『表現者criterion』メールマガジン

【浜崎洋介】「直感」を信じる勇気――『江上茂雄風景日記』を見て

From 浜崎洋介(文芸批評家) 

 先週のメルマガでは「すき間」に育つ「智力」というものについて、岡潔の言葉を引き合いに述べましたが、先日、まさにその「すき間」を縫って、武蔵野市立吉祥寺美術館で開催されている『江上茂雄風景日記』という展覧会に行ってきました。

 この展覧会は、NHKの日曜日美術館という番組で知ったのですが、江上茂雄の絵が紹介された瞬間、それまでボケーと朝飯を食べながらテレビを眺めていた私は、突然、画面に釘付けになってしまいました。そんなことは、一年に一、二回あるかないかといったことですが、それ以降、展覧会に行くチャンスを伺いながら、ようやく先日、その時間がとれたという次第です。

 絵を見てもらえれば分かると思いますが(江上茂雄の画像検索ページ)、江上茂雄の作品(風景画と、花などの細密画が主なものです)は、徹底的に単純であると同時に、どこかしら烈しく、また繊細で、展示作品数こそ少ないものの、その手応えは期待に違わず素晴らしいものでした。

 とはいえ、私自身も含めて、江上茂雄と聞いて「ああ、あの人ね」と思える人は、美術業界でも少ないのではないでしょうか。というのも、江上茂雄という画家は、2014年に102歳で死ぬまで、ほとんど地元(福岡県最南端の大牟田市と、それに隣接した熊本県荒尾市)を離れず活動をつづけたアマチュア画家(絵をお金に換えなかった人)だからです。

 12歳の時(1924年)に父を亡くした江上さんは、高等小学校を卒業すると同時に(15歳)、家計を支えるために三井三池鉱業所に入社し、以来、専門教育とは無縁に、日曜や勤務後のわずかな「すき間」を見つけて、地元周辺の風景を描き続けたという人でした。退職してからは、小さな「個展」のために、死ぬまでのおよそ40年間、「正月と台風の日を除く毎日」、一枚以上の風景画を描き続け、ようやく大きな「展覧会」が美術館で開催されるようになったのは、死ぬ間際の2013年、101歳の時だったということです。

 こういう「孤高の画家」というのは、日本の画壇で言えば、田中一村(1908-1977)や、高島野十郎(1890-1975)などが思いつきますが、しかし、江上さんほど「教育」がない画家というのは、やはり珍しい。事実、江上さんは、高級な岩絵具を必要とする日本画も、キャンバスと油絵具を必要とする油彩画も描かず、ただひたすら画用紙にクレヨンやクレパスで(退職後は水彩で)絵を描き続けたという人でした。児童向けの画材を使いながら、しかし江上さんは、主に小さい画用紙に、ときに600×800mmくらいの大きな画用紙に、ただひたすらに自らの「直感」を形にすることに喜びを見出した人だったのです。

 こういう画家に出会うと、私は常に、その「純粋直感」の強度と、それに比例した視覚の正確さ、そして、その「直感」という「根拠なく与えられたもの」を信じようとする心の強さに動かされます。言い換えれば、社会的物差し(社会的有用性や他者承認)とは別に、自らの「宿命」を信じようとするその「勇気」と、その「勇気」によって見つめられた世界の眺め、つまり、覆い(社会的意味)なき世界の姿に心動かされるのです。

 言うまでもないことですが、〈自然=世界〉は、私たちが、そこに意味の覆いを被せる前から、ずっとそこに存在している実在です。その意味では、科学的法則や政治経済的秩序(意味)は、「自然」の手触り、あるいは実在との交わりの一部を切り取ることによって、事後的に成り立っている「虚構」でしかありません。もちろん、「虚構」だからと言ってバカにする必要はないので、私たちは他者と共に生きるうえで(人と情報を交換する上で)、どうしても、その「記号的虚構の世界」を必要としているのも疑いようのない事実です。

 けれども、やはり「虚構」のなかに「自然」の実在を忘れ切ることもできません。ふとした切っ掛けから、度々私たちは「虚構」の破れ目を眼にします。他者との摩擦、見透しの挫折、抑えきれない欲動、意識を突き放してくる世界の不条理…。でも、そんなときなのです。「自分」という存在が、意味以前の存在として、今、ここに在るという事実を知るのは。つまり、そんな意味の破れ目から現れてくるもの、それこそが、意味を突き抜けて存在している「世界」、あるいは「自然」の姿ではなかったかということです。

 そして、それゆえに、ときに「知性」の「虚構」に疲れてしまった私たちは、どうしても真摯に物を見る営みを、つまり「芸術」を求めてしまうのではなかったでしょうか。

 最後に、江上茂雄の言葉から、特に「自然」について語った言葉を拾っておきましょう。「真摯」な人の言葉というものは、いつも単純な形をしています。

「一喜一憂せず、一生懸命やろうと決めてからは、大体風景を描きましたね。それはやっぱり、少年の目に映った自然といいますかね。風景だけが優しかったという記憶がありますね。人間は、そのときで人によって区別しますし。――ところが自然はもう、誰にでも同じ姿を見せてくれるというのはありましたね。それが、私が自然の風景の中にのめり込んだという理由はありますね。風景だけは優しかったということが、何と言いますかな、自然の風景にのめり込んだ、ということに繋がってはいますね。――お金がないから、遠くへ行ったりできないんです。「もう自分のおる所、自分の生まれた所、生きた所、終わる所、それを描くんだ! ほかの所はもう描く必要がない!」っていう風に。――「瀟洒な桜島を描いたり、歩くために歩くようなところを描くなんてことはせん」って言いましたね。自分の生きたところを描け、という風に思ったように思いますよ。――家の中で描ければ描いてもいいはずだけれども、やっぱし自然の中へ出て行くといいますかね、自然の風景に触れて歩いて行くと、向こうが「描いてくれ、描いてくれ」というような風で続けていましたからね…。」

 なぜ「自然」が、そして、ときにそれを模倣(ミメーシス)した「芸術」が私たちの心を医やすのかと言えば、そもそも私たち自身の存在が「自然」の一部であるからにほかなりません。地球が、どんなに「機械経済学」(ハイデガー)の「虚構」に覆われようと、その事実は変わりません。少なくとも江上茂雄の絵画はそれを示しています。

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