『表現者criterion』メールマガジン

【浜崎洋介】日本人の「背骨」を問う――「消費増税」という「貝」を破るために

From 浜崎洋介(文芸批評家) 

 御承知の通り、先週、『別冊クライテリオン―消費増税を凍結せよ』が発売になりました。すでに藤井先生や柴山さんが書かれていたように、総勢20名以上の立場も専門も違う執筆陣が、「消費増税反対」の一点で連帯し、その「危険性」について徹底的に論じています。その視点は様々ですが、しかし、それは裏を返せば、どこからどう見ても、「消費増税」の「不条理」は明らかすぎるほどに、明らかだということでもあります。

 過去2回のデフレ下での消費増税の大失敗、それが齎した国内経済の疲弊(国内企業の99%を占める中小企業へのダメージ、DGPの4分の3を占める「消費」と「投資」の冷え込み)、そして、そのことによって、むしろ財政再建が遠のいていくという事実、さらに世界経済の危機が現実味を帯びてきている現状での増税の危険性などなど…、私のような門外漢でも、「消費増税」の危険性を指摘するのに、さほどの苦労はいりません。

 しかし、もし、そうだとすると、むしろ問われるべきなのは、そんな一ミリの合理性もない「消費増税」を、なぜ強行しなければならないのか――しかも、時々刻々と変化する状況に応ずるべき経済政策を「法律(予定)」で規定するという愚まで犯して――ということなのかもしれません。つまり、「消費増税」の不条理もさることながら、真に不条理なのは、明らかに合理性のない政策に固執し、それを「既定路線」と見做す政治家や官僚、あるいは、それを暗黙裡に許している日本の経済学者やメディアの方ではないのかということです。

 実際、雑誌の拙稿の方でも触れましたが、「消費増税」について考えるなかで、私の脳裏をよぎったのは、戦前における「合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なもの」である日本軍の不条理な「頑なさ」と、それによる「失敗」を研究した『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫――ちなみに、共同研究者6人のうちの代表的な執筆者の一人が、『表現者クライテリオン』でも連載執筆頂いている野中郁次郎先生です)という本でした。

 本書は、日露戦争という「過去の成功」を過剰学習してしまったがゆえに、「白兵銃剣主義(突撃主義)」と「艦隊決戦主義」、そして「短期決戦志向」というパラダイムに囚われ、大東亜戦争という新しい環境への適応能力を完全に失い、自滅していった日本軍の「失敗」の様相を事細かに分析したという本でした。が、それは、まるで新自由主義パラダイム(緊縮)を過剰学習してしまったがゆえに、「財政再建のための消費増税」という「模範解答」以外の選択肢を見失い、ただ、その目標にひた走っていく財務省の姿のようです。

 自分の外に見出した一つの範例(西欧、アメリカ、ある学説)を過剰学習してしまった結果として、時と処と立場によって変化する状況に適応する能力を失っていく日本人、外部への「適応過剰」によって、内部の「適応能力」の締め出してしまうという日本人の姿です。

 しかし、それが事実だとすると、次のような話も本気にしなければならないということなのかもしれません。かつて、「日本軍」の不条理な行動に「神経症的、精神病的と言える異常反応」を認めた精神分析学者の岸田秀は、ネズミに強迫神経症を起こさせる実験について解説しながら次のように書いていました。少し長くなりますが、引用しておきます。

「〔餌と、その在処を示す指標との間にある程度の規則性を与えると、ネズミはそれに柔軟に適応するが〕、ところが、餌と電気ショックが、時には右側、ときには左側、ときには明るい側、ときには暗い側というぐあいに、いっさい規則性を欠いたT字路にネズミをおくと、そのうちネズミは、状況を無視した固定的、強迫的反応を示しはじめる。たとえば、餌があろうがなかろうが、右側なら右側へ曲がる反応が固定する。いったん、たとえば右側へ曲がる反応が固定すると、今度そのネズミを右側へ曲がれば必ず電気ショックがあるT字路においても、依然としてネズミは、何度電気ショックを受けて痛い目に遭っても、右側へ曲がりつづけるのである(消去抵抗)。このネズミの行動を擬人的に解釈すれば、ネズミは、何らの規則性が発見できない状況に放り込まれてどうしていいかわからず不安になり、しかし、腹が減ってくるから何らかの行動は起こさざるを得ないので、不安から逃れるため、とにかく根拠はないが右側なら右側へ曲がるという方針を決定し、いったん決定すると、何度失敗しても断乎として方針を変えないわけである。」山本七平・岸田秀『日本人と「日本病」について』文春学藝ライブラリー

 そして、岸田は、この日本人(ネズミ)に見られる「方針」への固着を、本来の性行為(目的)ではなく、その性行為に至る途中に存在しているもの(例えば下着など)に執着してしまう一種の「フェティシズム」と見做し、次のように言うのです。「現実感覚の不全」に陥った日本人は、しばしば手段を目的化するという愚を犯してきたのではないかと。

 ちなみに、この「現実感覚の不全」と「フェティシズム」との関係について、前掲書における、岸田の対談者である山本七平は、それを次のような巧みな比喩で説明していました。

「私は冗談に、日本文化は「サザエ」である、というんです。中は背骨なしでグニャグニャしてていいんです。外をきちんと閉じておき、必要に応じて蓋を少しあける。ヨーロッパ人は脊椎動物ですから、日本人には背骨(バックボーン)がない、という。確かにそうでしょう。そのかわり貝がちゃんとある(笑)。外部を固めて何物も入れず、時折ちょっと口を開けて、必要なものだけを取る。これをずっとやってきた。
 だから自分はこうであるということが、外へ行くと言えなくなるんですよ。貝のように口をつむぐか、「相手の立場に立って」となっても「自分の立場に立って」がない。」

 つまり、「方針」への固着(フェティシズム=一つの方針の絶対化)こそが、日本人の外側を覆っている「貝」だいうことです。外から「模範解答(既定路線)」が与えられているうちは、その殻の内に安らっている日本人は、しかし、その外殻が崩れると、急に不安になってきて、「とにかく根拠はないが右側なら右側へ曲がるという方針」を見出し、それを、さっそく新しい「貝」の外殻にしてしまうのだということです。

 なかなか「絶望」的な性格描写ですが、岸田や山本の言葉は、日本の〈知識人=大衆〉のあり方を見つめてきた私には、非常なリアリティをもって迫って来ます。

 ただし、その一方で、全ての日本人がみな、「中は背骨なしでグニャグニャ」の「貝」なのかと言うと、私はそうは考えていません。実際、日本的「空気の支配」(山本七平)に対して、己の「常識」において一貫した小林秀雄の「流儀」を見出していた山本七平自身が、「その人(小林秀雄)の生き方の秘伝とも言うべきものを探り出し、否、探り出したと信じ、その秘伝によって生きて来た」(『小林秀雄の流儀』)と書く通り、日本人のなかに、「自分の立場に立って」ものを考えることのできた人間が存在してきたことも事実なのです。

 なるほど、それは多くの場合、近代日本では「アウトサイダー」(河上徹太郎『日本のアウトサイダー』)扱いされ、「インサイダー」として、日本の〈空気=貝〉の内側に迎え入れられるということは稀でした。しかし、それでもなお、私たちの歴史が、一人でも「背骨」のある人間を持ち得たという事実は、私たち自身もまた、「背骨」を持ち得る人間である可能性を示唆しています。

 その意味で言えば、今度の「消費増税」は、日本人の「背骨」を問うクリティカル・ポイントであると言うことができるかもしれません。諦めるにはまだ早すぎます。私たちが、〈思考停止したネズミ〉ではないことを証明しなければなりません。

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