い出すなら、言葉本来の意味でのジャーナリズムの実践だったということもできるでしょう。月刊・隔月刊ですから日々の細かい事件を扱うことはできませんが、その時々の世相を揺るがす事件を取り上げ、世論の混乱を指摘しながら、物事の総合的な見方を示すべく論陣を張る。『発言者』と『表現者』の24年の蓄積は、今の時点から振り返ると、平成日本の言論史を考える上で重要な資料群になっていると思います。

このたび、『表現者criterion』はその遺産を引き継ぐことになったのですが、今回、編集実務をやってみて、あらためて雑誌の維持・運営の難しさを思い知らされました。雑誌の維持・運営には執筆者の原稿集めだけでなく、編集や事務に関わる人手と時間が必要です。それらを回すには金銭面での手当が必要になるのですが、昨今の出版事情では、雑誌の維持に必要な最低限のお金を工面するのも容易ではありません。
四半世紀にわたり雑誌を続けてこられた、西部邁先生(とご家族)の苦労は並大抵のものではなかったと、自分がその立場の一端を担うようになって痛感させられることしきりです。

と同時に、雑誌を発行するということは、ただ完成品を市場に出せば終わりなのではなく、雑誌ができるまでのプロセスでさまざまな打ち合わせを行い、人を巻き込み進んで行く、一個の運動なのだということも実感させられました。月並みな言い方になりますが、一つの雑誌が出来るまでには、実にたくさんの人の協力が必要になります。

この24年で、出版を取り巻く状況は様変わりしました。紙媒体から電子媒体への移行は進んでいますし、それに合わせて、言論を打ち出したり保存したりする手段も変化しています。『表現者』も遅まきながら、ホームページやメルマガなど、電子化への対応を始めました。吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、紙媒体だけでは雑誌の運動を続けていくことが難しい時代になっているのは確かです。

以上、裏話めいた話になってしまいましたが、「危機の中での平衡」というこの雑誌のポリシーが、雑誌の運営・実務面においても求められているという現実について記してみた次第です。これからも思想誌を続けていくには、たくさんの障害が出てくるでしょうが、その一つ一つを関係者・読者のご協力を得て乗り越えていければと願わずにはいられません。

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