【特集座談会】「しがらみ」を破壊した先にあるのは天国ではなく地獄

啓文社(編集用)

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今回は『別冊クライテリオン』掲載の座談会を特別に一部公開いたします。

公開するのは、第一部「ポストコロナ 中国化する世界」掲載、
與那覇潤先生×本誌編集長 藤井聡×編集委員 柴山桂太×浜崎洋介×川端祐一郎の対談です。

以下内容です。

興味がありましたら、ぜひ『別冊クライテリオン』を手に取ってみてください。

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柴山桂太(以下柴山)▼

僕が加速主義の議論を聞いて思ったのが、日本の講座派に似ているな、ということです。

戦前からマルクス主義者の間で、講座派・労農派論争というのがあったのですが、とりわけ影響力を持ったのが講座派でした。

 もともとは明治維新がブルジョワ革命だったかそうじゃないのかという歴史論争で、もしブルジョワ革命だったら次は共産革命が必要だとなるけれど、もしも明治維新が単なる絶対王政への移行と捉えると、まずは天皇制を打倒しなければならないということになる。

共産革命より先にブルジョワ革命が必要だというのが、大雑把にいうと講座派の考え方で、それが若き日の丸山眞男らに決定的な影響を与えたともいわれている。

「日本的なものを潰したい」という日本人の怨念が加速主義を加速させている

柴山▼この議論って、今の加速主義に近いんですよね。つまり日本はまず資本主義にならなければならない。

日本の封建主義的で軍国主義的な体制からまずは脱却しなければならないので、二段階戦略としてまずは資本主義として振る舞おうと。

個人主義を徹底して共同体を破壊して、資本主義になり切った先に、ようやく次の理想が語れる。これは日本版の加速主義ですよね。

 実際、丸山眞男から浅田彰に至るまで、日本の左派知識人は一貫してその路線でやってきている。

「自分は資本主義者じゃない、だけど、まずは資本主義にならないと何も始まらない」

という意識がずっとあった。

今の現代思想がどんな主張をしているのか知りませんが、加速主義の議論は日本の左派の古き良き「ジャパン・イデオロギー」に合っているので、「この議論はなじみがある!」という感じになっているんじゃないか。

 そういう日本の知識人たちに共通しているのは、與那覇さんの言葉でいうと、江戸時代的なものが嫌いなんですよね。

與那覇潤(以下與那覇)▼

憎んでますね(笑)。庶民は江戸時代大好きなのに、知識人は嫌い。

柴山▼ですよね。日本の知識人は「反江戸」

だから彼らは「日本の歪んだ共同体を駆逐したい」っていう思いがあって、そのお手本がかつては「西洋の市民社会」だったのが、今は中国の未来主義になりつある、という話なんだと思います。

藤井聡(以下藤井)▼

それは知識人だけじゃなくて、小泉・竹中・橋下・小池、安倍に接続する大衆迎合主義の政治屋たちの系譜も全く同じ、日本的なるものに対する「怨念」というようなメンタリティを持っているように思います。

だから彼らは一見、「反中」なんて言うかもしれないけれど、そもそも日本臭いものが嫌いだから確実に中華未来主義、サイノ・フューチャリズムに接続するでしょうね。

まさに保守思想の敵として我々の前に立ちはだかりますよね。

柴山▼日本人の場合は中華未来主義を全面的に擁護しているのではなくて、

「江戸的なものに比べればまだマシだ」

という感情から、いわば反語的に惹きつけられている、ということなんじゃないか。

川端祐一郎(以下川端)▼

まさにそうだと思う。

ある労働組合の勉強会に呼ばれて、組合運動の話を聞いてたんです。「最近の若い奴らは労働組合に入らない」みたいなおなじみの話なんですが、右傾化してるとかじゃないんですよね。

堀茂樹さんが、最近の人たちは「しがらみ」が嫌いで、しがらみへの反抗と新自由主義は親和的なのだとおっしゃっていた。

僕はひとまず、「昭和的しがらみ」と呼んでおこうかと思います。「江戸時代的」でも構いませんが、僕らの身体感覚からすると「昭和的」と呼ぶのがちょうどよい。

とにかく昭和的なものに対する嫌悪感というのはかなり根強くあって、そういう人たちには、フューチャリズム的な物言いがよく響くところがある。

昭和的なしがらみや利権や息苦しい道徳は捨てましょうと連呼することで、維新の会のような改革勢力が力を持つし、小泉・竹中的新自由主義が支持されるわけです。

 この、昭和的しがらみが面倒だという感覚は正直よく分かる。

でも、それを破壊したところで行き着くのは、理想的な天国ではなく地獄なんですよね。

 サイノ・フューチャリズムもかつてのポストモダンも、確かに「近代の暴走」であるといえると思う。でもそれ以前に、「近代に対する無理解」があると考えた方がいいと僕は思う。

近代の息苦しさを解決するには

川端▼與那覇さんの本の中で、自由主義や民主主義といった西洋的なリベラリズムは、実は前近代の封建制の延長なんだという話がありますね。封建制の伝統があったからこそ、その中で王権を制限しようとしていたら民主主義が出来上がったというわけです。

そういえばサミュエル・ハンチントンは、資本主義にせよ民主主義にせよ、西欧キリスト教文明の上にしか作れないんだと断言していた。彼は偏った西欧主義者ですが、この主張は結構正しい可能性がある。

つまり、近代というのは、長いヨーロッパの歴史の上に出来上がった特殊なシステムだというわけです。

(中略)

 十八世紀の終わりくらいからたぶん二十世紀の前半くらいまでの間に、「国民」という共同性が確立し、労働者を全国から集めてみんなで工夫すると新しいものがポコポコ生まれるようになり、いわゆる西側の世界は一気に豊かになった。

僕は近代というのは、こういうふうに労働者が秩序だって協調できるような、コミュニティを作り出す文化とか習慣がなければおそらく成り立たないものだったと思う。

 ところが、近代産業の伸びがある程度鈍化してくると、今度はまた昔のように、ゼロサムゲーム的な取り合いの世界に戻るということなのではないか。

すると中国みたいな、十億人がメカニカルに動いて巨大な力を見せつけるという帝国型の社会の方が強いということになり、もともと日本人とか西欧人が持ってたような、国民文化の上で協調して工夫を重ねるという強みは活かせない世の中になる。

そういう形で、世界の「中国化」が進んでいくということだと僕は思っているんです。

 そこで「良し悪し」をいえば、僕は別に近代主義万歳とはいわないけれど、西欧人や日本人が経験してきたような、国民の歴史的共同性の上で育てられた資本主義や民主主義から成る近代文明を、一応は肯定すると言いたいところはあるんです。

未来主義的なイメージの近代ではなく、ネイション・ステートの歴史の上に成り立った近代の歴史を、僕はひとまず肯定していいと思う。

 でも今の「中国化」の流れを戻すのは大変で、理論とかイデオロギーが全部間違ってますからね。

資本主義の矛盾みたいなものにいら立った人間が、みんな歴史や文化ではなく「加速主義」の方に行くわけですよね。

 僕は、與那覇さんの用語でいうと「再・再江戸時代化」派に近いかもしれない(笑)。

近代の息苦しさは、近代を成り立たせてきた歴史的条件を振り返ることで解決すべきなんじゃないかと思うんです。

でも世の中の人たち、特に知識人はだいたいそれが嫌いなんですよね。後ろを向くことだけは絶対にいやだってことになってるから。

日本の復活の鍵は、中間共同体の復活である

浜崎洋介(以下浜崎)▼

それでいうと、與那覇さんの本で示唆的だったのは、実はセーフティネットシステムが、中国と日本とで全然違うという指摘です。

與那覇▼家族制度の話ですね。

浜崎▼そうです。中国人は、父方の姓でつながりながら、その中から一人でも成功者が出れば、そこに寄食していくという「宗族」システムがある。

逆にいうと、「宗族」システムがあるから、あれだけバラバラに資本主義競争を加速しても、中国は、何とかもっているのではないかと。

資本主義社会で負けた奴も、「宗族」に寄り掛かることで食いつないでいけるわけですから。

 でも、日本には「宗族」はない。ついでにいえば、アメリカには「宗族」の代わりに「宗教」があるし、ヨーロッパには「大きな国家」がある。

でも、日本には、キリスト教のような「宗教」も「大きな国家」もないんです。

では、何があるのかというと、結局、「中間共同体」なんですよ。

どこかに所属することで何とか食べながら心を落ち着かせてきたというのが日本人なら、そのセーフティネットとしての「中間共同体」なしで、果たして我々はやっていけるのか、日本は成り立つのかっていう問題になるんじゃないかと。

藤井▼それがなくなれば、日本にセーフティネットがなくなる、っていうことですね。

浜崎▼おっしゃる通りです。

「カイシャ」や「ムラ」や「イエ」に頼れなくなりつつある今、ヨーロッパ並みに国家を大きくする必要もあるとは思いますが、しかし僕らの感受性を養っているのは、やっぱり「中間共同体」なんですよ。

これがなくなると日本人は元気や信頼感をなくす。すると、思考ができなくなるので議論が萎む。

だから民主主義が機能不全を起こす。そうなるとますます、人間への「憎しみ」が加速するので、「中華未来主義」的なるものを呼び寄せることになると……これは完全なる悪循環です(笑)。

柴山▼「憎しみ加速主義」ですね。

浜崎▼まさに! 

  だから結局やるべきことは、中間共同体を昔のように全面復活させよとはいわないけれど、それに財政的にも個人的にも手を入れつつ保守していくことくらいしか、残された「手札」はないんじゃないかと…(続く)

(『別冊クライテリオン』2021年8月刊より)

 

 

続きは別冊クライテリオン』にて

『別冊クライテリオン』2021年8月刊
「中華未来主義」との対決
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