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『カッサンドラの日記』18 塩 ——歴史に埋もれた戦略物資

橋本 由美

橋本 由美

 『最後の晩餐』といえば、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁に描かれた、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が最も有名だろう。イエスが弟子たちに、この中に自分を裏切る者がいると告げ、弟子たちがざわめいた場面である。ここに描かれたイスカリオテのユダがテーブルに乗せた腕の前には、倒れた塩入れから塩がこぼれ出ている。ダ・ヴィンチは、どうしてこんな風に描いたのだろう。

 聖書に「塩」は随所に見られる。旧約聖書の『レビ記』には、「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。(2,13)」とある。主に献げる穀物はすべて酵母を入れてはいけないという定めは、酵母や蜜を入れたパンは発酵により腐りやすいからで、塩をかけるのは清めのためである。塩の好ましい不変性から、「神がその民を守り、人々は律法を守り続ける」契約は不変であることを「塩の契約」という。(『レビ記』:祭祀に関する規定が書かれた書。ヤコブの息子の系譜であるレビ族が祭祀を司ったことによる。)ユダの前のこぼれた塩は、「永遠の塩の契約」(民数記18, 19)が破棄されたことを表わしている。

 清めの塩は、日本でも同じように使われる。葬儀の後や土俵に塩を撒くもの清めるためであるし、料亭や居酒屋で嫌なお客が帰ると、女将さんが小女に「塩撒いておきな!」と怒鳴るのも「清め」である。古代から多くの民族の間で「塩」が清めの意味を持つのは、食べ物を腐らせない塩のもつ力を知っていたからだ。この塩の力は、歴史の影のメインプレーヤーとして多くのことに関わっている。

 塩分を摂らなければ生きられないことを、どうやら原始時代から人間は知っていたらしい。塩から生成するイオンは、人体の細胞の内側と外側の電解質バランスを維持するための重要な働きをしている。細胞膜の内外の電荷の差が電気信号を伝える原動力になり、神経機能や筋肉運動に大きく関わっている。塩分の摂取量が多すぎてもよくないが、まったく摂取しなければ生きていけないことを、遊牧民も定住民も知っていた。遊牧民の移動ルートは水を補給できるオアシスの場所だけではなく、塩の層がある地域を通ったという。キャラバンの家畜の群れにも塩分が必要で、大量の塩を持ち歩くわけにはいかなかったからである。

 塩は、調味料としてよりも、保存用として重要だった。文明の発展に従って次第に塩が強く意識されるようになったのは、農耕で穀類を主食にするようになった定住民にとっては不足しがちな蛋白源を保存するために、また、肉食が主な民族も冬の食料を保存するために塩を用い、更に、分業化と都市化によって食糧の大消費地が出来たことで需要が増大したからである。塩は塩漬けだけでなく、燻製やハムや蒲鉾などの防腐にも使われている。ローマ軍の兵士の給料は塩で支払われた。始めは塩の塊の現物支給だったが、次第に「塩を買うための銀貨」で支払われるようになる。これをsalariumといい、いまのサラリー(salary)の語源である(sal=塩)。俸給として用いられたのは、それだけ生活に欠かせない必需品だったからである。塩を振りかけた野菜(salad)、塩を使ったソース(sauce)、ソーセージ(sausage)、サラミ(salami)などは、ラテン語の塩が語源である。

 食料を腐らせないという塩の特性が、大量消費による利益を生んだ。ベネチア発祥の地と言われるトルチェッロ島には、中世に建てられた教会がある。トルチェッロ島から、現在ガラス工房で有名なムラーノ島までの地域は、西暦1000年ころに修道院によってラグーナ(潟)に塩田が作られた。地中海の豊富な太陽のエネルギーを利用して海水を蒸発させて塩を作り、内陸部に輸出した。ベネチア人の祖先は、ラグーナでは手に入らない穀物と、塩田の塩を交換していたのである。ベネチア人は、塩の生産だけでなく、その商取引にも関わるようになった。半島部から流れて来る川の河口に位置するために、川の氾濫によって流れのコースが不安定になり、塩田の海岸が度々浸食された。川の流れを制御するために、ベネチアでは大規模な工事が行われ、そのための強力な政治組織ができる。13世紀になると、塩田は修道院からベネチア政府の所有になり、「塩税」を導入するようになった。塩田は、穀物との交易の手段から、政府の管理下で富を生み出す独占事業になった。ベネチアの塩は、ヨーロッパ各地に売られた。地中海沿岸の塩田を買い占め、塩の交易ルートには、各所に税関が設けられ、商隊は税を払って通過した。「独占によって自由に売値を決められ、短期間で富を築くことができる」ことを学んだベネチアは、軍事力を持った船団と商売のノウハウを生かして、後に、オリエントの贅沢品を独占的に扱う地中海貿易の基盤を作った。

 塩の独占(専売)というベネチア・モデルは、ヨーロッパの各地で採用された。塩田からの商船にも、内陸部の岩塩の製塩所から運ばれる荷馬車にも、通行料という形で塩の課税があった。オーストリアのハルシュタット(Halstadt)やドイツのハレ(Halle)のように塩の産地にはHalで始まる地名が多い。Halはギリシャ語の塩(als/hals)を意味する。オランダやハンザ同盟の商業都市は、塩の取引とその独占によって力を蓄えていった。輸送に使う港には塩倉ができて管理所ができた。塩を運んで来た船の空になった船倉には、帰路、塩漬けの鰊や鱈の樽が積み込まれた。その頃の大西洋沿岸の住民にとって、魚は蛋白源だった。遠洋に出た漁船上で、獲った魚をすぐに塩漬けにすれば、腐らせずに港まで運べるようになる。沿岸だけでなく遠洋にまで漁場が広がった。塩漬けの蛋白源は、大航海時代の船乗りたちの食料として、長い航海を可能にすることにもなった。

 塩の貿易は、売買に関わった都市に利益をもたらしたが、一方で、塩税の負担は反ベネチア的気運を高めていた。ユダヤ人にとって塩は宗教上重要なものである。塩の製造や流通に関わるユダヤ人が増え、ドイツのハレの塩鉱の経営やポーランド、オランダなどの岩塩の取引にも携わったが、このことで、庶民の反ユダヤ的な感情をも強めることにもなった。

 フランス東部の山の中にサランという鉱泉の町がある(Salan)。サランには製塩所の立派な建物がある。鉱床を通る地下水を蒸発させて塩分を取り出す蒸留場で、中世から第二次大戦でドイツ軍の空爆で地下水路が爆破されるまで生産が行われていた。15世紀にはヨーロッパ随一の製塩所だったという。フランス王妃を輩出して権勢を誇ったブルゴーニュ家は、同時に、イングランド産の羊毛の加工で栄えていたフランドル地方の領主でもあり、このサランの製塩所の筆頭「株主」であった。フランスでは塩税をガベルといって、次第に主要な国家税収のひとつになる。ガベルは「8歳以上のすべての男女が、王の決めた値段で、毎週、一定量の塩を買わなくてはいけない」という強制的な税であった。税率も配給量も、王が好きなように増やすことができた。例えば、ホイジンガの『中世の秋』の時代では、一般人は毎回300Lから450L、金持ちになると1000L以上の塩を購入しなくてはならなかったという記録があるそうだ。調味料として使っている私たちにとってはとんでもない量だが、保存食品を作る場合は日常的にかなりの塩を使う。それにしても、これだけの量が義務だというのでは堪らない。(堀越孝一『ブルゴーニュ家・中世の秋の歴史』/ 講談社現代新書)

 塩税は消費税のようなものである。消費税より性質が悪いのは、生存に欠かせないものに対する恣意的な課税だったということだ。どの社会階級にも課せられ、とくに都市の貧困層にとっては、逆進性のある過酷な税であった。塩の原料費は大したことはないが、上乗せされる税額が高い。輸送の途中の税関を通過する度に税金がかかり、小売値の殆どを税金が占めていたようなものだろうか。悪名高いガベルはフランス革命の一因にもなった。1790年、革命の最中に廃止され、怨嗟の対象だったガベル徴収人が処刑されたが、ナポレオンが戦費捻出のために復活させ、最終的に撤廃されたのは第二次大戦後であった。ガベルという税は、富の再分配のための公租ではなく、王家の収入のためのものだった。近代の物品税や消費税は、塩税の子孫だとも言われる。

 中国の漢代に『鹽鐵論』(塩鉄論)という書がある。武帝の時代に匈奴との戦いで国家財政が逼迫し、その対策として、貨幣の改鋳や新税の設立、塩や鉄や酒の専売の動きが出て来る。しかし、このような「財政改革」は「増税の負担と景気の悪化」によって人民の不満を募らせ、盗賊も出没して治安の悪化を招いた。不穏な世情の中で武帝は亡くなったが、次に即位した昭帝は、まだ8歳だった。皇帝の勅令を出せない状況で、家臣たちは善後策を探る。前81年に「有識者会議」が召集され、政府の大臣、省庁の官僚、学識経験者などが、長い議論を重ねた。メインテーマは専売制度の存廃についてであったが、議論は政治・財政・外交・学問・社会にまで及び、真剣な討論が繰り広げられた。国家財政の責任者であった桑弘羊は強硬な増税派で、税や専売を廃止して人民を救済すべきだという学者たちと対立したが、彼らの真面目で真剣な議論は、のち、宣帝のときに「議事録」を後世まで残す価値があると考えられ『塩鉄論』としてまとめられた。専売や税は、とくに対象が生活必需品に関わるとき、確実な歳入を期待できる反面、民衆を苦しめる。財政問題と民衆の救済(福祉)は、国家にとって常に頭の痛い問題である。『塩鉄論』が時代を超えて読み継がれたのは、現在に至るまで完璧な解決が望めない二律背反だからだろう。(『塩鉄論』岩波文庫)

 勿論、日本でも塩は重要だった。「鹽土神」「鹽椎神」などと書かれる「シオツチノカミ」は、塩の作り方を教えたという伝説から「塩の神」と言われ、海彦山彦や神武東征を導いたという伝説から「潮の神」とも言われる。神さまの名前になるくらい、古代から「塩」が必需品であったことがわかる。

 浅野内匠頭が朝廷の勅使饗応役に任命されたのは、藩の財政が豊かだと思われていたことがあるだろう。当時の幕府は、綱吉の浪費や金銀鉱山の枯渇で財政難に陥っていた。元禄8年、幕府は小判の改鋳を行い、大量の小判が市中に流れ込んで経済が活発になり(異次元の金融緩和ですね)、好景気になる。この時の改鋳では、それまで87パーセントだった金の含有率を57パーセントまで下げたために物価が高騰した。こんなインフレのときに、勅使饗応役などという責任ばかり重くてお金のかかる幕府のお仕事などやりたい大名はいない。赤穂藩には良質な塩田があった。塩田は藩独自の開発で石高とは関係がないため(帳簿に記載の必要がない藩の裏金ですね)、そこからの「運上銀」で裕福な藩だと見込まれていたのだろう。「運上銀」は塩田業者に課す一種の塩税で、塩は財政を司る者にとって魅力的な財源だったに違いない。

 松の廊下の刃傷事件の第一報が脅威のスピードの早駕籠で赤穂に到着するシーンは、映画でも見せ場になっている。江戸から赤穂までは約620キロある。通常なら約2週間、早駕籠でも1週間はかかると言われた距離を、僅か4日半で駆け抜けた。内匠頭の切腹と藩のお取り潰しを知らせる第二報の早駕籠も同様である。以前から赤穂藩は塩の販売ルートを持っていて、各地の問屋場とのコネがあったために、非常時の協力体制が発揮されたからだという。塩の政治力は大きかった。(山本博文『「忠臣蔵」の決算書』新潮新書/『知識ゼロからの忠臣蔵』幻冬舎)

 明治政府は塩の価格安定のために1905年、塩の専売を始める。当時、品質の悪い廉価な外国産の塩の流入に危機感を持ち、国内産業育成のためであったが、同時に日露戦争による財政悪化もあり、収益性を重んじた結果でもある。1919年には、収益性から公益性、つまり国民への安定した供給と国産の製塩技術の向上が目的になった。塩の専売が廃止されたのは、平成になってからである(1997)。

 最も早く塩税が廃止されたのはイギリス(1825/スコットランド)だが、税に苦しめられた民衆の訴えに応えたためではない。産業革命以降の産業界の要求によるものだった。産業革命は数々の製品を世に送ったが、そこには化学の発達も寄与していた。繊維製品、漂白、石鹸、硝子、製紙、酒造などなど、多くの産業で化学薬品が大量に必要になった。塩(NaCl)は、化成品製造での「出発原料(starting material)」として重要なもので大量に使われるために、課税は産業の発展の妨げになったのである。民衆の困窮を無視し続けた為政者も、国家の産業の発展のために塩税を撤廃した。近代になって塩のステイプルとしての価値や役割は変化した。

 いま、食卓にある塩は安価で手に入る。寧ろ、過剰摂取による健康被害で悪者扱いされることが多い。長い間、重税・通行料・密輸・闘争などで、多くの人々が経済的負担を強いられ、塩が原因の罪で投獄されたり殺されたりして苦しんできた。その塩が安価になった大きな理由はもうひとつある。それは、冷蔵・冷凍技術の発明である。食物の腐敗を防ぐための塩の役割は、冷蔵・冷凍技術によってほとんど終了した。化学製品開発が盛んになることで、人々がやっと塩税から解放され、ようやく保存食を作るための塩が安価に手に入るようになったときには、皮肉なことに、冷蔵・冷凍技術によって、食品保存のための塩はほとんど不要になっていたのである。

 「専売」や「税」は、良くも悪くも戦略物資の活用例だと言える。財源として、圧力として、支配権として、国内でも国家間でも駆け引きに使われる。現在、エネルギーも食料もレアアースも半導体もとっくに戦略物資になっている。これから深刻になるのは、国際間の「水」の戦略物資化だろう。気候の変化や紛争や大災害等の世界的リスクが増大するなかで、生存に欠かせない物資の安定的供給をどう確保するのか、能登半島地震の対応を見ていて心許なくなっている人は多いのではないだろうか。翻弄されるばかりでは生き残れない。

 塩の生産はローテクでも、昔は誰でも良質な塩が作れたわけではなかった。生産技術と販売ルート、供給方法、税などをどう創設し活用するかを考えるのは人間である。更に、思考力や技術力や発想力といった、戦略“無形”物資もまた解決の糸口になるということを、食品保存のための「塩」への依存から「冷蔵・冷凍技術」への転換が教えてくれる。戦略は、柔軟な思考と、過去から未来への長い時間軸から学ぶ態度が必要だ。目先の利益だけに囚われ、コスト削減で生き延びようとする「セコい」発想では「戦略」のほうから逃げていく。資源に乏しい国にとって、戦略“無形”物資としての人間が最大の資源であり投資対象であるはずだ。その供給源である大学や企業が、コスト削減で人材に投資することなく粗末に扱ってきた。新NISAで国民に「自分で老後の資産形成をして下さいね」と言う前に、所得を上げるための国の長期的な計画と大胆な実行力が欲しいと、半分諦めながら気弱につぶやく私である……。

 

*冒頭の画像
Detail of the copy of the Da Vinci’s Last Supper by Giacomo Raffaelli

 


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