こんにちは、浜崎洋介です。
今回は、峻亮さん(二十四歳・男性・学生)からの「政治と生活について」という質問に答えてみたいと思います。というのも、峻亮さんの疑問というのは、私自身も含めて、若い時なら誰でも抱く切実な疑問(不安)であると思えたからです。
現在、学生であるという峻亮さんは、しかし、以前に正社員として働いた経験もあって、「日々の生活のことに追われるようになると、世間で起きていることに対して関心が薄れて」いってしまうのではないかという不安を訴えていらっしゃいます。その上で、これから先、生きていく上で「政治への関心と生活への配慮」をいかに連関させていけばいいのか、あるいは、それらを連関させる規準のようなものはあるのかという質問をされています。(質問文の全文は、いつものように最後に掲載しておきます)。
実は、この質問を読みながら、私は、私自身がある「政治運動」(NAMという左翼運動です)に挫折した頃のことを思い出していました。それも丁度、大学卒業後の1、2年ですから、ほぼ峻亮さんと同じ22、3歳頃の出来事だったことになります。
これは「恥」として言うのですが、その頃の私といえば、週に7冊の本を読み、10本以上の映画を見、劇場や美術館に通いながら、政治経済の学術書にまで手を伸ばすといった、いわゆる「意識の高い」学生でした(…完全なバカです)。しかし、NAMに挫折した後の私は、これまでにしてきたことの全てが間違いであるような気がしてきて、何もかも手につかなくなってしまったのでした(一切の「思考」を拒絶して言葉から逃げていました)。
しかも、進学するでもなく就職するでもなく、世間に投げ出された私は、それでも糊口をしのぐためにはじめた慣れない仕事(塾の講師)に四苦八苦するばかりで、次第に、かつての「意識の高さ」は見る影もなくなっていったのでした。
しかし、今から考えると、その経験は本当に貴重なものだったと思います。その挫折の経験が、私の中にあった「不要」なものの一切合切を洗い流してくれたとでも言いましょうか、その挫折によって私は、自分にとって、何が本当に「必要」で(恋人、友人、師匠)、何が「不要」なのか(知識、意識の高さ、背伸び)、その「欲望の整理」をつけることができたのでした。言葉を換えれば、自分が「どん底」にいると思ったとき、何が支えになって、何が支えにならないのかを見極めることが出来たのだと言ってもいいかもしれません。
ただ、不思議だったのは、そんな風に「欲望の整理」がついていくと、社会に対する「関心」を放棄していたはずの私のなかから、次第に、社会への「想像力」が自然と湧き上がってきたことでした。でも、それは、以前のような「背伸び」をした興味関心ではありませんでした。それは、「社会はこうなるべきだ、ああなるべきだ」、といった観念的な「べき論」ではなくて、むしろ「こうすれば、こうなるよな」、「ああすれば、ああなるよな」といった、まさしく「常識」に基づいた「判断力」とでもいったものだったのです。
ところで、この「判断力」とは、人間にとって「何が支えになって、何が支えにならないのかを見極めること」と無縁ではないばかりか、むしろ、それを見極めた経験においてのみ、初めて応用が利く想像力だと言えないでしょうか。言い換えれば、自分にとって何が必要で何が不必要かも分かっていないような人間が、他者における真実と装飾を見分け、その行為の是非について想像したり判断したりすることはできないということです。
しかし、その想像力さえ持ってしまえば、後は何を見ても、「そりゃ違うでしょ」とか、「やっぱり、そうなるよな」といった判断は自然と湧いて出てくるものです。また、そこまでくれば、その判断の正しさ確認するために時に本などを繙くという意欲も出てくるのかもしれません。しかし、注意して頂きたいのは、この時、私の関心が「本」から「生活」に向かっているのではなくて、逆に「生活」から「本」向かっているということです。
いや、もうその時点では、むしろ、意欲(関心)は抑えることができないと言った方が正しい。なぜなら、その自己と他者との関係性を確認しようとする意欲自体が、他者によって支えられている私の「必要」、その「切実さ」によって動機づけられているものだからです。
いや、だからこそ、この意欲を「政治への関心」と呼んでしまうとズレてきてしまうのです。それは、「持つ」とか「持たない」とかいうものではなく、生きてしまっているものとしてのみ、その真実性を担保しているものなのです。逆に言えば、真実味のない「政治への関心」など「関心」でも何でもない。いや、そんな「関心」なら捨てるに如くはないとさえ私は思います。それを捨ててもなお残るもの、それだけが「必要」なものなのです(もし、その「必要」も残らなかったのだとしたら、それはそれで構わないではありませんか)。
その意味で言えば、私は、不必要に社会に「関心」を持っている「政治的人間」や「意識の高い人間」が大嫌いです(もちろん、かつての自分への批判を込めていますが)。特に、親のすねをかじっているにもかかわらず、昨日今日仕入れた知識でペラペラと政治経済論を繰り出す「学生」が私は大嫌いです。それに比べれば、自分の足元だけを見つめて、日々の生活に黙々と打ち込んでいる人間の方が、数千倍、いや数万倍尊いと私は思う。
最後に私の好きな小林秀雄の言葉を引いておきましょう。この言葉を腹に落とすことができるのかどうか、私は、それこそが決定的な点だと思っています。
「空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅かな土地しか踏む事は出来ぬ。永生を考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。沢山の友達を持つ事も出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。腹から合点する事柄は極く僅かな量であり、心から愛したり憎んだりする相手も、身近かにいる僅かな人間を出る事は出来ぬ。それが生活の実状である。皆その通りしているのだ。社会が始って以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやって行くであろう。文学者が己の世界を離れぬとは、こういう世界だけを合点して他は一切合点せぬという事なのであります。」「文学と自分」昭和十五年十一月
補足しておけば、この言葉は日本が泥沼の日中戦争を戦うなかで書かれたものです。
まずは「生活」を大事にしてください。すると、次第に「生活」は「生活」だけで成り立っていないことが見えてくるはずです。そして、その時なのです、本当に「思想」が必要になってくるのは。あるいは、「社会的関心」が生きられはじめるのは。
果たして、峻亮さんの質問に上手く答えられたかどうかは分かりませんが、以上を、私からの答えにさせていただければ幸いです。長々と失礼しました。
いつも雑誌「表現者」で勉強させていただいております。
これからも「表現者criterion 」を購読するという形で、陰ながら応援させていただきたいと思っております。
今回は、政治・社会問題に対しての距離のとり方についてご質問させていただきます。
私は2、3年ほど前までは政治・社会問題に対して積極的な関心を持っておりました。
雑誌「表現者」をはじめ、「表現者」執筆者の方々の著書を拝読し、社会問題について常に意見を持つように心がけてきたつもりでした。
しかし、日々の生活のことに追われるようになると(短い期間ではありましたが正社員として仕事をしていたのです)、世間で起きていることに対して関心が薄れていき、いつの間にか、良質な議論が世間でなされるはずがないのだ、と勝手に自分に言い聞かせるようになっていました。
結果として、今回の財務相の公文書の改竄の件についても、「どうせこの事件もいつものドタバタ喜劇に過ぎないさ」といったような冷笑的な見方をして、自分が高みに立ってでもいるかのような態度をとるようになっていたのです。
藤井さんが「表現者メルマガ」で今回の不正の重大さを指摘されているのを拝読し、慌てて自分の意見を修正した自分が情けなくもあり、同時に自分の中の基準が確固としたものから程遠いということを、そして、自分の慢心を自覚するに至りました。
そこで、日々の生活に追われながらも政治・社会問題に対して積極的な関心を持ち続けるためには、自分の生活的実践と政治・社会問題に対する構え方、論じ方を相互に関連させていく必要があるのではないかと考えるようになりました。
しかし、本当にそういうことが可能なのかどうか悩んでおります。
もちろん、政治は私たち国民の生活を保障する役割がありますから、それは自分の生活とも関連させることが出来そうな気もするのですが、それではあまりに視野が広くなり過ぎて、日々の生活の中の実践と繋がってこないような気がするのです。
政治を考えるための基準と、自分自身の日々の生活を貫く基準に共通するものを見出だすことは可能でしょうか?
また、政治への関心と生活への配慮を怠りなく持つように心掛ければ、いつしか自分の中に確固とした基準を持つことができるようになりますでしょうか?
纏まりのない文章になり大変申し訳ありませんが、お答えいただけたら幸いです。
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