【川端祐一郎】会社を辞めるべきかどうか

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

 こんにちは、『表現者criterion』編集委員の川端です。ちょっと風邪を引いてしまい、幸い今日は大学での事務がないので、自宅にこもってこのメルマガを書いています。

 先日、新井さんという読者の方(32歳・会社員)から、「会社を辞めたいと思っている。いまの会社に特に不満はなく、安定もしているが、やりがいを感じることが難しくなってきた。地元の東北に帰って、地域に貢献できるような起業をしたいと考えているのだが、どう思うか」という趣旨のメールを編集部あてに頂きました。メールの全文は、下の方に貼り付けてあります。

 今回は、ちょうど昨年会社を辞めたばかりの私が、思うところを述べさせていただこうと思います。しかし私は新井さんと年齢もあまり違わず、新井さんより人生経験が乏しいかも知れないぐらいで、人の相談にお答えするというような立場ではありません。ただ、境遇にかなり似ているところがあるため、つい最近同じようなことについて考えた「同志」としての体験談を、何かの参考になればと思って書くことにしました。

 私も新井さんと同じく、就職活動時は第一志望の会社に入りました。というか、面接の練習にと思って別の会社も1つ受けましたが、実質的には第一志望しか受けていないという状態に近かったです。入社後も境遇にはめぐまれていて、自分が一緒に仕事をしたいと思うタイプの人ばかり集まっている部署に引っ張ってもらっていましたし、その会社でできることの範囲内では興味を持てるプロジェクトに携わることが出来ました。ただ失敗ばかりで、多額の損失を出して申し訳なく思っているのですが(笑)、それでも伸び伸び仕事をさせてもらえる環境でした。

 労働時間は長かったですが、大学のサークルにいるようなノリで楽しく仕事が出来ていました。新井さんの会社の規模は分かりませんが、私がいたのはいわゆる「大企業」で、待遇も悪くはなく、私自身は残業をする方でしたが嫌であれば強要はされない文化でした。だから私も同じように「仕事は大変だが悪い会社ではない」と感じていて、辞めたいという強い理由はありませんでした。もちろん経営者の方針に違和感を持つこともあったし、仕事をしてれば腹の立つことはいくらでもあるのですが、それも含めて良い職場だと思っていました。

 ただ、私のいた会社は保守的な組織だったので、「保守思想誌」の編集委員である私が言うのも変なのですが、刺激に乏しかったとは思います。それで、新井さんと同じように「待遇もそこそこだし、特に嫌なことがないのだが、どうも強いやりがいを感じることができない」という社員が何割かはいて、毎年何人かは知り合いが辞めていきました。しかしそれは大きい会社ならどこにでもあることで、珍しい話ではありませんね。

 今私は大学にいるのですが、計画的にそうしたわけではなく、たまたまお声掛け頂いたというものです。しかし大学に来るという話がなかったとしても、そろそろ転職を考えていた可能性はかなりあります。研究職や専門職は別として、会社員というのは一つのことを突き詰めるのが難しく、何をやるにも中途半端になりがちです。軌道に乗ってきた仕事を人事ローテーションで手放すとか、会社の判断で撤退せざるを得ないとか、逆に今やっている仕事を中止して新しいことをやるのも難しかったりしますよね。

 で、中途半端な、つまり比較的「浅い」仕事をすることが宿命づけられているのが一般的な会社員なのであれば、少しは「広い」範囲のことをやりたいなという気分がありました。一社に留まって「狭く浅い」ことをするよりは、何十社も渡り歩くことはできなくても、せめて複数の現場を経験して「広く浅い」ことをするほうがマシなのではないかという感じです。新井さんの場合は起業をお考えだということなので「深い」方の世界に行かれるのだと思いますが、「狭く浅い」ところに留まることに退屈や焦燥を感じるという意味では似ているような気がします。

 私の場合、先ほど申し上げたように誘っていただいたものであることと、起業のような経済的リスクを背負うわけでもなかったので、今回は転職に当たって悩むということがあまりありませんでした。ただ、悩むことはなかったのですが、辞めてみると、いわゆる大企業にいたからこそできたことがたくさんあったことには気付かされます。使える予算が大きかったことや、取引の幅が広かったので色々な業界の現場の人たちと交流できたこと、何十万人という規模の組織がどのような力学に沿って動くのかを現場で観察できたこと、等です。

 何を基準にして人生の決断をするかというのは難しい問題ですが、嫌いな基準の例を挙げるのは簡単です。アメリカではIT長者が大学の卒業式で演説をすることが度々あるようで、ネット上の動画でも見ることができますが、Appleのスティーブ・ジョブズやFacebookのマーク・ザッカーバーグなどたいていの経営者は、大雑把にまとめれば「やりたいことをやろう」と言っているだけで、全く感心できる内容ではありません。新井さんのように「やるべきこと」は何かを考えることのほうが大事だと私は思います。

 私が見た中では、Amazonのジェフ・ベゾスだけがちょっと含蓄のあることを言っていて、彼の演説は次のような言葉で締めくくられます。

 ”Build yourself a great story.”(よい物語として自分の人生を築き上げてください。)

 彼がプリンストン大で行ったこの演説は、『才能と選択』と題されていました。自分が80歳ぐらいになって人生を振り返るときに思い起こされるのは、「俺は優秀な人間であった」というような、生まれ持った才能なんかではないだろう。むしろ多くのエピソードとともに、「人に優しくできたかどうか」「失敗を素直に認められたかどうか」「困難から逃げずにいたかどうか」といった、自分の「選択」の数々が「物語」として思い起こされるに違いない。だから、最期によい物語として語り得るような選択を続けていってください、みたいな話です。

 私自身もどう行動すべきかで悩んだときに、「後々、どのように語り得るか」を基準に決めた場面は何度かあったような気がします。その時々の「感情」や「損得」の計算に、行動はどうしても制約されるものですが、ふと冷静になって「将来振り返った時に、どんなストーリーで語れるか」を想像してみることで、自ずと取るべき選択肢が決まるようなことはあるように思います。「そんなダサい話、人にしゃべれるわけないだろう」と思うような方向は、避けるというのもありますね(笑)

 先のベゾスの演説には、「リスクを取ってなんぼ」みたいなビジネスマン的冒険主義の臭いも少しあって、そういうのは私は嫌いなのですが、一方で次のキルケゴールの言葉はときどき思い出します。

 「世間の眼から見ると冒険は危険である。なぜであるか? 冒険には失敗の可能性がつきまとうから。冒険しないこと、それが賢明である! しかし我々は、冒険さえすれば容易に失うことのないもの(仮にほかにいかに多くのものを失おうとも)を、かえって冒険をしないために恐ろしいほどやすやすと失うことがありうるのである──すなわち自己自身を。」(『死に至る病』より)

 冒険が自己を作るとまでは言えないでしょうが、生活というのは大小様々な冒険から成っていて、冒険からの逃避が「自己の喪失」に繋がる局面は多々あるように思います。我々は、その冒険に「自己自身」の存在がかかっているように思われる場合は、決して逃げてはならないのでしょう。チャップリンが「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」と言っていたと思いますが、どんなに真剣な「冒険」をしているつもりでも、最後に振り返れば、案外滑稽に見えるのかも知れません。でも、どうせなら「よりよい喜劇」を演じられるよう努めたいと思っています。

新井さん(男性、32歳、会社員)からのご質問

是非相談させてください。当方32歳で都内で会社員をしている新井と申します。よろしくお願いします。
私は大学院を卒業後入社した会社に約8年間勤めています。
特に今の会社に取り立てて不満があるわけではありません。就職活動中も第一希望郡の会社でした。
ですが元々会社を選ぶ基準として待遇や安定性しか考えておらず、就職活動中には
「仕事を続けてれば面白くなることもある」とか「仕事はあくまでお金を稼ぐ手段で人生を捧げるようなものじゃない」と考えており、自分の人生について真剣に向き合ってこなかったと思います。
今の会社には8年間努めておりますが今の仕事に対してあまりやりがいを感じることができません。(仕事は大変ですが悪い会社ではないと思うのですが)
自分も数年前に30歳を過ぎ、自分の人生は本当にこのままでいいのだろうか?と感じるようになり
自分の今後の生き方について真剣に悩んでいるところです。
色々と考えているのですが現在勤めている会社を辞め、地元(東北)に戻り地域に貢献できる仕事(起業することになる)をしたいと思っています。
両親にはまだ話していないですが長男の私が地元に戻ってくることに対して、
嬉しい気持ちもある反面、安定した生活を捨てることに対して不安な気持ちも強いかと思いますし、それは正直に言って私自身も同じ気持ちです。
最終的には自分自身で納得いくまで考えた上で決断しようと思いますが、判断する上でのご助言等いただけると大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。

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