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【浜崎洋介】どうして人は「悪魔」になるのか――「強さ」の真偽をめぐって

From 浜崎洋介(文芸批評家) 

 こんにちは、浜崎洋介です。
 前々回、前回と続けて「悪魔」が出現する条件や、その防ぎ方について論じておきました。が、今回は「悪魔」が呼び出されるまでの過程について考えておきたいと思います。少し、しつこいかもしれませんが、これは、ここ最近報道される児童虐待や不正官僚の問題にも直結する話でもあり、やはり人間の生き方として考えておくべき主題だと言えます。

 そこで参考になるのが、アメリカの精神科医のM・スコット・ペックが『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』(森英明訳、草思社文庫)で紹介している「悪魔と取引きした男」です。ペックの分析がとりわけ興味深いという訳ではないのですが、悪魔が呼び出される瞬間を描いているという意味では、やはりペックの紹介例は注目に値します。

 ペックが紹介するのは、ジョージという一人の男です。その几帳面さと気のおけない話術で、南部諸州の販路を拡大したセールスマンであるジョージは(ジョージは、コーヒー缶などにはめ込む事のできるプラスチック製の蓋を売る仕事に就いていました)、セールスの成績を前任者の三倍にまで伸ばし、34歳で6万ドル(原本刊行年は1983年)を稼ぎ出す「成功者」として知られていました。

 しかし、ある日、観光でモントリオールの大聖堂を見たときから、ジョージの身に異変が現れはじめます。普段は、教会への寄進などバカバカしいと考える〈合理的な男=ジョージ〉は、しかし、大聖堂の寄進箱を見たとき、なぜだか急に胸騒ぎを感じはじめます。不安に思ったジョージは、「これは入場料のようなものだ」と考え直して、55セントを協会の寄進箱に投げ入れるのですが、その瞬間、突然、次のような観念が心のなかに浮かび離れなくなってしまったといいます。その観念というのが「お前は55歳で死ぬ」というものでした。

 それ以来、ジョージは、セールスで車を走らせているとき、様々な強迫観念に襲われることになってしまいます。「お前は、45歳で死ぬ」だの、「お前はアプトン(道路標識で目にした地名)という男に殺される」だの、「あの駅の建物はお前を巻き込んで崩れ落ちる」だの、「この橋を渡るのもこれが最後だ」だのという「死」にまつわる強迫観念です。

 健康な人間から見ると、これらの観念は馬鹿げたものに見えるかもしれません。が、たとえば、「ガス栓をしめたかな」とか「家の鍵をかけたかな」とかいう観念のことを考えてください。頭では大丈夫なはずだと分かってはいても、それを確かめる術がないがために、意識の隅の方に、ずっとその観念が居座ってしまうという経験は誰にでもあるでしょう。ジョージの場合、それが病的に加速してしまったのだと考えれば分かりやすい。

 その後、この強迫衝動のために仕事も手につかなくなってしまったジョージは、まさに藁にもすがる思いで、精神科医のペックの元を訪ねることになります。が、そこで次第に分かってきたのは、一見成功しているかに見えたジョージの荒んだ私生活の実態でした。たまにある夫婦間の性交渉は酒任せの暴力的なものであり、夫婦生活は嫌悪感に満ちたものでした。また、上の二人の子供からは疎んぜられ、繋がりを感じられるのは末の子だけ。しかも、ジョージの子供時代にしても、彼が考えている以上に有害で恐ろしいものでした。

 ジョージの父親は、妹が可愛がっていた猫を殺してしまう程に錯乱した統合失調症者であり、母親は子供たちに厳しく接する狂信的でヒステリックなペンテコステ派のプロテスタント(洗礼を受けた後も、個人的宗教体験をしなければならないとするファンダメンタリズムの一派)でした。また、父親が入院してから一緒に住みはじめたという祖父母との生活も、日常的に祖父が祖母を殴りつけるという異常なものだったのです。

 しかし、治療は思うように進まなかったと言います。ジョージは、〈私が望むのは、あの強迫観念を排除することであり、いまさらどうしようもない不愉快な過去を思い出すことではない〉と言って、頑なに現在の苦境と過去の記憶に向き合うことを避け続けたのでした。もちろん、その間、彼の強迫観念が強くなっていったことは言うまでもありません。

 しかし、ある日、突然変化が現れます。それまでの重苦しさが嘘のように、口笛を吹いた陽気なジョージが診療室に現れたのです。聞くと、強迫症状も4日間現れていないと言います。そこでペックが、その理由を聞くと、これまたジョージの答えが異様なものでした。そのとき、ジョージが口にした言葉が「悪魔との契約」だったのです。

 少し長くなってしまいますが、ここはジョージ自身に語らせることにしましょう。

「〔なぜ、悪魔との契約のことを考えるようになったかと言うと〕要するに、先生が助けてくれなかったからです。あの〝考え〟が私にとりついたとき、先生は何もして下さらなかった。その場所にもどらなくてすむように助けてくれなかったからです〔注・ジョージが車の中で『お前は、あのカーブで人をひき殺した』などの強迫観念に憑りつかれた時、電話で相談しても、ペックはその強迫観念を無視しろとは言ってくれなかった〕。それで、自分の衝動に負けないようにするためには、自分でなんとかしなければならないと思ったわけです。」

「それで、こういう契約を悪魔と結んだんです。つまり、もし私が自分の衝動に負けてその場所にもどったら、私のその〝考え〟がほんとうになるように悪魔がとりはからう、という契約を結んだんです。わかりますか。」

「たとえばこのあいだ、チャペル・ヒルのそばを走っているとき、こんな考えにとりつかれました。『こんどこの道を走るときは、おまえの車はあの堤防から落ちて、おまえは死ぬ』。いつもでしたら、何時間もぐずぐず考えて、結局は、それがうそだということを確かめるためにその堤防までもどっていたはずです。そうでしょう? ところが、悪魔とその協定を結んでいるから、もどるわけにはいきません。その協定には、もし私があの場所にもどれば、ほんとうに車ごと堤防から落ちて死ぬように悪魔がしむけることになっているからです。」

「〔でも実は、〕この悪魔との契約はもうひとつあるんです。ほんとうは私は悪魔その存在なんてものは信じていません。ですから、私がその場所にもどったとしても、悪魔が私を殺すなんて、ほんとうのところは信じることができなかったんです。それで、保証が必要だったんです。私がその場所にもどらないようにするために、保証になるものが必要でした。それで、どうすればいいかって考えたんですが、思いついたのは、自分がこの世でいちばん愛しているのは息子のクリストファーだということです。それで、これを契約のなかに入れて、もし私が衝動に負けてその場所にもどったら、悪魔が息子を殺してもいいということにしたんです。私が死ぬだけでなく、息子も死ぬんです。」〔 〕内引用者補足

 このジョージの告白に対するぺックの分析は、それほど記されているわけではないのですが、私の分析を記しておくことにします。言ってみれば、このときジョージは「悪魔との契約」によって、これまでより以上に大きな抑圧のフタを手に入れようとしていたのです。

 これまでも、「合理的な男」や「社会適応した男」、あるいは「冷静な男らしさ」といった外的イメージ(これ自体が一つの強迫観念ですが)によって、内的記憶や内的生活にフタをしてきたジョージでしたが、モントリオールの大聖堂に行ったときから、その抑圧のフタが緩みはじめてしまったのです。そして、その隙間から、抑圧したものたちが回帰してきてしまった結果として、それが強迫神経症の症状として現れてきたのでした。

 おそらく、そのときジョージが取り得る道は、二つしかなかったはずです。一つは、これまで抑圧してきた苦い記憶や死の事実と向き合い、それを時間をかけて引き受け直していく道(自分自身と折り合いをつけていく道)であり、もう一つは、これまで以上に強力なフタを用意することで、今度こそ自分自身の内的真実を徹底的に閉じ込めてしまう道です。そして、安易な「解決」を望んだジョージが選んだのが、まさに後者の抑圧の道だったのです。

 しかし、その瞬間、ジョージの「内的な真実」が扼殺されてしまうことは避けられません。後に残るのは、〈悪魔との契約=より大きな嘘〉によって何とか外見を取り繕っている人間、つまり〈素面〉の在処を見失った〈仮面〉―〈素面なき仮面〉そのものです。

 なるほど、その「嘘」によって、彼は社会生活をよりスムーズに送れるようになれるのかもしれません。が、同時に彼は、自分自身を「嘘」に従順な自動機械と化すことによって、絶対に「真実」を認めようとしない「邪悪」な人間と化してしまうことも確実です。

 ペックによれば、「邪悪」な人間は、ある意味、自分の狂気や衝動や攻撃性に正直な犯罪者とは違って、決して刑務所などには入りません。「邪悪」な人間は、自分自身の「完全性という自己像(みせかけ)」、「道徳的清廉性という外見」を守るためになら、何の罪悪感もなく、どんな「嘘」でもつくことができるのです。まさしく、evil(悪)という字の綴りを反転したものがlive(生)であるように、「悪」とは、まさに私たちの〈活動能力を増大させる生の直感=善=エチカ〉(スピノザ)を殺し尽くすものとして現れるのです。

 しかし、改めて考えてみれば、この〈悪魔=平気でうそをつく人たち〉には見覚えがないでしょうか。「完全性という自己像」を守るために文書改竄に手を染めるテクノクラート、「道徳的清廉性という外見」を守るために次から次に嘘をつく政治家たち、現実とは乖離した「理論」(嘘)を語りながら、その間違いを決して認めようとしない学者たち、「売れたもの勝ち」とばかりに、言葉の真実性(信用)を一顧だにしない言論人たち…、私の眼に、この「ネオリベ国家ニッポン」に生息する「エリート」たちのほとんどが、この手の「平気でうそをつく人たち」に見えていることは確かです。

 ところで、例のジョージには後日談があります。
 その後、ペックから、強い口調で「〔このまま現実から逃げ続けるようでは、あなたは〕地獄以外に行くところはないと私は思っています。〔中略〕安易な道を見つけだすためなら、あなたはどんなことでもします。自分の魂を売るようなこと、ご自分の息子さんを犠牲にするようなことでもします」と言われたジョージは、「悪魔との契約」を破棄して、またあの苦しみに戻ることに動揺したものの、最終的にはペックの助言に従ったと言います。

 そして、予想通り、ジョージは、またあの強迫観念に憑りつかれることになってしまったのでしたが、治療を受ける過程で、少しずつ――つまり一進一退を繰り返しながら――変わっていったといいます。そのなかで、次第に彼は、「自分がきわめて感じやすい人間だということを理解できるように」なり、「季節の移り変わり、子供の成長、存在するもののはかなさ」などに心を動かされる人間だということを理解し始めたといいます。言い換えれば、「苦痛に対する弱さのなかに、彼の人間らしさがあるということを認識する」ようになっていったということです。そして、彼特有の「男らしさ」を気取ることも少なくなったとき、ようやく「苦痛に耐える力が増していった」とのことです。

 ペックは、ジョージについて次のように書いていました。

「あの悪魔との契約について話しあった夜以後、数カ月のうちにその症状が弱まり、翌年の末には完全に消え去った。ジョージの治療は、診療が始まってから二年後に終了した。彼はまだ強い男とは言えないが、以前よりは強い男になっていることは確かである。」

 ここで注意すべきなのは、自分自身の「弱さ」を引き受けることによってのみ、人は「強く」なるのだという逆説です。真の「強さ」とは、この回路からしか生まれません。逆に言えば、それ以外の「強さ」は全て〈みせかけ=嘘〉だということです。私たちが私たち自身の「生」(live)を守るためにも、私たちは真の「強さ」を手に入れる必要があります。

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コメント

  1. つぼた より:

    真の「強さ」を手に入れる作業をすると生産性が落ちるので、全員には勧められませんが、やらないと判断を間違えやすくなることは確かだと思います。

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