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政治家・岸田文雄の平板な決意
さて、石原氏と岸田氏を比べる意味はないのかもしれな い。昭和三十二年生まれの岸田氏に石原氏と同じ様な経験 がないのは当然で、それは咎め立てられることではない。 けれども、国政に与る者としての心構え、前提というもの はある。なぜ政治家を、内閣総理大臣をめざしたのか。原 点は何なのか。
岸田氏は、祖父正記、父文武を継ぐ三代目の政治家であ る。早稲田大学を卒業後、日本長期信用銀行に勤務、その 後、父の秘書を経て平成五年(一九九三)の衆院選に野党時 代の自民党公認で立候補し、初当選した。安倍氏とは同期になる。『岸田ビジョン』によれば、通産官僚だった父の勤 務に伴ってニューヨークで少年時代を過ごした岸田氏は、 人種差別を実感することがあったという。
〈白人の隣で用を足していると、舌打ちされることも普 通でした。(略)露骨な差別の言葉も何度か投げつけられて いました。〉
動物園にクラスの皆で行ったとき、迷子にならないよう 二列に並んで隣同士になった子と手をつなぐよう教師に云 われたものの、横にいた女の子に手をつなぐことを拒否さ れた。
〈分け隔てなく遊んでくれる白人の子がいる一方で、動 物園で手をつなぐことを拒否したあの一瞬の表情が記憶か ら拭えません。
やや大仰に言えば、このことが、私が政治家を志した原 点とも言えます。〉
そして、父の秘書として政治と選挙に関わるようになっ て、
〈芽生えてきた思いがありました。
自分も政治家を目指したい──。
ニューヨークの小学校時代に感じた人種差別に対する義 憤。
学生時代の数々の挫折や、友情。
銀行時代に感じた社会の矛盾。
父や身内の選挙に直接関わって目の当たりにした日本の 政治の現実。
振り返ってみると、世の中には理不尽なこと、おかしな ことがたくさんある。変えていかなければならないことが ある。一方、守っていかなければならないこともある。
国や社会に関わるこうした事柄に、自分は直接関わりた い……。〉
さらに、被爆地広島の出身者として、〈「核なき世界」の 実現のために政治人生を捧げたい〉と語り、近年とくに政 治の課題とされる「多様性の尊重」について言及し、自らが 会長を務める宏池会は、歴史的に多様性を尊重し、〈「軽武 装、経済重視」を志向してきました。現実を直視し、現実 に合わせて経済政策も変えていく。徹底した現実主義に基 づく政策判断こそ、宏池会の理念です。 宏池会の伝統を受け継ぎながら、いま、国民にとって何 が必要か──それを考えぬいていきます〉と岸田氏なりの 決意を披瀝する。
過不足ない……いや、平板で明らかに物足りない。すべ て一般論に還元できるのではないか。日本国の政治家たら んとする意志は那辺にあるのか。岸田氏の言葉には「葛藤」 が感じられない。
広島への原爆投下になぜ怒らないのか
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と いう広島市の原爆死没者慰霊碑の碑文を私は想起する。主 語は何かと問えば、「原爆の犠牲者は、単に一国・一民族 の犠牲者ではなく、原爆の犠牲者に対して反核の平和を 誓うのは、全世界の人々でなくてはならない」というもの だ。碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すので はなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指す。 これはあまりに観念的ではないか。現実に犠牲になったの は我が日本国と日本人であり、〈反核の平和を誓うのは、 全世界の人々でなくてはならない〉というのは一方的な願 望でしかなく、現行憲法前文の〈平和を愛する諸国民の公 正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと 決意し〉たのと同じく、戦争と平和の間の葛藤を深く見つ めた上で、自らの強い意志を刻んだ言葉とは思えない。
他国の善意や良識を前提にした偽善の態度、現実の困 難を背負う覚悟のない者が「普遍的価値」や「人類共通の理 想」なるものを掲げて安逸を貪る態度ではないか。私は、 「核なき世界」の実現に政治生命を捧げるという岸田氏にも 同様の、「自分の言葉」を失った戦後日本人の姿を見てしま う。
動物の鳴き真似師として活躍した三代目江戸家猫八さん は、広島に原爆が投下されたとき、宇品に駐屯中の陸軍船 舶砲兵団の一員として市民の救護活動を行った思い出をこ う記している。中心部に行くにつれ死傷者の数が増え、目 も当てられない惨状だった。
「兵隊さん、助けてください」
「水をください」
「熱い、痛い」
辛うじて生きている人々から痛みに耐える唸りや呻き、 泣き声が洩れる。猫八さんは「耳を塞ぎたい気持ち」を堪 え、懸命に救護に当たったが、被爆者が今際の際に残した 言葉は「助けてください」や「水をください」だけではなかっ た。はっきり、「兵隊さん、きっとこの仇をとってくださ い」という言葉があった。同様の証言は「広島原爆戦災誌」 (広島平和記念資料館編纂)にも記されている。
原爆投下について、日本人が「自分の言葉」で語るのなら ば、まずは当時の日本人の“憤怒”を無かったことにしては なるまい。岸田一族にも被爆死者がいるなら尚更ではない か。時間をかけてその感情を押し殺し、原爆投下を人類全 体の過ちとして受け止め、二度と繰り返さぬと誓ったのが 原爆死没者慰霊碑の碑文だとしても、そこからこぼれ落ち る、あるいは溢れ出る父祖たちの怒りが厳然と存在したことを戦後の日本人は記憶にとどめる必要がある。原爆投下 は天災ではない。投下した「敵国」が存在し、その敵国が今 日の我が国の唯一の同盟国であるという捻じれを如何に受 け止めるか。この葛藤なくして「核と軍縮」の問題は論じら れまい。
さらに云えば、現実を担う政治家は「戦争の効用」すら念 頭になければならない。「何かを守る為には戦争をも辞さ ぬといふ、その何かが無ければ、平和そのものもまた守れ まいといふ事です。もしそれを見出せず、納得して貰へな いとすれば、世の中にパンよりも大事な物は何も無いとい ふ甚だ素朴な現実主義の前に吾々は敗退して行かねばなら ない」。福田恆存の言葉だが、戦後の日本人がずっと忌避 してきたことだ。
戦後日本の鏡・岸田文雄
戦後政治を概観すると、佐藤栄作内閣までは、敗戦で失 われた「独立国」としての日本の再起を意識していたように 思う。だが以降、国家のあり方を問い、大戦後の国際社会 の中で日本が生きていく道筋を模索する取り組みは薄れ、 自社馴れ合いの五五年体制は、経済的繁栄が唯一の目的と なって、その富をどう分配するかだけが政治の課題になっ た。本来なら、経済復興と戦後処理に段落をつけた以後の 内閣は鳩山一郎、岸信介の取り組んだ憲法改正や国防強化 といった「独立国」としての再起に挑むべきだったのが、政 治の現実は、公共事業を中心とした利益配分の手続きにな りさがった。
そして一九九〇年代初めに冷戦は終結したと見なし、そ の後はアメリカ主導のグローバリズムへの適合が政治課題 となり、日本はますます国家としての主体性を失っていっ た。約めて云えば、平成は、日米同盟強化と日中友好とグ ローバリズム礼賛の中で、日本という国の「無日」化が進ん だ時代である。その流れの中、「戦後レジームからの脱却」 を掲げた第一次安倍政権は乾坤一擲の存在だったが、強固 な戦後体制の守護者たちに阻まれた。雌伏の時間を経て安 倍氏は再起し、「日本を取り戻す」として匍匐前進の政権運 営を続けたが、その戦列において、岸田氏が外形はともか く心からの同志であったとは言い難い。
無論、安倍氏も戦争体験があるわけではない。けれども 安倍氏には、歴史の総体としての日本を守ろうとする意識 があった。同世代の政治家の中で中川昭一氏と並んでそれ は濃厚だった。父祖の苦闘への想像力があった。山本夏彦 は「同時代というものをほぼ百年だと思っている」と語った が、そう考えれば大東亜戦争は「我らの戦争」で、安倍氏は そう受け止めていた。
岸田氏に決定的に感じられないのがこの感覚なのだ。
三月十六日、韓国の尹錫悦大統領が来日した。いわゆる 徴用工訴訟問題をめぐって韓国政府が示した「解決策」を岸 田政権が受け入れ、首脳会談が実現した。岸田首相は事前 に「歴史認識については歴代内閣を踏襲」と語り、韓国側が 史実を歪めて日本を非難するのに、日本側は、なあなあの 態度で頭を下げて事を収めようとしてきたこれまでの不健 全な関係を絶とうという意志は感じられなかった。むしろ 過去の謝罪表明を日本側が確認しただけである。
いったい岸田首相は何を守ってくれるのか。守るべきも のが焦点を結ばない。ゆえに言葉に熱を生じない。日本国 の政治家として善悪や優劣といった価値観ではなく、「宿 命」の感覚がない。
安倍氏の国葬儀における弔辞で岸田氏は、「総理大臣と はどういうものか」との質問を受けた安倍氏が、「溶けた鉄 を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない。たたか れて、たたかれて、やっと形をなす鍛造品。それが総理と いうものだ」と答えたことに触れ、「鉄鋼マンとして世に出 た人らしいたとえ」と語った。
なるほど安倍氏はそうだったろう。では岸田氏はどう か。鋳造品として宏池会や財務省の鋳型に入れられている だけではないのか。しかもその鋳型は、戦後体制とグロー バリズムとの合成物であって、この二つは日本を衰運へと 引き込む。国民は底流でそれを嗅ぎ取りつつも、それに抗 う力を喚起されない。岸田首相には、弥縫策に流れ、問題 を先送りしてきた戦後日本の姿が投影されている。個人的 には誠実で、胆力もあるのかもしれない。けれどもそれが 政治家として、国家と重なり合う形で発揮される日は来る のだろうか。
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『表現者クライテリオン2023年5月号』【特集】「岸田文雄」はニッポンジンの象徴である ”依存症”のなれの果て より
岸田首相の徹底批判を通じて、我が国の人民の”依存症”を見つめた本特集。是非、本誌をお手にお取りください!
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