「人間」と「現実」を見つめ続けた自由主義者
【書評】清滝仁志 著 『中村菊男 政治の非合理性に挑んだ改革者』 啓文社書房/2023年3月刊
中村菊男の名前を知る人は決して多くない。昭和二十年代から五十年代初頭にかけて、政治学者、政治評論家として五十数冊の著書を刊行し、社会党右派を中心に現実の政治にも積極的に働きかけていたにもかかわらず、現在ではほとんど忘れ去られた存在となっている。本書は中村の学問的業績や思想の形成過程、そして政治的実践の軌跡をたどることで、同時代の進歩的知識人とも保守派とも一線を画す「自由主義者」としての姿を浮かび上がらせる。
「民主社会主義」を標榜した中村であったが、その思想にイデオロギー性は見られない。中村の唱える民主社会主義は、生産手段の国有化や階級闘争などを志向するものではなく、民主主義を土台とした国民生活の安定や個人の自律性の確保、個性の発揮を目指すものであった。
昭和の政治史や明治憲法体制の解釈、戦後の安全保障政策など、中村が論じたテーマは幅広いが、いずれの領域においても歴史に法則性・必然性を見出そうとし、政治現象を抽象的な概念で説明する進歩的知識人に対して批判的だった。マルクス主義に代表されるように、理念や理想が先行し、歴史的事象をあとから当てはめていく方法論は、一見すると明快で切れ味鋭く思われる。しかし、それでは現実社会や人間心理の複雑さを捉えることはできない。中村が何よりも重視したのは、社会科学的な法則や類型化で説明がつかない人間の「非合理性」である。この姿勢は、政治行動に与える心理的影響を分析する「政治心理学」の開拓にもつながった。
なぜ中村は人間の非合理性に注目したのか。著者の見立てによれば、戦前・戦中に精神主義によって現実的な判断が軽視された過程を目の当たりにしたことに加え、中村自身が戦後に(落選したものの)衆議院選に立候補し、選挙運動を通じて政治理論では説明のつかない「現実政治の厳しさ」を体験したためである。生まれ故郷の伊勢志摩での政治に関する実地調査や、地元の市長選に出馬した父の選挙参謀を経験したことも、民主主義の理想と政治の非合理な現実との乖離を実感する機会となった。
イデオロギーから距離を置き、歴史的事実を虛心坦懐に解釈することを自らに課した中村にとって、現実主義的な意見を表明することは必然だった。外交・安全保障に関しては、国際政治が「パワー・ポリティクス」で動いている現実を踏まえて非武装中立主義を批判し、自衛隊とそれを補完する日米安保の必要性を訴えた。
こうした主張は保守派に通じるものがあるが、自由や民主主義といった近代的価値観を高く評価する点はやはり「リベラル」である。とはいえ、当時の学会や論壇の主流に決しておもねることなく、自らの信念に従い学問的探求と政治的実践の双方に取り組み続けた中村の姿勢は、「保守」や「リベラル」を問わず見習うべきだろう。異論に不寛容な「リベラル」が跋扈する現代において、自由主義者としてのあるべき姿を描き出した本書の意義は大きい。
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