【全文特別公開!/大場一央】アジアは世界なりー多極化の時代のはじまり

啓文社(編集用)

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今夏開催予定の「水戸遊学合宿」を前に、講師を務める大場一央先生による過去の特集論考を特別に全文公開いたします。

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中国やインドは伝統文化の復興を試みている。
日本もグローバリズムに屈している場合ではない。

一、「東洋」を否定した津田左右吉

 私の出身は、早稲田大学大学院東洋哲学専攻、通称「東哲」である。そこには仏教(印度哲学、中国仏教、日本仏教)、道教、儒教、神道の研究室が存在する。

 東哲の淵源を辿ると、津田左右吉(一八七三~一九六一)に行きつく。津田は記紀神話の実証批判を行い、神武天皇(第一代)から仲哀天皇(第十四代)までの全ての天皇の実在を否定した。このことによって一九三九年、発禁処分を受けている(津田事件)。

 ただ、津田は東洋史や中国思想に対しても同様に、片っ端から根底をひっくり返すような研究をしている。儒教経典などは、ほとんどが戦国末期から漢代に成立したものであるとする─ ─ちなみに現在では津田の年代設定が批判され、再び経典成立の年代が遡りつつある─ ─。こうした研究姿勢は師である白鳥庫吉(一八六五~一九四二)の文献批判を継承したものであり、もっといえば「抹殺博士」の異名をとった重野安繹(一八二七~一九一〇)、「神道は祭天の古俗」で物議を醸した久米邦武(一八三九~一九三一)を筆頭とした、明治以来の権威的学統に属する。戦後の陽明学研究を牽引した碩学、山下龍二(一九二四~二〇一一)が言うように、戦前に神話と史実を混同していた人間などまれで、神話は神話、歴史は歴史として考えていたから、津田の研究は改めて驚くほどのことはなかったのだが、時あたかも大正デモクラシーからの揺り戻しにあたり、神話から古代史をひねりだそうとする動きがあったこともあいまって、政治的に目をつけられたというだけのことである。

 ところで、その津田に「東洋文化、東洋思想、東洋史」という一文がある。ここで津田は、「印度の文化、支那の文化、日本の文化はあるが、東洋文化というものはどこにもない」と述べた。日本、中国、インドの間には、仏教や儒教などの流通があったとしても、それはあくまで表面的なものであって、ギリシャ、ローマを継承する西洋諸国のような共通性が存在しない、というのである。

 このことから津田は、「東洋」というカテゴリーそのものが無意味であり、「東洋史」も「東洋思想」も存在しないと断言した。もちろん「東洋哲学」などあり得ないのだから、早稲田に東哲があること自体、津田からすれば不本意かもしれない。

二、越えられない無理解

 津田の「東洋」否定は、至極真っ当と言わねばならない。

 たとえば朱子学を研究する場合、「理気二元論」や「体用論」に代表される観念的議論には、華厳の認識論であるとか、禅の主客(主体と客体)といった、仏教思想の影響があるとされる。ただ、朱子(一一三〇~一二〇〇)がそうした議論を行うのは、仏教に匹敵する観念的議論を展開することで、仏教思想の優位性を突き崩すためである。要するに、仏教思想がすぐれた観念論によって、社会常識や規範、さらに「個」の存在すら相対化し、「人倫」(人間関係)を解体していくのに対し、朱子は仏教批判を通じてそれらを再構築し、「人倫」を強化したいのである。その結果、朱子学の議論は「個」を育て、規範を生成する方法論(工夫論)が際立つようになっている。

 こうした朱子の思想戦術は、後世の儒学者から猛批判を浴びる。つまり、朱子の行った観念的議論そのものが、「人倫」から遊離すると判断されたのである。眼前の他者を必要としない観念的思考は妄想に過ぎない。人間は常に、他者と向き合った際にわきおこる倫理的心情(良知)によってしか存在し得ず、また倫理的意味づけ(致良知)以外に事物を認識し、世界を創造し得ないと考える王陽明(一四七二~一五二八)は、その急先鋒であった。

 さらに朱子学が日本に入ると、伊藤仁斎(一六二七~一七〇五)は、朱子の論理構造を利用して朱子学を批判し、「人倫日用」に徹底することを説く。これは、誠実な言動(孝悌忠信)にもとづいて生活する人々の人生がそのまま、現在進行形で社会を生成発展させている、という考えである。

 また、朱子学者の貝原益軒(一六三〇~一七一四)は、生活をとりまくあらゆる物事の筋道(条理)を、朱子学の「理」に置き換えた。彼は、これを洗練させた先に世界が生成すると考える。

 こうしてみると中国と日本は「人倫」重視で共通していように見えるが、実際にはそうでもない。中国は皇帝による専制支配ばかりか、特に明代以降は親族内でも宮廷のような支配が行われる。したがって、「人倫」といっても極端に政治性が強く、同族の結束が強い反面、他の一族には恐ろしく冷淡で、地域や国家単位の共同体としては成熟しにくい。大多数の人民は貧困のまま放置され、「人倫」をつくる余裕すらない。故に、規範を批判的に再規定する中国儒教(朱子学、陽明学)は、「人倫」から専制的抑圧を剝ぎ取り、思いやりでつながる社会をつくらねばならない。『大学』がまず「個」を確立した先に、家、地域、国家へと至る調和的な結合を説くのは、そのためである。

 これに対し、日本はそうした外的規範の制約が少ないため、日本儒教はむしろ、士農工商の全国民が日常生活の中でつくりあげる、誠実な人間関係(人倫)を、そのまま「理」や「道」として肯定していく。よって日本社会は厳格な身分制があったにもかかわらず、同じ社会の一員としてつながろうとする傾向がある。私見では、これは神道の「中今」、すなわち、神代から現在まで、日本人全員の生活を通じて永遠に世界は生成されているといった、無意識の信仰が存在しているのだと思う。よって外的規範を一律に押しつけ差別的な社会を形成するのは、かえって社会を分断し生成を阻害するので嫌がる。儒教という共通項があればこそ、中国と日本の異質さはかえって際立つこととなる。したがって、儒教、仏教という、文字面の共通点はあったとしても、それを読み、考え、語る日本、中国、インドの間には、絶対に越えることの出来ない文化的な断絶が存在するのであって、制があったにもかかわらず、同じ社会の一員としてつながろうとする傾向がある。私見では、これは神道の「中今」、すなわち、神代から現在まで、日本人全員の生活を通じて永遠に世界は生成されているといった、無意識の信仰が存在しているのだと思う。よって外的規範を一律に押しつけ差別的な社会を形成するのは、かえって社会を分断し生成を阻害するので嫌がる。

 儒教という共通項があればこそ、中国と日本の異質さはかえって際立つこととなる。したがって、儒教、仏教という、文字面の共通点はあったとしても、それを読み、考え、語る日本、中国、インドの間には、絶対に越えることの出来ない文化的な断絶が存在するのであって、「東洋」という分類は無意味だと言わざるを得ないのである。

三、文化なき経済成長

 津田は「印度のも支那のも、古代に一度それが大成せられてから、殆ど変化がない。時間は徒らに流れても、歴史は開展せられずして今日に及んだ。概していうと、ここには中世も近世もなく、まして現代はなく、ただ古代の延長があるのみである」と述べた。

 確かに、二〇一〇年以降、GDP世界二位を維持している中国、そして二〇二三年現在、GDP世界第五位にいるインドではあるが、いずれも昔を根強く引きずった社会を継続している。

 たとえば中国は、共産党の指導という外的規範によって、専制社会が確立されている。また、結束する親族と疎外された個人とで社会がばらばらであり、共同体として成熟する気配がない。その結果、大多数の平均月収が二万円に満たないという超格差社会が生まれている。カウンターとなる儒教がないことで、ただひたすら共産党の指導を礼賛し、批判的に考えられないことから、中国には学術も芸術も技術もコピーしかない。

 またインドは、情報、サービス分野における突出した成長の裏で、大多数が農業に従事し、経済の基礎となる製造業が成長していない。これはカースト制度の影響によるものらしいが、この結果として国民一人当たりのGDPが世界水準より低く、これまた植民地時代に受けた文化破壊によって、経済成長に匹敵する学術、芸術、技術の成熟は見られない。

 フランスに住むと聞いた時の「あら素敵ね」といった反応は、その国の経済力や文化といった、総合的なイメージにより出てくるもの─ ─それが正しいかは別として─ ─だが、中国やインドに移住すると聞いて、その反応が出ることは、フランス以上に考えにくい。これはとりもなおさず、現代西洋文化に匹敵する文化がないからであり、その証拠として、当の中国やインドの富裕層は、おしなべて西洋の富裕層のごとき生活をしている。

 津田の言うとおり、表面的な経済力や軍事力に変化はあっても、本質的にこれらの国には歴史的変化が存在しない。つまり、西洋型の現代文明に順応しつつ、批判的に新しい社会や生活のモデルを示すような、文化の変遷が存在しないのである。ここに存在するのは、旧態依然たる社会構造と、とってつけたような富裕層の西洋趣味だけであって、近代史を通じて文化の真空状態が続いている。このことは、中央アジア、中東、アフリカにおいても大同小異であろう。したがって西洋の対概念としての「東洋」は存在しない。

四、変わらないことは良いことだ

 だが、もしも中国やインドに文化的変化がないことを「悪い」と考えたとしたら、それは日本人が彼ら以上に西洋化されたことを示すものでしかない。明治時代にさかんに「文明開化」が叫ばれたのは、文化の西洋化がなければ、産業の近代化ができないと考えられたからである。しかしここで現出しているのは、文化の西洋化が不十分でも、物質的な条件さえそろえば、西洋を脅かす近代化が可能だという実例である。

 また、中国やインドは、文化的には真空状態のまま経済成長を達成したのであって、それはつまり、「民主主義」や「人権」、「自由」や「平等」といった文化の西洋化がなくても、物質的な条件さえそろえば経済成長が可能であり、かつそれに伴う独立を保つことができることを証明しているのである。すなわち、インドや中国の社会構造が、西洋文化の観点から非難されたとしても、それで経済的に自立して成長するなら、彼らにとってはそれで「良い」ことのはずである。

 局部的に見るならば、「総量規制」によってバブル経済をむりやり恐慌へと落とし込み、アメリカの流行思想を丸写しした「構造改革」によって、急速な経済成長から一転して長期の停滞に陥った日本に比べ、毎年毎年「中国経済大崩壊か!?」と言われながら、強権的に崩壊を遅らせ、あまつさえ中国製品がなければ、庶民生活が破綻するまでアメリカを追い込んでいる中国の方が、良くやっているとさえ言える。また、カースト制度によって大規模な農業人口を維持しているインドでは、経済発展に必要な人口圧力を常に保持し、少子化などどこ吹く風である。そして、農村では相変わらずの生活文化が維持されている。

 物質的優位が文化の普遍性を証明するという論法は、会沢正志斎(一七八二~一八六三)が喝破したとおり、西洋諸国が得意とする思想戦の常套手段である。そうした意味で「グローバリズム」は西洋文化が世界を覆う最終局面だったとも言える。だが、ここにおいて物質的優位は大幅に縮まりつつある。そうした時、非西洋諸国は果たしてこれまで通り、「民主主義」や「人権」、「自由」や「平等」といった、西洋文化にもとづくイデオロギーを大人しく受け容れるであろうか。それは恐らく「ノン」である。

 習近平(一九五三~)が陽明学を持ち上げたことで、中国では儒教研究が急増しているが、それはお手盛りのスローガンに溢れていて、ほとんど価値がない。しかし、ここで重要なのは、西洋文化に対抗する中国文化を見つけ出そうとしていることである。「中国夢」は政治だけでなく、文化によっても行われようとしている。

 モディ(一九五〇~)はインドの首相として、急進的なヒンドゥー至上主義を推し進め、インド憲法や三権分立を形骸化している。彼は英語が堪能であるにもかかわらず、首脳会談の場において一切英語を話さず、ヒンディー語で話す。そして、ヒンドゥー教にもとづくインドの生活文化を、インド全域に復興させようとしている。

 これは、変わらない社会だからこそ起こり得る、伝統文化の復興現象である。つまり、変わらないことは良いことだったのである。

五、アジアがつくる世界史

中国やインドが固有の文化を復興させ、その経済力とあいまって、独自ブロックをつくりあげたとする。そこで我々が目にするのは、全く理解不能な「不思議の国」であり、およそ移住することなど考えられない「非常識な」空間の出現である。ただ、それは日本人から見て非常識なのであり、この対比はかえって日本文化の独自性を自覚させることとなる。

 西洋人がやってきて「国際常識」をふりかざし、生活における常識を変えるよう迫る時、日本人は概してこれに萎縮する。それが拡大すると、やれ「夫婦別姓」だの「構造改革」だのといった政治問題にまで発展する。それは無意識に西洋を「常識」だと思っているからである。中国やインドが固有の文化を確立するということは、敢えて「非常識」を選択し、彼ら自身の常識に生きようとすることを意味する。中国やインドの「国体」が仕上がった瞬間である。

 彼らはこれまでの国際常識とは異なる行動をとりはじめることになるだろう。資源の供給は不安定化し、国境を巡る争いは激化するはずである。一方で、彼らの文化が固有であるが故に、その勢力圏にはおのずと限界が生まれる。なんとなれば、それは中国やインドがそうであったように、周辺の文化もまた不変で抜き難いものであるため、その維持に莫大な労力を要し、一定以上の拡大が不可能だからである。

 それをアメリカをはじめとする西洋諸国が許すはずもないが、それに比例して中国やインドが非西洋諸国へのはたらきかけを強めた場合、各地で似たような「脱西洋化」が発生する。イランやトルコ、エジプトなどは、そうしたはたらきかけすら必要なく、後に続くかもしれない。すると、そのはたらきかけが単なる資源収奪に終わったとしても、世界は確実にそれぞれの棲み分けへと向かっていく。この時、西洋諸国には既に、力づくで世界を従わせる経済力もなければ、それに裏打ちされた文化的普遍性も持ち得ない。すなわち、西洋はかつて彼らが「アジア」と呼んだ異文化の国々に包囲され、大航海時代以前の「辺境」に戻るのである。かくて歴史は全世界的な多極化へと突入する。世界史がアジアによって動き、「アジアは世界なり」という時代が来る。これが私の考える「アジアの世紀」である。

 さても不思議なことに、こうした未来を真っ先に想像したのは、会沢正志斎を筆頭とする日本儒教だったはずである。「国体」にもとづく近代化によって、文化的、物質的な西洋の進出を阻むという「尊王攘夷」は、江戸思想を総決算した結果説かれた世界戦略であった。

 その日本が、今や西洋文化によるイデオロギーを奉じて中国だけを警戒し、インドとの連帯を模索している。アジアの世紀が訪れた時、手のひら返しで「親中派」や「親印派」になったとしても、そこには「親米派」と同じ隷属しか存在しない。

 「国にして体なくんば、何を以て国となさんや」(『新論』)。世界最先端の国際戦略を提示した日本が、中国やインドの後塵を拝して見苦しく右往左往する。そんな未来だけは見たくないと思う。


<編集部からのお知らせ>

本論考の最後に、大場先生はこう記しています──

さても不思議なことに、こうした未来を真っ先に想像したのは、会沢正志斎を筆頭とする日本儒教だったはずである

近代の世界秩序に先んじて、「国体」にもとづく独立と文化的自立の戦略を構想していた水戸学。

会沢正志斎が語った世界観は、単なる歴史の一ページではなく、現代においてこそ再び参照されるべき思想の水脈です。

このたびの「水戸遊学合宿」では、まさにその正志斎の遺構を訪ね、江戸日本が提示した思想的骨格に迫ります。

大場先生による現地講義と案内のもと、史跡を歩き、語り合い、思想に触れる二日間。

文明の転換点に立つ今こそ、日本の独立精神の原点を学びなおす絶好の機会です。

【特別企画】水戸遊学合宿

🗓 日程:二〇二五年八月二十三日(土)〜二十四日(日)

🚌 新宿駅より貸切バスで水戸へ

🎤 講師:大場一央先生(儒学者/水戸学研究)

🏯 弘道館・水戸城・偕楽園などを訪問

🍶 懇親会・宿泊付き(夜は語りの時間も)

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皆さまのご参加を、心よりお待ちしております。

表現者塾事務局

info@the-criterion.jp

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