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【施光恒】大衆文化が栄える条件

施光恒

施光恒 (九州大学大学院教授)

久しぶりに海外に行ってきました。米国のロサンゼルスに8日間ほど滞在し、当地の日本人会の一つで講演をしたり、地元の日本人向けケーブルテレビに出演したりしました。

また、カリフォルニア州立大学フラトン校で日本語を学ぶ学生に日本文化論のような講義もしました。(正直、結構ドキドキでした。)
(;^ω^)

その大学の先生などによれば、米国の学生が日本語に興味を持つようになる理由は最近ではやはりアニメやゲームが多いとのことです。日本の大衆文化、やはり根強い人気がありますね。

大学の講義では、人気のあるゲームのタイプの日米での違いやドラえもんや「リカちゃん人形」など一部、大衆文化にも言及しました。大衆文化に関する話は、やっぱり学生の反応がいいなと感じました。

ところで、米国へ発つ少し前に、東京で開催されていた「江戸の園芸熱――浮世絵に見る庶民の草花愛」という展覧会を見てきました(たばこと塩の博物館、2019年1月31日~3月10日)。

『表現者クライテリオン』で私が連載している「やわらか日本文化論」でもたびたび触れていますが、江戸時代の日本では、当時、世界一といっていいほどの園芸文化が花開きました。武士から庶民まで、非常に多くの人々が園芸に興味を持ち、庭木や草花を育てていました。品種改良も盛んで、江戸生まれの園芸植物は、欧米の園芸文化の発展にも大いに寄与したと言われています。

江戸時代の園芸文化の隆盛は、浮世絵にも大いに表れています。人々の日常生活を題材とした浮世絵に多種多様な鉢植えや庭木、草花が描かれています。

例えば、植木市で真剣なまなざしで福寿草の鉢植えを選ぶ商家のおかみさん、朝起きて歯磨きをしながら朝顔に目をやる若い女性、粋ないでたちで鉢植えを売る植木屋の若者。人々のそのような姿を浮世絵に見ることができます。

今でいう植物図鑑のように、斑入りの万年青(おもと)や、珍しい形の花や葉をつけた変化朝顔を細かく描き出した書物もありました。

展覧会を開催していた「たばこと塩の博物館」は、東京都墨田区にあります。江戸時代から続くこぢんまりとした植物園「向島百花園」の近くでした。そのため、向島百花園などで花見を楽しむ庶民の姿を描いた浮世絵も多数出品されていました。

江戸時代の人々がこれほど園芸に親しみ、江戸の園芸文化が大いに栄えた理由について、植物学者の中尾佐助氏はかつて、「庶民までをふくめて日本人に中流意識が普及した」ことが一因ではないかと述べていました(『花と木の文化史』岩波新書)。

つまり中間層が分厚く存在し、多くの人々がいくばくかのお金と余暇を園芸につぎ込めたことが、園芸文化が非常に栄えた理由ではないかと推測するのです。

中尾氏は、江戸時代の人々の識字率の高さや階層間の通婚の多さなどに触れつつ、「江戸時代は士農工商の階層構造の社会のようにいわれるが、それは表面的な建前であって、実質的にはかなり違っていた…」と述べています。特に、江戸時代も後半に至ると、実際は、中流意識を持った人々が分厚く存在していたのではないかと見ます。こうした分厚い中間層の存在が、江戸時代に世界最高水準の園芸文化が花開いた要因だったのではないかと指摘するのです。

この点、実に興味深く感じます。日本には、かなり早い時期から、中流意識を備えた人々が多数存在し、それが質の高い大衆文化を創り出す基盤となっていたのではないかと思います。

アニメや漫画、ゲームなどの現代の大衆文化も、同じことが言えそうです。日本の大衆文化が、ロサンゼルスで私が会った日本語を学ぶ学生たちのような海外の人々まで引き付ける力を持ち得たのは、やはり、日本社会に分厚い中間層が存在し、多数の人々がある程度のお金や余暇を費やしつつ趣味に熱中できたからではないかと思うのです。

特に、昭和から平成にかけて「一億総中流」などと言われたころに、魅力的なコンテンツを多数生み出すことができたことが大きいのではないかと思います。

ただ、そうだとすると、今後のことが少々心配になります。なぜなら、ここ20年間の新自由主義に基づく構造改革の結果、日本の庶民がだんだんと生活のゆとりを失ってきているからです。

ひと月ほど前ですが、興味深い記事がありました。

三矢正浩「『無趣味になっていく日本人』の実態と背景事情」(『東洋経済オンライン』2019年2月19日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/265582

この記事の著者の三矢氏は、博報堂生活総合研究所(生活総研)の時系列調査の結果などを参照しながら、日本人の趣味の変化について語っています。

それによると、この20年間で一番はっきりと見えてくることは、残念ながら、日本人の「趣味離れ」なのです。時系列調査で扱っている50種類の趣味・スポーツのうち、「2018年にスコアが過去最低を更新したものは、なんと29項目。全体の6割にも」及ぶと報告されています。

三矢氏はこの原因として、可処分所得の低下などに見て取れるように、この20年間、日本人の生活が貧しくなり、趣味に余裕をもって取り組むことが難しくなったことをあげます。つまり、経済状況の悪化が、日本人の趣味離れを招いていると指摘しています。

また、この記事の調査結果から、人々が、趣味のサークルや団体にあまり参加しなくなったこともわかります。例えば、次のような数値があげられています。

●「スポーツのグループ・サークル・団体に参加している」
1992年24.0%→2018年15.1%(-8.9ポイント、過去最低)

●「趣味のグループ・サークル・団体に参加している」
1992年23.6%→2018年14.7%(-8.9ポイント、過去最低)

趣味のサークルや団体に参加しなくなったことの背景にも、一つは経済的要因があるでしょう。また、それ以外にも、日本社会の組織のありかたの変化も関係あると思います。

日本人が趣味に熱中することの多かった90年代の前半ごろまでは、会社に趣味やスポーツのサークルや団体があるところは少なくなかったでしょう。経費節減、あるいは企業に関する考え方の変化(「従業員の共同体」という見方が薄まり、「株主に奉仕する利潤獲得のための組織」という見方が強まるなど)のため、趣味やスポーツのサークルがある職場は減ってきています。

また、この20年間、地域社会もどんどん衰退してきています。かつては、公民館などで盛んに集まっていた趣味やスポーツのサークルや団体の数も少なくなったのではないかと思います。

このように、経済的要因、および趣味のサークルや団体が減るという社会的要因のため、日本人の趣味離れが進んでいるようです。

これ、まずい状況ですよね。趣味にお金や余暇を費やすことができる余裕ある中間層が減ってきているわけですから。また、趣味を通じて、人々がつながりをもつ場も少なくなってきています。これでは、日本の大衆文化の力は弱まっていく一方でしょう。魅力あるものはあまり生み出せなくなっていくはずです。

相変わらず、政府は「クールジャパン戦略」なるものに力を入れ、外国に対し、日本の文化を売り込むのだと躍起になっています。例えば、つい先日も、次のような記事が出ていました。

「クールジャパン発信強化で懇談会――新戦略へ外国人が意見」(『共同通信』、2019年3月11日配信)
https://this.kiji.is/477817353703654497?c=39546741839462401

外国人識者を招いて、日本文化を海外に売り込むための意見を求めたという記事ですが、本当に相変わらずですね。

日本の大衆文化などを海外に売り込もうと政府が音頭をとる「クールジャパン戦略」は小手先のものです。こんなことではなく、魅力的な大衆文化が栄える社会的条件を整えることに、政府は優先順位を置くべきです。

つまり、分厚い中間層が育まれる経済政策や社会政策をとるべきです。外国人の顔色をうかがう前に、日本人の大多数が余裕ある生活を営み、お金や余暇を安心して趣味に費やすことができる経済的条件を整えなくてはならないでしょう。また、職場や地域社会で、趣味やスポーツのサークルや団体が広がるような社会的条件も整えるべきです。

これはおそらく、現在の新自由主義に基づく構造改革路線との決別を意味するはずです。

そうしなければ、日本の大衆文化、ひいては日本文化の力が次第に弱まっていくのを避けることはできないのではないかと思います。

長々と失礼しますた
<(_ _)>

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