【施光恒】少子化をめぐる議論の盲点

施光恒

施光恒 (九州大学大学院教授)

先週金曜日(8月24日)の文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」に出演した際、「圏域の法制化」が話題の一つでした。

政府は、複数の自治体で構成する「圏域」を軸としたまちづくりを進めようとしています。人口減や高齢化により、既存の自治体単位で行政サービスを維持するのが難しくなると予想されるためで、学校や病院などの公共施設に加え、商業施設なども圏域単位で整備を考えていこうという構想です。

政府は「圏域単位」のまちづくりを促進するために関連法の整備などを急いでいます。

下記のリンク先の『毎日新聞』の記事が報じるように、市町村といったこれまでの地方自治体の事実上の廃止につながる可能性があるため、多くの地方自治体から反発の声が上がっています。

「『圏域』法制化――地方は反発 政府検討、自治体の廃止危惧」(『毎日新聞』2018年8月19日付)(一部有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20180819/k00/00m/010/128000c

端的に言えば、政府としては、財政支出を抑えるために、地方自治体を統廃合したいということでしょう。今後、少子高齢化や首都圏への人口移動で地方在住者は大幅な減少が見込まれる。緊縮財政を続け、コストを抑えたい。そのため、地方自治体の各種業務を統廃合し、効率化・合理化を進めようというのです。

私は、この「圏域」の法制化、多くの懸念を感じます。事実上これは、市町村の統廃合につながり、いくつかの問題を生じさせるのではないかと思うからです。

1990年代半ばから2000年代にかけて、いわゆる平成の大合併と称される市町村の統廃合が進められました。今回の「圏域」構想と同様、主に財政支出の抑制と効率化のため、市町村を統廃合した動きでした。そのとき指摘された問題点を参考に、「圏域」構想への懸念をいくつか挙げてみます。

一つは、庁舎や各種の公的機関が置かれなくなった地域は寂れてしまうのではないかという点です。平成の大合併では、合併以前は一つの市町村の中心として庁舎が置かれていた地域からそれが取り去られることによって、その地域の衰退が進むという現象が見られました。「圏域」構想でも同様のことが生じるでしょう。

二つめは、行政と住民との距離が地理的にも心理的にも拡大し、住民の声が行政に届きにくくなるという点です。

第三に、これが私の懸念する一番大きな点ですが、人々の郷土意識が衰えてしまうのではないかということです。人々の郷土意識、郷土愛といったものは、やはり市町村、あるいは小中学校の「校区」といったもので維持されていることが多いでしょう。「市町村」や「校区」といった単位を経済的考慮から頻繁にいじり変更すれば、人々の郷土意識や郷土愛は希薄化してしまうと思います。

例えば、平成の大合併の結果としてできた新しい自治体では、多くの場合、選挙の投票率の低下が見られました。近年の参院選の選挙区の「合区」でも同様です。市町村や都道府県といった単位は、単なる行政単位ではなく、人々の郷土意識の基礎でもあります。これを変更したため、人々の郷土意識は低下し、それに伴ってまちの政治への関心が薄くなり、投票率も下がってしまったのでしょう。

地域が廃れたり、郷土意識や郷土愛が弱体化したりすれば、地域の祭りや生活慣習、つまり地域の文化もやはり衰退してしまうでしょう。日本文化を構成する多様な地域文化の衰退は、大きな損失です。各地域の人々の活気(生きる活力)も希薄化してしまうのではないでしょうか。

以上のような点から、「圏域」構想には大きな懸念を感じます。

ですが、このように述べると、では「少子高齢化に伴う日本の人口減少、特に地方の人口減少は否応なく進む。それにどのように対応するのか」という反論が寄せられるでしょう。

この点について、少々文脈は異なりますが、ある本の記述が最近、非常に印象に残りました。以前も、『表現者クライテリオン』メールマガジンの私の記事で触れたことがありますが、英国のジャーナリストであるダグラス・マレー氏が書いた『ヨーロッパの奇妙な死』(Murray, D., The Strange Death of Europe: Immigration, Identity, Islam (London: Bloomsbury Continuum, 2017))という本の記述です。

この本は、英国など欧州諸国の近年の移民の大規模受け入れがもたらす様々な社会問題を扱い、これまでの移民政策に警鐘を鳴らすものです。

このなかで、著者のマレー氏は、欧州諸国の移民受け入れ推進派の主要な論拠の一つに、少子高齢化に伴う人口減少があると指摘します。

日本も、今年の六月に外国人単純労働者の大規模受け入れを事実上、決定しましたが、この決定の最大の論拠も少子高齢化に伴う人手不足でした。欧州諸国の移民推進派と同じですね。

マレー氏は、移民推進派の論拠として少子高齢化やそれに付随する人口減少を持ち出すことを批判しています。日本の外国人労働者受け入れや「圏域」構想を考える際にも参考になるので、マレー氏の議論を紹介したいと思います。

欧州諸国でも、少子高齢化は深刻な社会問題です。現在の人口を維持できるという出生率2.1(一夫婦が生む平均の子どもの数)をほぼすべての国が下回っています。

マレー氏は、本当に少子高齢化が問題なのであれば、移民受け入れを議論する以前に、各国政府は、十分な数の子どもがなぜ国内で生まれないのかを真剣に問うべきではないかと提起します。

もちろん、英国人が子どもを欲しがってないわけではありません。英国人女性が何人の子どもを望むかを調べた調査では、0人、つまり子どもは欲しくないと答えた者は8%のみでした。1人が4%、2人が55%、3人が14%、4人も14%、5人以上が5%という具合でした。つまり、大半の女性が2人以上の子どもを生みたいと考えているのです。

ではなぜ英国人は、実際には多くの子どもを持とうとしないのでしょうか。

マレー氏は、経済的問題に着目します。ほとんどのヨーロッパの国では、平均的な所得の夫婦でも、1人の子どもでさえ、十分に育てる経済的余裕があるかどうか懸念すると指摘します。出産や子育てのため、一定期間、夫婦の片方が働けなくなることも心配のタネなのです。

当然、子ども2人だとなおさら経済的余裕が必要です。夫婦がそれぞれ安定した職業に就いているとしても、3人目の子どもを養う余裕はないと考える家庭が少なくないとも述べます。

加えてマレー氏が挙げるのは、特に街の中心部などに住む夫婦は、ダイバーシティ(民族的多様性)に富みすぎた公立の学校(つまり移民の子弟が多く通う学校)に子どもを通わせるのを望まない場合も少なからずあるのではないかということです。ダイバーシティにあまり富んでいない郊外の地域に住宅を買ったり借りたりしにくい場合は、子どもを生み育てるのに消極的になってしまうのではないかと論じます。(「ポリティカル・コレクトネス」にうるさい英国では、マレー氏のこの指摘は非常に勇気あるものではないでしょうか)。

さらにマレー氏は、学校のみならず、国や地域社会の将来像も、夫婦が子どもを持ちたくなるかどうかを左右するのではないかと述べます。国や地域社会の将来について、楽観的見通しがあれば、多くの子どもを生み育てたくなるでしょう。しかし、子どもが暮らすことになる自分の国や地域社会が近い将来、民族的・宗教的分断に悩まされるようであれば、多くの夫婦が子どもを積極的に持ちたいと思わなくなるのは当然ではないかというのです。

マレー氏は次のように記します。

「ヨーロッパ諸国の政府が、子どもを数多く持ちたがる人々を海外から連れてこざるを得ないほど人口減少を本当に強く懸念しているのであれば、その前に、すでに国内にいる人々が子どもを生み育てたいと思うように促す政策がないか懸命に考えるべきであろう。(略)少なくとも、政府は、事態を悪化させるような政策を現在実施していないかどうか吟味すべきである」(pp. 47-48)。

要するに、マレー氏は、少子化対策としては、移民受け入れ政策ではなく、英国の若者が子どもを安心して生み育てられるような経済的環境を整えること、また、子どもを持ちたくなるような、つまり、将来、子どもが幸せに暮らせるような安定した国や地域社会を形成することのほうが大切ではないのかというのです。

マレー氏のこの議論は、外国人労働者の大規模受け入れの是非について、あるいは「圏域」構想の是非について考える際に、我々日本人にも多くの示唆を与えるものではないでしょうか。

外国人労働者大規模受け入れを進めれば、日本の実質賃金は上がりません。雇用も改善しないでしょう。ますます多くの日本人の若者が結婚しにくくなり、また子どもを持ちにくくなるのではないでしょうか。

また、下記のリンク先の記事のように、経団連の中西宏明会長などは、外国人労働者大規模受け入れは、日本社会のダイバーシティを増すためだなどと言っています。

経団連会長「外国人労働者受け入れ拡大を」(『日テレNEWS 24』 2018年6月11日)
http://www.news24.jp/articles/2018/06/11/06395597.html

しかし、財界のお歴々が、ご自身の子どもや孫をダイバーシティに富んだ都市部の公立の小中学校に近い将来、すすんで入学させるかどうかは少々疑問に感じざるを得ません。文化的同質性の高い環境(日本人が多い、あるいはインターナショナルな富裕層ないし高学歴文化を共有する環境)のほうを好む方々のほうが多いのではないでしょうか。

「圏域」構想についても同様です。これまで慣れ親しんできた市町村の枠組み、「校区」といった枠組みを「改革」し、郷土意識や郷土愛の基盤を揺るがし、地域コミュニティを不安定なものにしてしまうことは、多くの若者の子育ての意欲を挫いてしまうでしょう。

日本政府も、少子化に伴う人口減少を本当になんとかしたいのであれば、「移民国家化などしない」「若者の安定した雇用を何よりも重視し創出する」「安定した地域社会を守る」などと宣言し、それらを実現するための政策を懸命に練り上げる方がいいのではないでしょうか。

今夏の甲子園の秋田県立金足農業高校の活躍とそれに熱狂した多くの日本人(私を含む)の姿を見るにつけ、今の日本人は、自分たちが本当に好み、元気よく暮らせるような社会的環境(子孫にも残したいと思うはずの環境)をなぜか進んで「改革」という名の下、壊そうとしているのではないかと思いました。

長々と失礼しますた…
<(_ _)>

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