『カッサンドラの日記』3 生命力 —「異次元の少子化対策」を考える
橋本由美
少子化が問題になって久しい。昨年は年間出生数が80万を割り、合計特殊出生率が過去最低の1.26になったことで一段と危機感が高まった。若者の低収入や非正規雇用の常態化、イクメンや育児休暇、女性の就業と育児の両立、保育所の拡充、教育費の負担、地域の協力体制、等々、考えられる限りの原因やその対策が議論されている。近い将来、少子化によって引き起こされるであろう社会問題や経済予測について、専門家の喧しい警告が次々に示されているが、それこそ異次元とも言える減少傾向の打開は、寧ろ絶望的ですらある。
日本の高度経済成長を支えた労働力は、敗戦直後に次々に生まれた子供たちだった。荒廃した市街地には、食糧難にも拘らず、裸足でボロボロの汚れた服を着た子供たちが溢れていた。社会全体が貧しかったが、子供の数は多かった。1960年代に彼らが就労年齢に達して社会で働き始めてから、日本の経済力は急激に伸びたのである。日本のベビーブームは短い。出生率が下がり始めると、総人口に占める生産年齢人口の割合が上昇する。それまでたくさんいた子供たちが就労年齢に達して労働人口の増加率は上昇するが、人口増加率は出生数の減少で小さくなっていく。人口に対する労働力の割合が増えることで、経済成長が促される。これがdemographic dividend人口ボーナスである。人口ボーナス期は「ボーナス」というくらいで「一時金」のようなものだ。定期昇給のように保障されるものではない。
いま、若者たちが不安定な雇用や低収入で結婚できないことが問題になっていて、少子化の最大の理由は経済問題にあると言われている。第3次ベビーブームをもたらすと期待されていた団塊ジュニア世代が大人になる90年代にバブルがはじけて、彼らが社会に出るときに就職氷河期にぶつかった。バブル崩壊に直撃され、就職もできず、ニート・パラサイト・ひきこもりが話題になり始め、自分一人の生活すら怪しくなった。既に人口減のモードに入っていた日本にとって、第3次ベビーブームの期待が泡と消えてしまったことは、人口減少のスピードを従来の予測以上に早めることになり、負のスパイラルに陥った。
しかし、60年代の高度経済成長期を支えた労働人口は、戦後の食うや食わずの貧しい時代に生まれた子供たちだった。貧乏人の子だくさんというくらい、貧しい家庭でもたくさんの兄弟姉妹がいたのである。日本の高度経済成長は人口増加の結果であり、原因ではない。そうだとしたら、少子化は経済面だけでは解決しないのではないだろうか。現在進めようとしている経済支援や社会保障、各種サービスの提供など、確かに「子育て」に於いてはある程度は効果が見込めると思われるが、それが「異次元」の対策になるかというと疑問である。なぜならば、「子育て支援」は「育児の負担を減らしましょう」ということであって、「子供が欲しい」という欲求は、また別の問題だからである。
平成30年の厚労省の調査では、男性の3割近くが「経済力の不足」を結婚しない理由に挙げている。腹が減っては軍(いくさ)ができぬ。収入面の改善は必要である。但し、若者が結婚しない理由として最も多かったのは、男女とも約半数が「適当な相手に巡り合わない」ためだという。将来結婚したいという漠然とした考えはあるようで、結婚を否定はしていないが、「まだ自由でいたい」「必要性を感じない」という理由も多い。「結婚」がどうのと言う以前に恋愛が面倒臭いという若者も増えていて、男女の人格が対峙する恋愛関係は疲れると言う。男女関係の関心はセクハラやジェンダーに偏り、男女に限らず、生身の人間同士の精神の格闘が耐え難いほどしんどいらしい。
子供が次々に生まれた敗戦後の貧しい社会と、少子化に悩むいまの社会では、何が違うのだろうか。あの時代にあって、いまはないものは何だろうか。結論を先に言ってしまえば、それは「生命力」である。「夢」や「希望」や「未来」と言い換えてもいい。
戦後数年間に次々に生まれた子供たちの親は、戦前の生まれである。戦争中に青春時代を過ごした人たちである。戦争が終わったとき、戦地からの復員兵は、心身に傷を負っていたとしても、とにかく故国の土を踏めた。内地の人々も、肉親の死や苦痛に耐えながらも、焼夷弾の空襲の恐怖や軍部による規制から解放された。敗戦によって、それぞれがそれぞれに複雑な想いを抱いていたであろうが、とにかく目前にあった「死」の壁が取り払われたのだ。戦後、多くの国でベビーブームがあったのは、同じような状況があったからだ。
高度経済成長期から、兄弟姉妹の数が減っていった。経済成長で社会は豊かになったのに、夫婦は貧しかった時代のようにたくさんの子供を産まなくなった。豊かな生活が、知識やスキルの質・量に関係していることは、社会に出ればすぐにわかる。義務教育までで社会に出た者よりも、高校を卒業した者のほうが給料が上がり、高校までの者よりも職業訓練校や大学を出た者のほうがいい仕事ができるなら、親が子供に教育を受けさせようとするのは当然である。一人の働き手で家計が賄える家庭が増え、教育費を捻出できるようになれば、親は子供を進学させようとする。経済成長は子供の数を増やすのではなく、進学率を高めた。
就学期間が延びるということは、若者の社会に出る年齢が上がるということでもあって、いままで義務教育だけで就業していた者が高校や大学まで進めば、単純に考えて数年は労働力とならない。働かなければ、自立できない。加えて、女性の進学率が上がると、結婚年齢が上がる。男女とも結婚年齢が上がれば、子供の数は減っていく。それでも、一生懸命勉強して真面目に働けば生活が豊かになるという「夢」がある時代だった。50年代や60年代の歌謡曲を聞けば、それがわかる。貧しい耐久生活の時代を知っている者にとって、所得倍増で生活が楽になれば、豊かになることが「夢」にもなり「希望」にもなる。
教育の普及による少子化はどの国でも同様に見られる現象で、成熟した社会がいずれは直面する普遍的な問題だと言える。教育は単なる知識の伝達ではなく、それによって己の小ささを知り、人生の深い洞察を学ぶ機会を与えることでもある。高等教育は「学びたい」という欲求に応えるものであるはずだ。しかし、教育を受ける目的が学歴の取得になれば、如何に効率よく学歴や資格を手に入れるかに関心が集まるようになる。学習法や受験のノウハウが注目され、そのための情報が売れるようになった。塾や予備校の情報、どの高校が進学に有利か、どの大学が就職に有利か、更には、どんな企業が給料がよく、どの程度の給料ならばどんな住居に住めて、退職金や年金の額はどのくらいか、介護施設の入居料から自分の葬式の費用まで、頼んでもいないのに一生の情報をこと細かく教えてくれるのがいまの社会だ。
現代社会は近代化と歩調を合わせてきた。近代化そのものと言ってもいい。近代化は効率を優先する。更に、グローバリゼーションは経済成長の質を変えてしまった。巨大な金融資本に立ち向かえる力もなく、覆い被さるITやAIに逆らう術もなく、「生産」から離れたところで自己増殖する富の追求が、世界を蹂躙するようになった。近代化はあらゆるものを貨幣価値に置き換えて、経済が無限に成長することを想定し(または「願って」)、進歩の度合いを数値化して確かめようとする。数値化すればある程度のことは予測がつく。教育も就職も偏差値や給与で数値化され、住居も医療も健康も行きつけのレストランも旅先のホテルのグレードも子供にかかる経費も、人生がまるごと数値化されランク付けされていく。数値化できない事象は切り捨てられる。真面目に勉強し働いて描く未来も、客観的指標によって点数化数値化され、それに応じた人生のゴールが見えてしまう。端末の普及により、近代化を指標とした情報が絶え間なく個人を直撃し、常に選択を迫られ、コスト削減に追われ、気が付けば自分の情けない一生の終章がちらつく。個人の夢は萎み、無力感だけが漂う。
既に出産可能な年齢の女性の数が激減している以上、人口増加はほぼ絶望的である。一人の女性に、子供を産め、労働力不足だから就業して戦力になれ、家事育児をこなせ、親の介護をしろ、と言っても、それはあまりにも酷な要求である。それを要求せざるをえないようないまの社会は、男性の意識変革だけで是正されるだろうか。いまの社会の在り方そのものを問い直す必要があるのではないか。政府の子育て支援策は、現代社会の仕組みや価値観を保とうとするものである。「異次元」の改革ではなく「現次元」を維持するためのものである。その「現次元」は30年に亘るデフレの時代が続いている。ケチケチと収支勘定をしている社会である。これでは政府は永遠に支援し続けなくてはならない。人生に夢を持てる社会に質的変化をしなければ、生きる力が削がれ、生まれる子供の数は増えないだろう。子供は国にお願いされて産むものではない。そのこと自体が歓びなのだ。生命力そのものなのだ。収支勘定を優先していたら、子供は産めない。
当面、人口が減少するのは避けられないが、それでも若者が夢や希望を感じ取れる、そんな数値化できない部分の「社会の成長」を考えてみてはどうか。そういうことを議論しなければ、「異なる次元」には到達しないのではないだろうか。
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