皆さん、こんにちは。
表現者クライテリオン事務局です。
クライテリオン叢書第5弾、『敗戦とトラウマ 次こそ「正しく」戦えるか』が本日Amazonで販売を開始しました!
(全国の書店では8月7日ごろ発売となります。)
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敗戦とトラウマ |
本日は、本書の発売を記念して、「まえがき」(編著者である文芸批評家の浜崎洋介氏執筆)を公開いたします。
ぜひご一読の上、ご購入をご検討ください。
戦後日本人は、その自己像において、一つの「歪み」を抱えてきた。
私たちは、私たちの記憶のなかに生きる父祖たちとの絆を感じる一方で、しかし、かつての敵国=アメリカに対しても感情的な繋がりを持たざるを得なかったのである。
もちろん、それにはそれなりの理由があった。
「大君のへにこそ死なめかへりみはせじ」と戦った大東亜戦争における敗北と、その直後に耳に入ってきた天皇の「人間宣言」(皇国思想の崩壊)。戦争で国民に無理を強い続けた戦前の国家に対して、「チョコレート」と「対日援助」(日本版マーシャル・プラン)で国民を甘やかしてくれるように見えたGHQへの甘い期待感。そして、マッカーサーによって「日本国憲法」(戦後民主主義)をプレゼントされてしまったことに対する負い目の感情。
しかも、自由主義圏と共産主義圏の対立=冷戦も、アメリカに対する日本人の「感謝」を演出するには好条件だった。「力の体系」をアメリカに任せることになった戦後日本人は、それによって、戦前には喉から手が出るほど欲しかった自由市場を手に入れ、一ドル三六〇円で世界中に物を売ることができる「利益の体系」を得たのである。そして、さらには、「力の体系」を放棄したと見せかけることで、「非武装中立」や「平和主義」などの「価値の体系」も、それなりの説得力をもって機能させることができたのだった。
しかし、そんな好条件も、冷戦の崩壊と共に次第に怪しくなっていく。
冷戦に勝利したアメリカは、その力による一極支配=グローバリズムによって、とくに九〇年代以降、日本を含む世界各国の市場をこじ開け(利益の体系の変質)、さらには、湾岸戦争(一九九〇年)やイラク戦争(二〇〇三年)において、各国の軍事的協力を求めるようになっていったのである(価値の体系としての「非武装中立」の終焉)。
が、米国の一極支配(力の体系)が変わらない限り、アメリカに対する日本人の依存心が完全に消え去ることもなかった。日本人は、相も変わらずアメリカに対する「感謝」を口にし(たとえば、安倍晋三元首相の、あるいは岸田文雄元首相の米上下両院の合同会議で演説を想い出してもらいたい)、「戦前」の歴史と、その歴史を支える戦没者(英霊)に対しては、冷淡な無関心を貫いてきたのだった(A級戦犯合祀以降、天皇の靖国参拝が実現していないことは言うまでもないが、一国の首相による靖国参拝さえいまだに困難なのである)。
しかし、昭和一〇〇年、戦後八〇年を迎えようとしている今、そんな戦後日本人の「歪み」が、ついに、本気で問い直されるときが来ているのかもしれない。
その切掛けを作ったのは、二〇二五年に誕生した第二次トランプ政権である。
第二次トランプ政権に象徴されるアメリカの分裂と衰退、そして、グローバル支配からの退却(リベラル民主主義によるイデオロギー外交の後退と、地域秩序形成に向けた各国への負担要求、そして保護貿易=経済ナショナリズムの台頭)などの現実に直面して、もはや、アメリカ一極支配の「力の体系」に依存できなくなりつつある日本は、まさしく自分たちの足元で、「私たちの力、私たちの利益を統合するための価値とは一体どのようなものなのか?」という問いかけを改めて発さなくてはならなくなったのである。
そして、そのとき問い質されるものこそ、私たちの「本来性」、要するに、その時々の打算的なお喋り(時代のイデオロギー)ではなく、私たち固有の可能性に基づいた共同的な持続感、それを限定しているところの「歴史」認識であることは言うまでもない。
ただし、実はそれは、あの戦争を潜り抜けた日本人が発し続けた問いかけでもあった。
本書でも取り扱った『戦艦大和ノ最期』の著者である吉田満(大正十二年~昭和五十四年。沖縄特攻に参加し、戦後は日本銀行勤務)は、「戦後日本に欠落したもの」というエッセイのなかで、次のような言葉を残していた。少し長くなるが引用しておきたい。
「ポツダム宣言受諾によって長い戦争が終わり、廃墟と困窮のなかで戦後生活の第一歩を踏み出そうとしたとき、復員兵士も銃後の庶民も、男も女も老いも若きも、戦争にかかわる一切のもの、自分自身を戦争協力にかり立てた根源にある一切のものを、抹殺したいと願った。そう願うのが当然と思われるほど、戦時下の経験は、いまわしい記憶にみちていた。
日本人は「戦争のなかの自分」を抹殺するこの作業を、見事にやりとげた、といっていい。戦後処理と平和への切り換えという難事業がスムーズに運ばれたのは、その一つの成果であった。
しかし、戦争にかかわる一切のものを抹殺しようと焦るあまり、終戦の日を境に、抹殺されてはならないものまで、断ち切られることになったことも、事実である。断ち切られたのは、戦前から戦中、さらに戦後へと持続する、自分という人間の主体性、日本および日本人が、一貫して負うべき責任への自覚であった。要するに、日本人としてのアイデンティティーそのものが、抹殺されたのである。〔中略〕
〔外からの力は、日本をアイデンティティーの枠で捉えようとしているのに〕肝心の日本人だけは、相変わらずアイデンティティーを無視し、国籍の束縛から解き放たれたまま海外に進出し漂流することが許されると楽観していた。ここに生まれたギャップが、数年来日本を襲っている危機的状況の真の背景であり、日本がふたたび世界の孤児となる恐れをもたらした根因であることは、いうまでもない。」(昭和五十三年春初出、『戦中派の死生観』文春学藝ライブラリー所収)
この言葉は、今読んでも十分に通用するどころか、「危機的状況」が亢進している今こそ、身に迫るものがあるだろう。吉田満は、あの敗戦のトラウマに囚われ、それに引きずられ続けた結果として、戦後日本人は逆説的に、過去と歴史を抹殺し、「日本人としてのアイデンティティー」を忘却し、それゆえに今、自分が何者で、何を望んでいて、何をなすべきなのかも分からぬ自己喪失者の群れと堕してしまっていると言うのである。
しかし、それなら、私たちがなすべきことも明らかではないか。すなわち、自分たちの「敗戦とトラウマ」に向き合い、そこにあった日本人の感情の事実を一つ一つ拾い上げながら、それを再び私たち自身の「掛け替へのない命の持続感」(小林秀雄「私の人生観」)へと統合すること。それは過去に辻褄を合わせるということではないし、過去に罪をなすりつうけるということでもない。失敗も含めた過去を「我が事」とすることである。
本書は、その主題において企画され、また編集されている。グローバリズムが陰りを帯びはじめた現在、ここで問われている「敗戦とトラウマ」は、私たちの足元を問う基礎的な問いであると同時に、いま、ここに呼び出されるべき現在的問いでもある。「日本がふたたび世界の孤児」とならぬように、抹殺された「戦争のなかの自分」を取り戻し、それを対自的な自己像のなかに統合すること。その自覚的な作業を経ない限り、自分自身に対する自信も、また、それによって取り結ばれる他者関係もないことは言うまでもない。
そして、その作業のために、私が何より必要だと考えたのが、戦争を経験した日本人、あるいは、そのトラウマを引きずる日本人が、その感情の事実に向き合いながら残した、能う限り素直で正直な言葉=文学であり、また、その言葉を、単なる意味(イデオロギー)としてではなく、私たち自身の「経験」として引き受け、そのなかに、自分自身の似姿、あるいは、「掛け替へのない命の持続感」を見定めようとする議論であった。
そのため、今回も、前著『絶望の果ての戦後論—文学から読み解く日本精神のゆくえ』に引き続き、藤井聡氏(公共政策論)、柴山桂太氏(経済思想)、川端祐一郎氏(社会工学)などの『表現者クライテリオン』の編集員の三人にお集まり願うと同時に、新たに施光恒氏(政治思想)と、小幡敏氏(元自衛官、評論家)をお迎えして、さまざまな観点から、改めて、あの戦争について論じることを企画した。
章立てとしては、冒頭第一章に、本書全体の「主題」(敗戦の断絶とトラウマをどう乗り越えるべきなのか)を示すという意味で、時系列的には最後になされた座談会【断絶編—城山三郎『大義の末』、三島由紀夫『英霊の聲』】を配置し、続けて、近代日本の「戦争」の実態を見定めるべく第二章【激戦編―桜井忠温『肉弾』、丸山豊『月白の道』】を置いた。その上で、あの戦争のトラウマの中心にある「沖縄」と「特攻」についての経験を振り返る議論として、第三章【沖縄編―大城立裕『カクテル・パーティー』、目取真俊『平和通りと名付けられた街を歩いて』】と、第四章【特攻編―吉田満『戦艦大和ノ最後』、島尾敏雄『出発は遂に訪れず』】を置いている。もちろん、気が向いた場所のどこから読んでもらっても構わない。が、念のため、ここに章立ての意図について記しておいた。
最後になったが、忙しい時間を縫って課題本を読み込み、明るく誠実な議論を展開してくださった『表現者クライテリオン』の編集委員と座談会参加者の皆さん、結果的に「沖縄で戦争文学を議論する」という貴重なチャンスを二度も作ってくれた藤原昌樹氏(『表現者クライテリオン』執筆者・沖縄シンポジウム主催者)、また、素晴らしい解説文(まず、こちらから読んで頂く方が本の主題は掴みやすいかもしいれない)をご寄稿下さった文芸評論家の富岡幸一郎先生、そして、かつて企画した戦後文学座談会の「特別編」(沖縄編と特攻編)の面白さに眼を留め、それに二つの座談会(断絶編と激戦編)を新たに加えて一冊の本とする企画を立ててくれた規準社の近藤晶生氏に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
とくに近藤さんとの出会いがなければ、前著『絶望の果ての戦後論』も含めて、雑誌に掲載されて終わっていた文学座談会が一冊の本として日の目を見ることはなかっただろう。その意味で言えば、世界を動かしているのは、つくづく、個人の能力などではなく、その個人と個人との出会いであり、その関係だと思う。改めて、その関係に感謝したい。
令和七年(二〇二五年)七月一日 浜崎洋介
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