今回は『表現者クライテリオン』2021年9月号の掲載されている対談を特別に一部公開いたします。
公開するのは、前回に引き続き「日本人の死生観を問う」特集掲載、
和田秀樹先生×本誌編集長 藤井聡の対談です。
〇前回記事も読む
以下内容です。
興味がありましたら、ぜひ『表現者クライテリオン』2021年9月号を手に取ってみてください。
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藤井聡(以下藤井)▼
ただ、素人考えのイメージでは、医学は進歩してるわけで、それが貢献した側面はあるんじゃないかとも思えるんですが、いかがでしょうか?
和田秀樹(以下和田)▼
いや、やはり医学の進歩というよりむしろ医学界の変質の影響のほうが圧倒的に大きいです。しかも悪い方向に。
七〇年代くらいに、これもアメリカの猿真似なんですけど、臓器別診療というものに変質したんです。
それまでは医者というのは人間全体を診るものだった。
藤井▼例えば離島にたった一人派遣されたお医者さんのイメージですね。
和田▼そうです。私が医学教育を受けた頃は内科診断学といって、人間全体を診ることをみっちりやらされた。
でも今は「臓器別診療」に代わっていって、悪い臓器を良くしていけばいいってことになった。
今回のコロナでいみじくも感染症学者が暴走したわけですけど、同じようなことって結構あるんです。
アメリカでのトップは心筋梗塞とか心臓病が多いから循環器内科で、アメリカと同じように日本でも循環器内科の医者が偉くなってきて、
コレステロールを下げろとか言うんだけど、コレステロールには免疫力を上げるとか鬱病の予防になるとかメリットもある。それを合計して考えようという姿勢が、臓器別診療ではほとんどない。
それともう一つは、大学教授が論文の本数で選ばれるようになったっていうのも問題を深刻化させています。
ある時期までは、前任者が後任者を個人的に選んできたんですが、ある時から教授会で教授を選ぼうということになった。
ところが教授会で選ぶとき、例えば眼科の教授を選ぶのに眼科医が一人もいない中で選ぶ。
そうすると他の専門医は何も分からないから結局、論文の数が教授選定の基準になってくる。
藤井▼わあ、それは最悪……。馬鹿丸出しじゃないですか!
和田▼論文の数になってくると、人間を診てちまちまと臨床論文を書くよりは、動物実験のほうが論文の大量生産ができますから、動物実験をやってる人ばかりが教授になっていく。
例えば、八〇年代くらいから、精神科でもいわゆる生物学的精神医学でラットの脳にドーパミンを入れたらどうなるかとか、それをブロックするにはどうすればいいとか、そういう研究をしている奴らが精神科の教授になり、心の問題を考える哲学的な精神医学が消えていくことになっていった。
藤井▼なるほど、今やもう哲学的に考える京大の木村敏先生のような精神科医の教授はいなくなったんですね……。
実際僕の友人の医学部教授も、学生の頃は木村先生のことを尊敬しているようなことを言ってましたが、医者になってからはあんなのは医学じゃないみたいな侮蔑的な物言いをしてびっくりしたことがあります。
そいつ自身のメンタリティも医学界に入って変質してしまったわけですね。
藤井▼今、日本人のほとんどが病院で命を潰えるわけですが、その死と生の最先端の医療業界にはもう、人様に説明できるような立派な「死生観」がなくなりつつあるわけですね……。
和田▼脳死問題だって哲学として、どこまでの状態で人間としての尊厳がなくなるとかの、ある種哲学的な議論じゃなくて、人間の生物学的な死ってどこにしときましょうか、っていうだけの話になっている。
藤井▼要するに完全なる虛無主義、ニヒリズムに支配されてしまったんですね……。
和田▼おっしゃる通りですね。
藤井▼昔の町医者がニヒリズムから脱却できていたのは、一つの人間の生というものを全体的に捉えていたからなんでしょうね。
かつては一つの臓器だけでなく、身体全体を精神の有り様だとか家族や近所の人との社会的背景も含めて見据えた医療行為というものが町医者にはあったわけですね。
ところが専門医化してしまったら、生命を細切れにして、患者という一人の社会的存在、精神的存在を腎臓だけだとか肝臓だけだとか循環器だけだとか「物」として扱い、工場で処理するかのように医療行為をするようになった。
そこには死生観も何もない、ニヒリズムしかない。
少々の誇張を恐れずにいうなら、まるでブッチャー、肉屋のように患者の肉体を扱うわけで、そんなニヒリズムにどっぷり浸かったニヒリストの医者どもは人間的価値を理解する能力そのものが壊れてしまっているから結局、権威以外何にも分からない。
あとせいぜい分かるのは、金と彼らの下劣な欲望程度。
で、そんな奴らが、日本人の死生観を決定づける医療界を牛耳っているから、結局、日本人の死生観が権威主義、さらには金や下劣な欲望に支配されるってことになっている、ってわけですね。
和田▼残念ながらそうですね……。でも昔は、地域に根差した町医者がいっぱいいて、彼らが日本の医療業界の腐敗を食い止めていたし、地域の人々に慕われていた。
藤井▼彼らは決してそんなおぞましいニヒリストじゃなかったわけですね。
和田▼そうです。
和田▼ところが大学病院の医者は、もう五〇年代とか六〇年代とか、その頃からそういう人間的な医者たちを見下していた。
つまり患者を人間じゃなくて、単なる「物」として診るような人たちが町医者を見下していたわけです。
ただし、時代が七〇年代、八〇年代と下っていくにつれて、町医者たちの多くが息子を大学の医局に入れたりするようになっていった。
だから親父さんは総合診療の町医者として患者の話を聞く名医だったのに、次の代の息子が医局を経て循環器しか、消化器しか診れないってことになっていった。
ところが、息子のほうは、自分のほうがよっぽど近代的な医療をやっていると信じ込んじゃっている。
藤井▼なるほど……。
権威主義の塊で、ほとんど金にしか興味のない、特定の臓器のことしか分からない馬鹿息子どもが立派な「名医」のお父さんのことを見下しつつ、俺は専門医で偉いんだなんて踏ん反り返り始めたわけですね。
その結果、地域社会の中で、地域の人々とお医者さんとの間の、良好な信頼関係というのが崩壊していったと……。
藤井▼そうなると、患者じゃなくて臓器とだけ向き合う医者を、どうにか再び患者に向き合わせていく必要があるわけですよね。
そうすることができて初めて、生命というものを精神まで含めた総合的な現象だと捉える、まっとうな「生命至上主義」が復活できるわけですね。
和田▼そうです。でもやはり…(続く)
(『表現者クライテリオン』2021年9月号より)
続きは『表現者クライテリオン』2021年9月号にて
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毎回読み応え抜群です!
『表現者クライテリオン』2021年9月号
「日本人の死生観を問う」
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