オルテガ・イ・ガセット 著 『大衆の反逆』 岩波書店/2020年4月刊 の書評です。
書評者:田中孝太郎
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この書評は『表現者クライテリオン』2020年7月号に掲載されています。
以下内容です
大衆社会論の古典的名著が、新訳となって復刊した。本書は故西部邁氏の思想にも影響を与えたスペインの哲学者、オルテガの代表作である。
大衆について論じた知識人はオルテガに限らず数多く存在する。
だがオルテガは、二十世紀前半のヨーロッパに登場しつつあった大衆を、知識や財産の多寡、階級などではなく、「心理的事実」によって定義した点で際立っている。
本書によれば大衆とは、自らに何ら高度な要求を課さず、「みんなと同じ」であることに苦痛を感じるどころか満足を覚えるような人々を指す。
それに対し「選ばれた少数者」は、「自らに多くを要求して困難や義務を課す」人々のことをいう。
当時のヨーロッパにおいて、人々はかつてないほど豊かで安楽な生を送っていたが、それゆえに現在こそが史上最高の時代であると自惚
れ、一切の過去を忘却してしまった。
彼らは自分たちが享受している権利や豊かさが、先人たちの努力の賜物であるということすら忘れ、それを維持しようとする意思も能力も持たない。
それでいて彼らは、政治的領域をはじめとする、社会の枢要な分野に進出するに至ったのである。
大衆は、自らを越えた価値や規範に従おうとせず、他者の声にも耳を貸さない。優れたものや異なるものを排除しようとする彼らに政治を任せれば、寛容を旨とする自由主義は失われていく。
大衆の典型は、科学者に代表される「専門人」であるとオルテガは言う。
本来、科学的真理を探究する上では知識の総合が不可欠であるが、近代科学は専門主義化を推し進めてきた。
そこに従事する人々は特定の分野には精通しているものの、それ以外のことはまるで知らない。にもかかわらず、専門外の事柄に関しても、あたかも全てを知っているかのように自信たっぷりに振る舞うのである。
自らの殻に閉じこもり、そのことに満足しているという大衆の特徴が見事にあらわれている。
大衆を痛烈に批判するオルテガを、「鼻持ちならない選民思想の持ち主」などと評するのは的外れである。オルテガの理想とする「選ばれた少数者」は、自分の精神が堕落していく可能性を常に考慮している。
自らの内に潜む「大衆性」を自覚しているからこそ、自己の完成に向け努力を重ねるのである。
逆に大衆とは、自己懐疑を忘れた「満足しきったお坊ちゃん」にほかならない。
オルテガの大衆批判の矛先は、まぎれもなく自分自身にも向かっており、またその射程は二十一世紀の世界にまで届いている。
最後に、訳者の佐々木孝氏に触れておきたい。ご子息の書かれたあとがきによれば、氏は病身の妻を介護するため定年前に都内の大学の
職を辞し、父祖の地である福島県南相馬に居を構え、本書の翻訳に取り組んだという。
途中、震災と原発事故に見舞われるも、身動きのとれない妻を支えるため自宅に残り、翻訳を完成させた二〇一八年に還らぬ人となった。
「選ばれた少数者」としての生を全うしたに違いない。
(『表現者クライテリオン』2020年7月号より)
他の連載は『表現者クライテリオン』2020年7月号にて
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