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【公開】クライテリオン3月号特集2鼎談 愛国が故の「反日」とは、一体何なのか?

啓文社(編集用)

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表現者クライテリオンメールマガジン読者の皆様、こんにちは。

今回はクライテリオン最新号でのもう一つの特集、「愛国」としての「反日」について、表現者クライテリオン誌の考え方を広くお伝えすべく、特集鼎談(愛国が故の「反日」とは、一体何なのか?)を一部公開いたします!

表現者クライテリオン創刊4周年記念シンポジウムのテーマでもある”「愛国」としての「反日」”。藤井編集長が前田日明氏、小幡敏氏を交えて真正面から語ります。是非ご一読ください!

 

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愛国が故の「反日」とは、一体何なのか?

前田日明×
小幡 敏×
藤井 聡

 

日本人には、時代を超えた本質的欠陥がある
藤井▼今回のテーマは「『愛国』としての『反日』」です。反日というと一見、愛国とは無縁、ないしは正反対の言葉のように聞こえますが、現代の日本では愛国を深めれば深めるほど批判的、反日的にならざるを得ないという側面がある。人間関係では愛憎半ばすることがしばしばですが、それと同様に日本を愛するが故にその日本の欠陥に対する無念の気持ちや憤りが拡大すれば、反日といわざるを得ないような徹底批判を繰り返さざるを得なくなる。
 今回ご出席いただいた前田日明さんが昨年に出版された『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』(サイゾー)という本は、まさにそのテーマと重なるものです。今の日本はとんでもない状態で、デフレ対策や防災対策、そして新型コロナ対策についても驚くほどに稚拙で幼稚な対応しかできておらず、民はあらゆる災禍に苦しめられ続けている。結果、様々な研究機関が発表する「幸福ランキング」でも、先進国とは思えぬほどの「不幸」な状況に置かれていることが様々な指標で明らかにされている。本来日本人が持っているポテンシャルからするともっと幸せになってもいいのに、あらゆる領域で歯車が少しずつ狂ってしまい、とてつもなく不幸になっている──その悔しさが前田さんのこの本全体からにじみ出ています。
 とりわけ前田さんは、今の日本を考えるときに大東亜戦争と現在とを一つの連続的なものとして捉え、現代日本の問題は、戦前からずっとあったのだという発言を繰り返してこられた。ついては、本特集の「『愛国』としての『反日』」の問題を語っていただく上で、最大の適任者であろうということで本日お声掛けさせていただいた次第です。
前田▼どうもありがとうございます(笑)。
藤井▼そしてもうお一方は、小幡敏さん。小幡さんは第一回表現者賞の受賞者で、受賞後、本誌でも様々に寄稿いただいている若手執筆陣のお一人です。小幡さんはこの度、本特集を企画するきっかけとなった同名図書『「愛国」としての「反日」』を上梓され、三月に出版が予定されているところですが、まず、その本の内容について簡単にご紹介いただけますでしょうか。
小幡▼前田さんの『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』とも重なるところから話をさせていただくと──今の日本には、「こうしなければいけないと誰もが理解しているし納得もしていること」が、なぜか「できない」ということが実にたくさんあります。
藤井▼それこそデフレ脱却とか、防災対策とか、オミクロン対策だとか、全部そうですね。
小幡▼そうです。私はかつて自衛隊にいましたが、自衛隊にもそんな問題がたくさんあった。ですが、その問題点を何とかしようと口にすると、周囲の人たちは皆スグに「そんなことを言ったって仕方がないじゃないか」と言う。これは一体なんなんだと常々思っていたんですが、戦前戦中の日本軍の話をあれこれ読んでいると、全く同じような記載がたくさんありました。
 例えば山本七平の本の中にも、日本軍の問題を語ろうとすると「そんなこと言ったって仕方がないでしょう」と返されたという話が載っている。それを思うと、日本において、直面する問題に対して有効な打開策を取ることができないというのは、現代だけの話なのでなく、日本人の中に時代を超えて存在する欠陥があり、その結果として招かれたものなのではないかという疑念が生じるわけです。
 そしてそれを認識することは、日本や日本人の本質を批判することになるので、反日的な色を帯びざるを得ない。しかしながらそれは、日本を愛する上で必要な作業に違いない、という気持ちに基づく努力なんです。
藤井▼これは日本人の本質に迫る話ではないかと思います。もちろん、日本の伝統はこれだけ長く続いてきたわけですから、何もかもが問題だというわけではないでしょうし、皇統をはじめとして、いわゆる保守の人たちが「日本人の美徳」と評価するところが皆無だと言っているわけでもない。しかしそれにもかかわらず非常に本質的な欠陥があるのではないか、そういうふうに僕も感じます。
 とりわけ、その日本人の本質的な欠陥、あるいは劣等性が導く弊害が、黒船来航以降の「近代」においてどんどん肥大化してきている。その結果、デフレは終わらないし、政府の腐敗も、社会のアノミー化(無秩序化)も止まらなくなっている。
 それに対してどうにかしようと努力し始めれば、周りからスグに「しょうがないよ」と言われると小幡さんはおっしゃいます。この『「愛国」としての「反日」』という本は、そういう「しょうがないよ」という巨大な空気に対する、戦いの書といいうるものです。
 小幡さんは大学を卒業してから五年間、自衛隊に幹部自衛官としてお勤めになり、その限界を認識するに至ります。自衛隊は日本の国の中で全く日の当たらない、認知されない「不義密通の子」のような存在であり、まともに国軍として機能し得ない存在であることを痛感する。そして、そんな状況に自衛隊を放置している以上、日本が自律した国民国家になり得ないとも認識する。そしてその結果、そんな自衛隊という存在を国軍として認知し、位置づけることこそ、自衛隊を本格的に機能させる必要条件であると同時に、日本の国家そのものが真っ当になるための絶対的必要条件となると確信する。結果、自衛隊を辞し自衛隊を国軍にするための言論活動、ないしは言論の戦に従事することを決断されるわけですね。いわばこの本はその言論の戦を始める狼煙、なわけです。

「日本の欠陥」の源は、
日本人が国家・国益という概念を理解していないところにある
前田▼小幡さんの『「愛国」としての「反日」』を読んで僕は、海軍の戦闘機パイロットだった坂井三郎さんの言葉を思い出しました。坂井さんの晩年、懇意にしてもらったのですが、その中で「前田君、日本人というのは戦前も戦後も何も変わっていないよ」と言うんですね。「何が変わっていないのですか?」と聞くと「日本人はねえ、責任を取らないのだよ。だから何も変わらずにうだうだになっていく。これは本当に日本人の一番悪い癖だよ」と言っていたんですね。
藤井▼戦争はそもそも闘って勝つことが目的であって、軍人は全員「勝つための戦い」に従事する「責任」を負っている。ところが日本人に責任を取らない癖があったとすれば、日本が戦争になんて勝てるはずなんて絶対ない。だから日本の敗戦の最大の原因は、坂井さんがおっしゃる「責任を取らない」という日本人の悪癖だともいえる。今の官僚も政治家も皆、国民を豊かに、国家を繁栄させる責任があるのに、彼らが一切その責任を取らないとすれば、日本が豊かに繁栄するなんてことに絶対にならない。まさに最大の悪癖、ですね。
前田▼あと小幡さんの本で衝撃的だったのは、旧軍では下士官と士官の間でいろいろと軋轢があったのですが、それとほぼ似たようなことが今の自衛隊の隊内でもあるのだということです。自分としては、自衛隊はアメリカ軍に倣って旧軍の悪い体質を全部払拭したものができているのかなと思っていたんですが、それが今も残っているということに本当にびっくりしました。
 例えば戦争中にフィリピン戦線に下士官として行っていた方がおっしゃっていたそうなんですが、士官連中は偉そうに口ではずっと立派なことを言っていたのに、戦局が悪くなると結局、フィリピンから飛行機に乗って逃げちゃったそうなんです。その結果、下士官連中は山の中に逃げるしかなくなったそうなんですね。
藤井▼つまり、上司の士官たちが責任をまるっきり取らないから、下士官は見殺しにされてしまうような状況に追い込まれてしまったわけですね。それでは絶対に戦争になんて勝てない。
小幡▼日本軍の高級将校の中には自分のかわいがっていた現地の商売女を連れて山に入るような人までいました。その女の子の着物とか日用道具を部下の兵隊に担がせて山に入らせるっていう、そんなふざけた話もあったそうです。そういう旧軍の目を覆いたくなるような事例はいくらでもある。そんな体たらくにもかかわらず、上は下に大言壮語して発破をかけ、無謀な方針を立て、「生きて帰るな」なんてことを平気で強制し、敗戦後はけろっとして日本再興のために生きよう、なんてことを説く。蓮田善明が終戦後にそういう上官を撃ち殺して自決する気持ちというのも分からなくはない。
藤井▼ホントそうですね……。
小幡▼そういう話は「旧軍がいかに悪かったか」ということのエピソードとして使われることが多いんですが、今の日本にも似たようなことはたくさんあるはずです。それは政治の場でも会社でもどんな領域でもそうです。事実、日本人がとにかく責任を取りたがらないというのは皆さんが常日頃から感じていることだと思います。そして、誰も責任を取らないでよい意志決定しかできないために、信じられないような無策の中で日々日本の社会や組織は弱体化しているといってよいでしょう。
 そもそも日本人が責任感を持つためには、日本人の信じる道が必要です。宗教といって憚られるなら、「ご先祖様」でも「お天道様」でも構いませんが、自分の倫理を支えるものが我々の外側になければ、どうしたって人間は利欲に囚われてしまいます。そして日本人は、そういうものの手前にある国家や社会への帰属心さえ捨ててしまった。それでは日本人が責任感など備えるはずがない。
 例えば、前田さんが繰り返し『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』の中で言われていて私も印象に残ったものに「官僚みたいに頭のいい人たちがなぜこんな当たり前のことが分からないのだ」と言っていたというのがあります。でも彼らは、本当に「分からない」というわけでもないのではないか。彼らも普通人以上には利口です。彼らが分からないのは政策論なんかじゃなくて、「国家」とか「国益」そのものなんでしょう。前田さんの本で、「省内で国益のことを言うと失笑されるんだ」という元官僚の方のお話が出てきますけれども、それは失笑ではなくて「苦笑い」に近いものではないか。英語が分からない日本人が英語で話しかけられると苦笑いするように、人は分からないことがあると苦笑いするものです。それでいくと、官僚たちは国家とか国益というものが一体どんなものか本当のところで分からないから、国益の話をされると、苦笑いせざるを得なくなっている気がします。他のことが人一倍分かるもんだから、余計にばつが悪いんだと思いますが、これは官僚の問題である以上に、日本人の問題でしょう。
藤井▼なるほど、今の官僚や政治家たちが責任を果たすことができず、無責任であり続けている根本的な原因は、国家や国益という概念そのものが彼らにとってチンプンカンプンなものになっているからだ、っていうことですね──それは確かにそうですね。今のいわゆる「エリートたち」の大半にとって、国益の話や国益のための責任の話はもう完全に馬の耳に対する念仏になってます。
前田▼だから、例えば中韓が急速に発展してきた時に、日本国内において妙に自分を褒めるようになったりするんでしょうね。彼らは口々に「日本はこんなに素晴らしいんだ」「中韓なんてたいしたことないんだ」「でも日本は昔から世界から絶賛されている……」なんてことばっかり言っていた。でも僕はああいうのを聞きながら、これこそ日本の衰弱の始まりだと思いましたね。「日本スゴイ」というのは衰退する日本の断末魔の絶叫ですよ。
藤井▼おっしゃる通りですね。ホントに日本国家の国益を考えれば、そんなこと言って日本人の自意識を小手先で満たすヒマがあったら、どうやれば中韓に追い抜かれないようにできるのか、対抗できるのかを考え、実践すべきですからね。
前田▼そうです。例えば昭和三十年代、四十年代の日本がもっと元気な頃に社会を中心で動かしていた人たちが今も同じように働いているとすれば、中韓が発展してきたならば「モーレツ社員」として頑張って盛り返していったと思うんですよね。
 ところが今の日本人は、逆転され始めた時には、中国は本当はダメだとディスり始め、何の努力もしなかった。そして今、はたと気付けば圧倒的な格差が付いていたので、急に「もうしょうがないよ」と諦めたことばかり口にする。
藤井▼もう滅茶苦茶ですよね(笑)。
前田▼今やもう、一部上場企業、東証一部の多くが外資になってしまっている。普通はそういう国の基幹産業というのは政府が守ったっていいはずなのに、政府はそんなことを何もやらない。それで今回は台湾のTSMCという半導体企業に国の税金で五〇〇〇億も注ぎ込んで工場を作らせている。TSMCはそのカネを使って日本の技術者を雇って研究させて、その成果物は全てTSMCのものになる。そんなことをやるんなら、その五〇〇〇億円を日本の半導体産業に注ぎ込んで援助した方がずっといい。
 結局、今の政治家というのはロビイストなんですよ。
藤井▼そうですね。ロビイストは国のために働くんじゃなくて、特定勢力のために働く存在。彼らにはやはり、国家や国益という概念そのものがないから、彼らは結局、財界や特定業界の走狗になる他に政治活動の目標を見出すことができないわけです。だから彼らの多くは無責任の極みのような輩なわけです。
 この無責任構造ですが、別の角度からいえば「腐敗」(コラプション)ということができます。政治家が国のためじゃなくて何か別の目的のために行う政治活動は基本的に全て腐敗です。この腐敗のせいで、デフレ脱却も、防災対策もコロナ対策もできなくなっている。
 そして、「防衛」も全く不可能な状況になっている。
 小幡さんの本の中にも詳しく書かれていますが、「自衛隊は戦争になっても、マトモに戦うなんて無理だ」と、自衛官の多くが認識している。故障したまま修理されずに事実上放置されている機材は多く、「こういう攻撃をされたら、我が方は壊滅的ダメージを受ける」ということなど、問題として分かっていることがたくさんあるのに、そのための対策を図ろうとはしない。
 だから、「これではダメじゃないですか!」と内部で主張をしても「そんなこと言ったってしょうがないだろ」と小馬鹿にされる。これは無責任と言うこともできるし、腐敗していると言い換えることもできる。こうした腐敗が、自衛隊や政府、政治の中で蔓延ってしまっているわけです。
小幡▼僕は自衛隊のことしか正確に申し上げられないですけど、例えば、防衛大学に入ってくる優秀なやる気のある人間は在学中にほとんどが「なんだこれは」と言って辞めていってしまうそうです。あるいは任官拒否ですね。自衛隊に残った人というのはその良心の篩をくぐり抜けてきた人なので、やはりそれなりにやる気のない人や、他方面でも通じるような才覚を欠いた人たちばかりになるわけです。それは下士官兵も同様で、やはり「こいつは」と思う奴ほど自衛隊に未練を残さず辞めてしまう。
藤井▼防衛大学の中にも度し難い腐敗が進行しているということですね。

日本の大衆は、状況が悪くなった時、
改善努力ではなく楽観的な噂話に興ずるようになる
小幡▼ところで、外国に、そんな無責任がないのかといえば必ずある。腐敗も当然、外国政府の中にもある。それでもやはり、外国の方が日本よりもマシなのではないかと……。
藤井▼実際そうですね。成長率が世界最低を記録し続けていたりするのは、日本の腐敗がとりわけ進行してしまっていることの明確な証拠の一つ、ですね。死者数が欧米より圧倒的に少なく「さざ波」水準で、欧米より激しい行動制限をかける、っていうのも日本政府の腐敗の帰結ですね。
小幡▼じゃあ日本の何がいけないのかなと考えたときに、一つ思い当たるのは、福沢諭吉が『文明論之概略』の中で「衆論の向う所は天下に敵なし」と書いているんですね。ざっくりといえば、どんなに天下国家のために至当なことを考えられる人間がいたとしても、民衆が思っていることをそう易々と変えて導くことはできないという意味なのですが、やはりいくら上で調整をする旗降り役がしっかりしていても、そこは限界があるのだと思うのです。
 前田さんは先ほど「断末魔に聞こえる」とおっしゃいましたが、戦争で敗色濃厚になった時の日本軍でも同じような「断末魔」があったようです。当時の軍人たちの間で「前哨の島が一つ二つ獲られたって大勢に影響はない」とか、「蒋介石にいよいよとどめを刺すらしい」とか「今の速度で米軍が侵攻してきても内地に到達するには六十年かかるらしい」などという言葉が囁かれてたそうなんですね。これは今に置き換えると「尖閣一つ獲られたって」とか、「金正恩斬首作戦がついに実行されるらしい」とかいう与太話と同じで、こういう噂話をすることでなんとかして安心しているわけです。当然ながら、そんなことで状況が好転するなんてことはあり得ない。
藤井▼中国が崩壊するとかもその類いですね。要するに、都合の悪いことを覆い隠すために、楽観的な噂話を囁きだし、それを表面的に信じたことにして、必要な努力をなんらやらないまま、精神衛生を保とうとするわけですね。おぞましいことこの上ない。
小幡▼そのような傾向というのは日本にある種独特で顕著に表れやすい傾向だと思うんです。こういうものが日本の中にあると、仮にしっかりした者が上にあったとしてもどうしようもない。だから我々が考えるべきはやはり、国家国民全体としては最低限まともな戦略的判断を下せるような「環境づくり」をしていかなければいけないということなんだと思います。それこそ我々の劣等性に向き合うということのはずです。そういう戦略的な環境を支えるような国民性のようなものが、やはり日本には圧倒的に足りていない。これは現在だけのことではなく近代以降ずっとそうだったのではないかなと思います。だからこそ右へ行ったり左へ行ったり、落ち着きというものがまるでない。

日本社会から良きものが蒸発し、
悪しきものが氾濫するようになった
藤井▼おっしゃる通りです。例えば、今の日本の最大の問題の根幹の一つが、財務省の緊縮主義の問題。彼らが緊縮行政を続けているから、デフレは終わらないし、あらゆる国力の衰退が止まらなくなっている。じゃあ、なぜ彼らがそうなっているのかといえば、彼らの子供の頃から役人になるまでの環境を考えれば、そうなるのも致し方ないように思えるんです。
 彼らの多くは東大の法学部を中心とする、受験戦争のスーパー勝者たちですが、そうなるためにもう幼稚園の頃から、親にも学校にもそして塾にも「一所懸命、受験勉強しろ」と言われ続けてきた。そしてその過程で「国家や国益とは何か、そしてそのために人は貢献せねばならないのだ」というまともな情操教育を受ける機会が圧倒的に不足してしまったわけです。受験勉強の合間の休憩で休むために目にするテレビでもインターネットでもそういうことは全然言われてない。身の回りの友だちも皆同じものを見てるから結局、友だちとの会話でも、そういうことが話題に上ることもない。つまり、一人の子供が財務官僚になるまでの過程の中で、国全体のことを考えることの大切さや「崇高なものは何か」「お天道様とは何か」などと考える機会が、ほぼ、あるいは、完璧に剥奪されてしまっている。
 ところがかつてはいろんなところにそういう「公」についてのメッセージがたくさん含まれていた。例えば子供が普通に触れるおとぎ話や童話、子供向けの小説や漫画、そしてテレビや演劇なんかに、公的なものや「真善美」につながる物語や国や公益やそれに殉ずる事の美しさなどが様々に描かれていた。僕の場合だったら、小四の時に読んだ太平記が決定的な影響を僕の人生に与えることになった。
 つまりかつては、社会そのものが、「生まれ落ちた一匹の獣としてのホモ・サピエンス」を、一人の人格を持った「人間」に仕立て上げていく仕組みが、社会全体の中にそれなりに植え込まれていたわけです。もちろん、戦前の日本社会にも本質的欠陥があったのでしょうけれど、今の日本は、その欠陥の深刻さが尋常ではない水準に深化してしまっている。
 実際、僕は大学で外国からの留学生たちと付き合いがありますが、中国人にしろ韓国人にしろ東南アジア人にしろ中東人にしろ欧米人にしろ、彼らと会話すれば、日本人の学生なんかとは比べものにならないくらい、国家、公益、そして、公に貢献せねばならぬという概念を圧倒的に持っていることがよく分かります。
 今の日本社会では、社会の中でもメディアの中でも日常の中でも、国家や公益、さらには伝統という概念はまるでゴキブリのように、見つければ殺虫剤でスグに退治するように、探し出しては潰すという暴挙を繰り返し続けている。それがこの戦後七十年であって、その結果、日本人はますます人間あらざる野蛮人に堕落していったわけです。さらにいうと、そういう、公益や伝統という概念を蒸発させる努力は、明治維新の頃から繰り返されてきている。例えば明治初期には「日本語を止めて全部英語にしよう」なんていう暴論もあったほどです。つまり明治初期からこの方、この近現代の百五十年にわたってそんな乱痴気騒ぎを繰り返してきたわけで、その結果、日本の社会は根底から溶解し、日本人は文明人になるどころかますます野蛮人化し、今日のあらゆる領域における腐敗を生み出しているわけです。

。。。(続く)

(『表現者クライテリオン』2022年3月号より)

 

 

他の連載などは『表現者クライテリオン』2022年3号にて

『表現者クライテリオン』2022年3月号 「皇室論 俗悪なるものへの最後の”反(アンチ)”」
https://the-criterion.jp/backnumber/100_202203/

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