『表現者criterion』メールマガジン

【川端祐一郎】サッカーW杯と日本の組織

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教) 

サッカーのワールドカップで日本の敗退が決まりました。ワールドカップをテレビでまともに観たのは久しぶりだったのですが、日本代表のレベルが上がっているということは素人目にも感じられました。退場者を出したコロンビアにしか勝てていないし、健闘したと言われるベルギー戦も表面上の得点差以上に格の違いがあるようには思いましたが、ワールドカップに出始めた頃の日本はとにかく「決定力(得点力)がない」と言われていたのを思い出すと、課題は着実に解決されてきているのかなと思いました。

久しぶりに見たからこそ実感したことがもう一つあります。私が学生だった頃、たとえば2002年のワールドカップの年には香山リカ氏の『ぷちナショナリズム症候群』という本が発売されるなど、日の丸を掲げて日本代表を応援する若者の姿を「右傾化」と指摘する声が一部にあったのですが、最近はそういうものは見られなくなりましたね。授業や研究室の学生に聞いても、ワールドカップの応援で盛り上がるのを「右傾化」として警戒するような議論は特に聞いたことがないという様子でした。

サッカーの国際大会がナショナリズムや愛国心に影響を与えていることは間違いなく、スポーツと政治(と商業)の関係というのは学者の間でもよく研究されているテーマです。しかし日本に関して言えば、「右傾化」と結びつけて危険視するのも、それを「健全なナショナリズム」として持ち上げるのも、いずれも立場が両極端であまり有益な論評ではないと感じていたので、無用な党派的対立にエネルギーを割かずに済むようになったのも一つの進歩かも知れません。

ところで今回気になったのは、ワールドカップ参加に至る過程での監督の交代や、ポーランド戦のスタメンが事前に漏れていたこと、そして西野監督の後任情報も真偽不明のまま報道されていること等を挙げて、日本サッカー協会の組織マネジメントに対する批判が起きていることです(特にハリルホジッチ監督解任の際は多くの批判がありました)。「選手・コーチ・監督は優秀なのに協会の迷走が…」というわけです。私は事情を良く知らないのでサッカー協会への批判が妥当かは判断できないのですが、一般論として考えておきたいことがあります。

『表現者クライテリオン』の執筆者である松原隆一郎先生が、5年前に『武道は教育でありうるか』という大変面白い本を出されています。同書の前半では全日本柔道連盟の組織としての閉鎖性や硬直性が、パワハラ等の不祥事への対応や人事に関して多くの問題を引き起こしていると指摘されており、競技の裾野も選手の実力も世界トップである日本の柔道界が、衰退の危機に直面していると言われます。その後レスリング界でもパワハラ問題が明るみに出たように、他の競技でも組織マネジメント上の問題は多かれ少なかれ存在するのかも知れません。

柔道界のパワハラのような事件がサッカー界で起きているという話は聞かないので、同列にしてはいけませんし、繰り返しますが私はサッカー協会の組織について事情は何も知りません。ただ「現場」と「上層部」が上手く噛み合わないという問題は、スポーツに限らず様々な組織で生じているもので、一般論として考えるに値するテーマです。「現場は優秀だが上層部が無能」というのは、日本の組織を語る際によく聞かれるフレーズで、企業経営についても、大東亜戦争の敗北についても、同じように論じられているのは皆さんご存知だと思います。

実例が山のようにあるので、「現場は優秀だが〜」というのはひとまず事実であることが多いと思っているのですが、『踊る大捜査線』の「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」というセリフに象徴されるように、しばしば「現場軽視」の問題として語られるのには違和感があります。私は、真の問題は「現場軽視」よりもむしろ「現場主義」にあるのではないかと思っています。現場で活躍することが「有能さ」の唯一の証になっていて、「現場で得られない知識」や「現場では発揮されないスキル」が軽視され過ぎではないか、と。

松原先生は先ほどの書籍の中で、競技で一流の実績を挙げた人材が指導者や管理者として過度に重用される傾向を指摘しておられます。選手として活躍するのに必要な能力、選手を指導するのに必要な能力、そして組織全体をマネジメントするのに必要な能力がそれぞれ異なるというのは当たり前だと思いますが、そのことがあまり顧みられない傾向にあるのかもしれません。企業経営においても、現場業務を超人的に極めた「スーパー担当者」が管理職として成功するとは限らないのですが、そのことに我々日本人は鈍感ではないでしょうか。

現場主義の延長でもう一つ、「評論」という行為にあまり価値が認められられないことも気になります。セルジオ越後氏が下記の記事で、日本のスポーツ報道について「勝ったときは大フィーバーで、負けても『感動をありがとう』と言ってブームを作り出そうとする。これでは一過性のブームで終わってしま」うと指摘しているのですが、これは要するにスポーツを「論ずる」という行為があまり定着していないからでしょう。ビジネスでも、「あの人は評論家だから」というのは「経験がなく、論ずることしかできない」という意味の悪口です。
https://toyokeizai.net/articles/amp/139901

現場から距離を置いてこそ持てる広い視野や分析力というものもあるはずで、それがどういうものなのかをしっかり考えておかないと、いつまでも現場しか育たないような気がします。現場経験が豊富でも、その内容を上手く言葉にできない人は少なくないと思いますが、それでは人に伝わりません。一方で、当事者としての現場経験が乏しくても、高い取材力・分析力・表現力を持った人材は実はたくさんいるはずで(優れたスポーツライターやビジネスライターはそういう人人々でしょう)、彼らが作り出す言葉には高い価値があると思うべきです。

書いているうちにスポーツの話とビジネスの話がごっちゃになってしまいましたが、要するにいずれの場合も、「現場」と「指導層」と「評論家」の三者がお互いに敬意を持って、それぞれの価値を認め合いながら協力することが重要なのだと思います。そして我々日本人は現場偏重の結果、指導層が担うべき独特の役割や、評論家がもたらす独特の価値を、見過ごしていることも多いのではないか。久々にサッカーワールドカップを観戦し、報道を読みながら、そんなことを考えました。

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