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【平坂純一】「西部邁とポストモダン」前編ー本場のポストモダンには実は見どころがある

西部邁,ポストモダン,平坂純一

From 啓文社(編集用) 

今回は、『表現者クライテリオン』バックナンバーを前/後編に分けて全編公開いたします。

公開するのは、平坂純一先生の新連載「保守のためのポストモダン講座」(第一回目)です。

『表現者クライテリオン』では、毎号の特集のほかに、様々な連載も掲載しています。

ご興味ありましたら、ぜひ本誌を手に取ってみてください。

以下が内容です。

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「西部邁とポストモダン」 前編

 

この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
僕がロミオ 君がジュリエット
こいつは正に大迷惑

ユニコーン「大迷惑」(一九八七年)

 多くの保守人士と同様、どうも「八〇年代」という時代が好きになれない。西部邁や小林よしのりの影響下にある私の世代にとっても然りである。あれもこれもアリの価値相対主義、TVや広告代理店を中心としたコマーシャリズム、そしてバブル景気の狂騒……嫉妬はないが、倫理的な怒りが込み上げる。
あの時代を映像で閲すると、アジア人が居直るように華美に着飾っていて直視しがたい。あらゆる意味での蹉跌の時代であろう。日本映画すらも見たくない。ただ、自分の生年が一九八三年、無視できないでいる。

 八三年はバブルの前夜。小林秀雄と寺山修司の死、中曽根第二次政権による新自由主義時代、それによる世界的な好況感の回復、ケンタッキーのカシワ屋とディズニーの日本進出、これらはある普遍主義に対する具象的な次元における敗北の刻印である。普遍主義自体は一向に構わない。
私にとっての保守主義とは、あるローラーを掛けるような普遍性に対して、根源的な理性が沸き立つ場合があるとすればという仮定に基づく。ガリア人がカトリックを捨てなかったように、民族や文化の反動がなければそれまでだが。

今更、名乗る必要がないらしいポストモダニスト 

さて、思想界にもこの時代精神は反映された。東浩紀が『郵便的不安たち』(二〇〇二年)で定義した通り、日本のポストモダン思想の始点こそが一九八三年であった。浅田彰『構造と力』(一九八三年)や中沢新一『チベットのモーツァルト』(同年)が上梓している。彼らの依拠するところ、その多くは吉本隆明『共同幻想論』や蓮實・柄谷を仰ぎつつ、フランス現代思想とりわけ構造主義からポスト構造主義と呼ばれる六〇年代以降の潮流にあった。また、雑誌「現代思想」を根城にした一派であった。

だが、現在、本屋の棚に「ポストモダン(ポスト構造主義)」等とインデックスがある訳でもなく、ポストモダニストを名乗る思想家もおらず、むしろ批評家=ポスモ系かのような扱われ方をしている(吾々は本屋で「保守系」と意味なくひとくくりにされがち)。
先の東に云わせれば「ゼロ年代までに徹底したポストモダン化が行われた」のだから、今更、名乗る必要がなくなったらしい。九一年の「文学者の反戦声明」で「憲法九条戦争の放棄の自発性とその普遍性」を謳い上げて以降、旗色を鮮明にしてから、日本の状況論を論じてはいる(島田雅彦、田中康夫、高橋源一郎、中上健次も名を連ねた)。だが、彼らは蓄積多く多弁だが、どうも思想的な出処の那辺が判らないこともあって腑に落ちないことが多い。

本場のポストモダンには実は見所がある

 この日本における文脈の一方で、彼らの引用元であるフランス現代思想もひもといていく。デリダ、フーコー、ドゥルーズのポストモダン御三家がいて、記号学のバルト、精神医学のラカン、その弟子のネグリ。クリステヴァ、アルチュセール、リオタール、ボードリヤール、現象学、記号論、脱構築、差異、生権力、ポスコロ、カルチュラル・スタディーズ……うんざりする人も多かろう。
この「取っ付きにくさ」は、この連載で解消させたい。

 本場のポストモダンは「近代主義に異議申し立て」する点で、実は見所がある。師・西部邁が口酸っぱく述べた通り「モダニズムの語源はmodel と同じ、型にはまるの意」。なるほど、主義としての資本・民主・自由の下で数量化される人間存在についての批判が初期構造主義にはあった。
フランス革命以降の政争に段落ついた十九世紀後半には、モダニズムの思想的な方向を示す思想家が現れる。「第二のキリスト」たるマルクス、精神医学のフロイト、またはニーチェやハイデガー、それを政治主義に転化したサルトルの実存主義を「主義としての近代」として批判したのが文化人類学で有色人種と西洋を比較したレヴィ=ストロースや、言語の無意識な構造で全体性を見出したソシュールら構造主義者であった。
彼らが六〇年代に唱えたのは、西洋中心主義的な時代の進歩や人間の主体性を懐疑することにあった。よって、社会主義や国家主義など近代主義者の裡に、「人が理知さえ手に入れれば権力は行使しうる。たとえそれが弱者を抑圧していようとも」と云った近代における「看板の偽」を発見した。
絶対性を人間の進歩に見出すのなら、いわば裏返しの王政復古であり、これには観念の空転や絶対で不過謬の理性を嫌う保守にとって、一旦は共感が可能であろう。

だがしかし・・・

 ただ、この構造主義者たちは政治闘争の姿勢が乏しかったため、七〇年代に批判する人々が現れる。それが先に挙げた名前や概念を提唱したポストモダンやポスト構造主義と呼ばれる者の主張である(フェミ、エコ等を想起せよ)。
何かと「古臭い、情念的で、大時代的なもの」が趣味の私を含めた保守とは異質な人々である。かくて、西欧の近代主義の反省と批判なのに対し、日本ではファッション的に消費されたのがようよう伝わってきたかと思う…(後編に続く)

(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)
 

 

続きは近日公開の後編で!または、『表現者クライテリオン』1月号にて。
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