2024.01.21
6年前の本日1月21日、日本全国が大雪に見舞われたあの日、我が師西部邁は多摩川に入水しこの世を去りました。
この日にあわせこの度、西部邁の大学、学生運動の先輩でもある故森田実との共著で、
『「西部邁」を語る』(藤井聡×森田実)
を出版いたしました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4846023591
西部先生の自裁から6年。ということは、先生からお引き継ぎした言論誌『表現者クライテリオン』の編集長を、6年続けてきたということでもあります。
もし、西部先生が、編集長就任を当方に打診しておられなければ、実に多くの物事が全く違った形で展開していました。
『表現者クライテリオン』は存在せず、それに伴うテレビもラジオも塾もなく、それに直接間接に関わった方々の人生も、そして何より表現者賞で受賞された方々の人生も全く違ったものとなっていたことでしょう。
当方個人に関わるわずか6年間だけでそれだけの大きな影響をもたらした人物が、西部邁という方でした。
だとすれば、私以外の西部先生の多くの弟子達や、西部先生の言論に触れたもっと多くの人々を介した西部先生による影響の大きさは、計り知れぬものがあります。
だから当方は一人の弟子として、西部邁なる存在が如何なる存在であったのかを、西部邁を知らぬ方々、知っていたとしてもあまり深く知ってはいない方々に、是非ともお伝えしたい、それがそうした方々の人生に、我々が西部邁から頂いた凄まじい良き影響をわずかなりとも及ぼし得ることになるのではないかとかねがね考えて参りました。
しかしながら当方が知る西部邁は、雑誌『発言者』『表現者』を創刊し、言論活動を展開し、当時の我々の様な若者達に対して「発言者塾」で語りかけていた、先生の後半の人生のわずか20年足らずの西部邁であり、西部邁を語る一冊の書籍を纏めることに大いに躊躇していました。
そんな中、当方が深く尊敬し敬愛していた、西部邁氏に勝るとも劣らぬ戦後日本の知の巨人、森田実先生から、「西部を語り合う本を書かないか?」と声をかけられたのでした。
森田先生は西部先生の東京大学の7年上の先輩であり、西部先生が学生時代に全力を投じて取り組んだ学生運動を立ち上げた人物。
西部邁が学生運動の拠点とした「ブント」の創立メンバーこそ、森田実氏でした。
しかも森田氏は、学生運動を終え学究の徒として経済学の学者となった西部邁を、出版の力を通して世に出した人物でもありました。森田氏が学生運動を引退し、経済誌『経済セミナー』の編集長を務めていた折に、若き経済学者・西部邁に連載執筆を提案したのです。
西部邁はその機に連載したソシオエコノミクスにて、経済学者としてのみならず、思想家、言論人としての有り余る潜在力を満天下に知らしめることとなったのです。つまり、西部邁が学術界、言論界で大いに注目されるに至る重大な契機が、森田氏によって与えられたわけです。
かくして、西部邁の生涯をかけた公的活動を、学生運動の第一期、経済学者としての第二期、そして、思想家・言論人としての第三期に分けるとするなら、筆者は第三期の思想家・言論人としての(さらには教育者としての)西部邁と時間を過ごしたわけですが、森田実氏は、筆者が直接存じ上げなかった第一期の学生運動期と第二期の経済学者期を深く知る人物だったわけです。
その森田氏から「西部について語り合う本を書かないか?」と乞われれば断る理由など何もありません。
二つ返事で「是非お願いします」と申し上げ、その後、森田先生と西部先生をじっくりと語り合う対談を幾度となく持ちました。
本書の本体はまさにその対談録です。
学生運動時代、そして、若き経済学者の頃の西部邁とは一体どのような人物だったのか、そして、筆者が共に過ごした晩年の言論人、そして、教育者としての西部邁とは一体どのような佇まいであったのか…著作やメディアでの露出だけでは浮かび上がらない西部邁という人物の全体像を、可能な限り克明に、恐るべき記憶力を持たれていた森田先生と共に語り合いました。
そして、森田先生から当方が直接存じ上げなかった西部先生の横顔、素顔を様々な形でお伺いすることで、当方個人の西部先生に対する理解がさらに深まるに至りました。
そしてその対談を通して筆者が改めて深く認識したのは、学生運動の頃の志が如何に当時の時代で共有されていたのか、そして、その志は、経済学者期においても、言論人期においても明確に貫かれ、具体の活動の内容こそ違えど、首尾一貫した思いが西部邁を生涯突き動かし続けたのだという「真実」でした。
この「真実」は、その語り部が森田実氏であったからこそ辿り着いたものです。
その森田実氏は、この『「西部邁」を語る』の最後の原稿をとりまとめたわずか3時間後、昨年令和5年2月7日、病床にてこの世を去りました。
享年90歳、森田実氏が「砂川闘争」にて米国に対する日本人としての唯一の勝利をあげて以来、様々な数々の公的実践を積み重ねたその最後の仕事が、まさにこの『「西部邁」を語る』だったのでした。
森田先生は、「絶筆」となるこの書籍の出版に並々ならぬ思いをお持ちであられました。森田氏「危篤」の一報を受けたのが令和5年の1月9日。その時点でもはや残された時間はあと数日ではないかと伺っていましたが、その一報を受けてから筆者は本書の最終とりまとめ作業をとにもかくにも進めることといたしました。
そして、その作業の全てが終わり、最後の原稿を手に森田先生の病室に飛び込んだのが令和五年2月7日の朝。
病室でその「おわりに」の文章を朗読し、この内容での出版の許可をお伺いしたところ、森田先生はその病床から確かに大きくうなずかれたのでした。
そのわずか3時間後に他界された森田先生は、本書のとりまとめを当方と確認し合うその瞬間のために、危篤になられてからの約一月、生きて下さったのではないかと、その時、筆者は感じざるを得ませんでした。
…
西部先生、森田先生がご存命の内にしっかりとたっぷりと西部先生のお話を伺いつつ、西部先生について語り合う書籍をこの度改めて、出版させて頂くことができました。
出版日は、先生のご命日を終えた翌日、1月22日、です。
この書籍が出版できたのも、本書執筆を通して晩年の森田先生とのご縁を頂くことができたのも、そして、こうした言論活動の展開を含めた人生を歩む事ができたのも、全て西部先生のお陰です。
そちらに行かれました森田先生とは既に、いろいろと直接お言葉を交わされているものと思いますが、改めて、故森田実先生の御霊と共に、西部先生に本書を捧げたく存じます。
西部先生と巡り会えたご縁に、心より、感謝申し上げます。
当方がそちらに参りました折には、是非また、ご一緒させて頂けますと幸いです。
それまでの間、まずは森田先生と先生について語り合った本書『「西部邁」を語る』を一人でも多くの日本国民の皆様に紹介申し上げつつ、いましばらく、こちらの世界でできるだけの事にできるだけ取り組んで参りたいと思います。
その日まで、ごきげんよう。
…
ついては本メルマガ読者の皆様も是非、本書『「西部邁」を語る』を通して、西部邁という人物にお触れ頂きたいと思います。
『「西部邁」を語る』(藤井聡×森田実)
https://www.amazon.co.jp/dp/4846023591
それをきっと、お触れ頂いたお一人お一人に、なにがしかの影響を及ぼすにちがいないと、筆者は感じております。
どうぞ、よろしくお願い致します。
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