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【 仁平千香子】倍速視聴はどれほど私たちを幸福に近づけるのか

仁平千香子

仁平千香子

 表現者クライテリオン最新号(2023年7月号)を読んで、コスパ・タイパ至上主義というテーマが現代日本社会の抱える問題のほぼ全てに関連していると実感しました。誌内で何度か触れられていた稲田豊史氏の『映画を早送りで観る人たち』にも目を通し、この確信はより堅固なものになりました。

 

 

 倍速視聴や10秒飛ばしという惰性行為と私も無縁ではありませんが、若い世代がまるで義務のように多くの動画を短時間で視聴しようとする必死の努力には、疑問が湧いてきます。どうしてそれほど多くの動画を見なければならないのか。その理由の一つは「話題についていくため」だと稲田氏は書いています。

 彼らは話題のドラマや映画を、とりあえず知っているという状態にするためにおおよその流れを見失わない程度に場面を飛ばしながら、2時間の映画を10分で見たりします(見たことにします)。またはYou Tubeなどで作品製作者とは無関係の誰かによって作成されたダイジェスト版を見て、ストーリーを理解したと満足します。そして友人との会話で「マウントをとられないようにする」のだそうです。

 この時代の要請に応じて、登場人物が状況や心情をできるだけわかりやすく言葉(セリフ)で説明するという作品が増えていると稲田氏は述べています。つまり倍速視聴や飛ばし見でもストーリーが理解できるよう、視聴者側への「配慮」を作成者側が加え始めたのです。そこには表情や風景や音などで、人物の心情や背景を匂わせるといった、以前の作品にあった工夫が取り除かれています。視聴者側が想像力を一切働かせずとも理解できる作品になっているということです。そこでは作品の「味わい」や「楽しみ」より、「理解」が優先されます。つまり映像作品が芸術ではなく情報と化しているのです。

 いくら倍速で時短するとしても、大量の動画を早送りで見続ける行為は、それなりに体力を使うものです。それほど疲労を要する行為の目的が、マウントをとられないためというのは、ずいぶん浅はかで滑稽に感じるのは筆者だけでしょうか。

 そもそも話題についていくことは、どれほど人生において重要なのでしょうか。

 加速する情報社会においては、情報をより多く持つものが強者となります。情報(最近はコンテンツと呼ばれることが多くなりました)をより迅速に、より効率よく取得するためのお助けサイトやアプリは数多く存在します。しかし一方で、無限に流れる情報を消費し続ける行為自体にどれほど意味があるのかについては、それほど世論の関心を引いていないようです。

 ここで情報社会にうんざりして距離を置いた有名な方の言葉をご紹介します。

 

わたしは新聞で記憶すべき記事を読んだことはない。一人の男が盗賊にあうなり惨殺されるなり事故で死ぬなりし、一軒の家が焼け、一隻の船が難船し、一隻の蒸気船が爆発し、一頭の牛が西部鉄道で轢きころされ、一匹の狂犬が撲殺され、冬期に一群のイナゴがあらわれた記事を読めば、そのうえ似たようなことを読む必要はない。一つでたくさんだ。原則をのみこんだうえは、何万の実例だの応用だのは不用ではないか。考える人にとってはすべてのいわゆるニュースは噂話であり、それを編集しそれを読むのはお婆さん連の茶飲みばなしにほかならない。ところがこの噂話がほしくてたまらぬ人間が少なくないのだ。

 

これはアメリカの代表的古典作品である、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』(神吉三郎訳)からの引用です。ソローは町の生活を捨て、森の中に小屋を建てて二年間自給自足の生活をし、その報告書として『森の生活』を書き上げました。初版は1854年です。

 森に住んだ主な目的は、読書と執筆に集中するためでした。当時のアメリカは産業革命を経験し、人々は大量生産と大量消費という新しい「豊かさ」を生活の軸としていました。必要な利潤と効率性の追求のために労働力の集中が進み、人々は一日の大半を労働に費やしていました。ソローは森の中での生活を通して、それほど長い時間を労働に費やす必要も、それほど多くのものに囲まれて生きる必要もないことに気づきます。情報もまた然りです。

 先のソローの言葉は、170年も前に書かれたとは信じ難いほど、現代に当てはまります。「盗賊」や「蒸気船」や「イナゴ」など時代を感じる単語を入れ替えれば、現代作家によって書かれた文章として読まれても不思議ではありません。ソローの時代からすでに情報社会であったということです。ニュースは噂話で溢れ、人々は自分の生活にほとんど関係のない時事に一喜一憂し、そして数日後には忘れています。しかし「この噂話がほしくてたまらぬ人間が少なくない」のです。

 

 

 情報強者を目指す人々が欲するのは、情報を持っているという結果です。彼らにとって情報を取得する過程に価値はありません。取得する情報の質や信憑性にもそれほど関心はありません。自分は持っているという確信が重要なのです。

 若者たちが過程より結果を重視する生きものになったことを年長者が責めることはできません。彼らは日本社会が望むように成長したに過ぎないからです。教育は結果ばかりを重視します。つまり進学のため、就職のために教育は用意されています。大事なのは成績表や試験の点数であり、その点数が進学や就職に結びつくかどうかなのです。何をどのように学び、その学びをどう人生に活かすのか、またはどのような目標を立て、その目標に向けてどう努力を積み重ねるのかなどを考える時間は無駄に等しいのです。進学や就職が学問の目的と化せば、学習内容の基準は学習者の成長の糧になるかどうかではなく、進学先や就職先が好む人材に近づけるかどうかになります。有意義な人生に必要な過程について真剣に考える主体的な個人ではなく、集団生活や効率性重視の社会にとって都合のよい存在の育成にベクトルが向けられます。

 教育が望んだとおりの大人に育った若者たちは、果たして幸せでしょうか。動画を見続けることで、彼らは情報を他人より多く取得するという競争に明けくれているように見えます。取得した情報の活用方法もわからず、それが精神の成長にもつながらず、鼻をかんではゴミ箱に捨てるティッシュのように、彼らは情報を一時的に体に留めては捨てていきますすべては刹那的な優越感と安心感に浸るためです。周りに取り残されないように、孤独と不安に支配されないように。

 他人との比較でしか自分の立ち位置を見定められないのは、孤独と不安が彼らの人生の中心になっているからです。孤独と不安に支配されれば、依存体質を高めます。自分で自分の幸福度がわからず、他人の尺でしか自分の価値を測れません。自分への信頼が薄ければ、自分の内側の声に耳を傾けることも、自分の能力や直感を信じることもありません。つまり主体性を養い自己を成長させる機会をあえて作らない状況に自ら身を置いているのです。

 このタイパ型動画視聴の傾向の原因について、長引く不況によって社会に明るい未来を想像できない若者が、「無駄な」ルートを辿ることなく「成功」に到達したがるという状況を作り出したという指摘があります。不況の影響も確かに大きくあるでしょう。若者に夢を見せられない年長者たちにも責任があるでしょう。

 一方で、経済成長が順調な国であっても情報社会は加速し続けています。情報を受け取り続けないと不安になるという人が多いという国は日本だけに限りません。グローバル化が伝統や土地に根付いた価値観や習慣を否定し、判断基準が情報に取って代わられることで、絶えず流れ続ける情報に追いつこうと明け暮れる人間が増えているのは世界的な現象です。

 ソローは先述の著書で「決して古くなることのないものは何であるかを知ることの方がどんなにずっと大切であることか」とも言っています。社会がどれほど技術を発展させ人々の生活を変革しようと、人間の本質的な部分は大きく変わりません。それは、人間とは学びと体験を重ねることで成長し、かけがえのない(つまり他と交換できない)人生を築いていく存在であるということです。成長の機会は常に結果にではなく過程にあるのです。そして成長につながる学びと体験には必ず感動が伴います

 在学中、単位を過不足なく取得することにのみ関心を向けて過ごした大学生は、卒業証書を受け取ってどれほど感動するでしょうか。感動は過程にあります。気の合う友人や尊敬する教師と議論を重ねたかけがえのない時間、心を動かされた書物との出会い、渾身を込めて取り組んだ卒業課題、そのような心の震える体験の積み重ねが、卒業証書という結果に感動を与えるのです。そしてその感動の積み重ねが、自身の人生の取り替え不可能性を実感させ、自己信頼を形成し、次の感動を探す原動力となります

 情報社会の加速は容易には止められませんが、情報社会の落とし穴に気づき、不安や孤独に支配されたり依存症に陥ったりしないよう若者を導いていくことは十分可能です。その一つは過程の大切さを伝えることかもしれません。理解するという結果ではなく、味わい楽しむ時間にこそ、果実があるということ、それが現代的不安を解消する薬にもなるでしょう。

 


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