フランスの「黄色いベスト」(ジレ・ジョーヌ)デモ、非常に活発ですね。デモの原因は、直接的には燃料税の引き上げですが、その背景には、マクロン大統領以降のフランス政治が、グローバル化路線を推進したことがあります。つまり、グローバルな投資家や企業、富裕層にもっぱら有利な政策を進めたことが原因です。マクロン政権は、超富裕層への特別課税を廃止し、株など資本所得への課税を一律30%に引き下げるなどしてきました。
その一方で、「地球温暖化対策のため」といった見え透いた口実で、燃料税引き上げを狙ったのです。これは、日本の「法人税引き下げ、消費税引き上げ」と同じ構図でしょう。グローバルな投資家や富裕層を優遇し、その分、一般庶民から毟り取る政策を断行したのです。
「黄色いベスト」運動の主体は、地方在住の普通の人々です。デモに参加するのが初めてという人々も多いそうです。グローバル化を強引に推し進め、自分たちに有利な社会にフランスを改造しようとする都会に住む身勝手な「グローバル・エリート」を気取る人々に対して、一般庶民が抗議活動を展開しています。
英国のジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハートの言葉を用いて言えば、グローバル・エリートを自称する個人主義的で利己的な「エニウェア族」(Anywheres、国に縛られずグローバルに活躍できるという地球市民的自意識を持つ人々)対 特定の国や地域に根差して暮らす普通の人々からなる「サムウェア族」(Somewheres)との対立が顕在化したのだとみることができるでしょう。
フランスの歴史地理学者エマニュエル・トッドは、1980年代初頭から始まった「グローバル化の時代」は、2010年頃から徐々に終わり、世界は次第に「ポスト・グローバル化の時代」「国民国家への回帰」を迎えつつあると2016年以前から述べていました。
グローバル化により、先進各国では経済的格差の拡大、民主主義の機能不全などが生じ、中間層以下の人々の生活は悪化します。グローバル化による生活水準の低下に伴って生じる「グローバル化疲れ」が庶民の間に蔓延し、彼らの反発により、グローバル化は終焉を迎えるというわけです。
トッドの分析は適切でしょう。2016年の英国のEU離脱の決定、米国のトランプ大統領の選出、イタリアの「ポピュリズム」政党の政権奪取、そして今回のフランスの「黄色いベスト」運動の拡大など、庶民層による反グローバリズムの動きは明らかです。
欧米諸国は徐々に「ポスト・グローバル化」の時代を迎えつつあるのです。
他方、日本は、グローバル化路線を今まさに加速させています。外国人単純労働者大規模受け入れ(入管法改正)、漁業法改正、水道民営化など立て続けにグローバル化路線を進めています。来秋の消費税引き上げ(その反面としての法人税減税)もその一環です。
下記のメルマガ記事で、以前、私が論じたように「グローバル化」とは正確に言えば「多国籍企業集中心主義化」にほかなりません。各国の一般国民よりも、グローバルな投資家や企業の利益を重視し、「構造改革」を行い、国のあり方を改造しているのです。
【施光恒】「多国籍企業中心主義化」と称すべき(メルマガ『「新」経世済民新聞』(2018年9月28日付)
https://38news.jp/economy/12450
教育のあり方も例外ではありません。高校でも大学でも、近年は「グローバル人材の育成」が絶対的なスローガンになっています。多国籍企業にとって使える人材を、公教育の場で税金を使って作りましょうということです。
しかし、この「グローバル人材育成」も、公教育が重要目標として掲げるべきものなのかどうかは大いに疑問が湧きます。「グローバル人材」なるものが、本当に公けのためになるのか疑わしいからです。
日産のカルロス・ゴーン氏の逮捕でこの疑わしさは、より理解されやすくなったのではないかと思います。ゴーン氏は20億円近くの年収を事実上受け取りつつ、自分や家族のために会社の金を使うなど、会社を私物化していました。強欲で自分第一主義です。
非合法とは言い難いのかもしれませんが、オランダのアムステルダムに実態のないペーパー・カンパニーを置き、課税逃れを行っていた可能性も指摘されています。
周知のとおり、以前から、グローバルな企業や投資家、富裕層のタックスヘイブン(租税回避地)での課税逃れも、問題視されていました。
「グローバル人材」「グローバル・エリート」とは、結局、国や地域社会、あるいは自分の会社のいずれにも愛着を抱かず、そうした集団に対する責任や義務を軽視する存在なのではないでしょうか。そして、自分たちの都合のいいように、ルールや法を変え、国や社会や企業組織を作り替えていく存在でもあります。
「グローバル人材」育成が、私学ならともかく公教育の重要目標としてふさわしいかどうかは、厳しく検証する必要があります。
私は、そろそろ日本の教育現場では「グローバル人材育成」を目標として掲げるのを止め、「ポスト・グローバル人材」の育成に取り組み始めるべきだと考えています。
周回遅れのグローバル化に邁進している日本ですが、このままいけば日本でも、近い将来、社会はボロボロになり、人々が「グローバル化疲れ」に陥るのは間違いありません。
来年の消費税率の引き上げのショックでは還付金などの対症療法でなんとか致命傷に至らなかったとしても、再来年のオリンピックが終わった後から深刻化する景気の落ち込みは悲惨でしょう。
現在、人手不足の余波で賃金の上昇や非正規労働者を正規化する動きが生じていますが、外国人労働者の大量受け入れで、これも止まります。デフレ不況は深刻化します。
数年後には、外国人労働者や移民が都市には溢れています。都市部の公立学校では、日本語がおぼつかない生徒の教育などで、経済的にも教師の労働という点でも過度の負担が強いられます。社会保障費も増大するでしょう。外国人労働者や移民の受け入れをめぐって世論の分断(国民意識の分断)も生じます。
TPPに伴う「農業改革」や「漁業改革」の影響などで、地方経済は打撃を受け、地域社会は荒廃します。水道民営化などでインフラの劣化も進みます。地方から人々が逃げ出しますので、都市の過密化も進みます。
近い将来の日本は、このような感じでしょう。こうなってしまった日本社会に必要なのは、「グローバル人材」ではないはずです。少なくとも、公けの観点からはそうでしょう。
日本の公教育は、「ポスト・グローバル人材」の育成について早急に考え始めるべきです。
「ポスト・グローバル人材」とはどのような資質を備えた人々でしょうか。
ポスト・グローバル人材に期待されるのは社会的基盤の再生です。インフラの整備もそうですし、国民の分断を解消し、人々の連帯意識や相互扶助の精神の再生という点でもそうでしょう。
ポスト・グローバル人材は、グローバル人材とはかなり異なります。
グローバル人材とは、結局は多国籍企業に使い勝手のいい人間です。英語は重要でしょう。地域社会や国への愛着は必要ありません。むしろないほうがいいのです。個人主義的で業績主義的な価値観、および自己責任重視という倫理も求められます。つまり、「能力があり頑張った人には見返りがあり、そうでない人にはそうであってはならない」という人生観です。
他方、ポスト・グローバル人材とは、グローバル化(「多国籍企業中心主義化」)でボロボロになった国や地域社会の再生を図る人です。個人主義的価値観ではなく、人々に連帯や協力を呼びかけ、協調や団結を重視し、皆で国や地域社会の立て直しに努めることが彼らには求められます。
ポスト・グローバル人材には、業績主義・自己責任重視の価値観ではなく、古くさい言葉だと思う方も多いかもしれませんが、「感恩」が重視されます。国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力のおかげで今の自分があると感じ、つまり「恩」を認識し、他者とのつながりに重きを置く価値観が大切なのです。
この価値観があってはじめて、国や地域社会の将来のために自分もかんばろうという気持ちを抱くことができます。
「ポスト・グローバル化」の時代は、日本にとってももうそこまで来ています。
数年後まで、25年~30年程度続くであろう日本のグローバル化時代の誤りを正し、社会の基盤と人々の絆の再生を一致団結して図る「ポスト・グローバル人材」の育成について、先を見据えつつ、真剣に語り始める必要があるでしょう。
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