前回のメルマガでは、「令和」改元を機に、その出典である『万葉集』と、それを「危機」において繰り返し参照してきた日本人との関係について論じておきました。
が、考えてみれば、「危機」において「文学」が参照されるというのも珍しい現象ではないでしょうか(逆に言えば、危機においてしか「文学」は参照されないのですが…)。それに因んで、今回は、この日本人独特の「性格」について、改めて考えてみたいと思います。
前回、私は、『万葉集』を引き合いに出して、「『政治』によって抑圧され、排除された感情を、再び『文学』によって取り戻そうとする姿勢は、その後の日本文学を貫く根本性格」を形作ってきたのだと書きました。が、それ以上に、この「外的なもの」によって「内的なもの」を抑圧しながら、その実「内的なもの」を排除し切らず、それを密かに保存しようとする傾向、その微妙さこそが、日本人の性格なのだと言うべきなのかもしれません。
もちろん、その性格は、表で律令制国家の確立(日本の中国化)を目ざしていた古代の日本人が、しかし、その裏で、貴族から庶民までの歌を『万葉集』において編んでいた事実においても示されていました。が、それはまた、「外」に向けて漢文で書かれた『日本書紀』を正統の歴史書としながらも、「内」に向けては土着言語(神話・伝説)を保存した『古事記』を伝え続けてきた日本人の「生き方」によっても示されている性格です。
そして、この「内と外」の二重性は、まさに「真名」(漢字)を「建前」としながらも、そこからこぼれ落ちた「本音」を、「仮名」(土着の音声言語)において掬い取ろうとする伝統を形成しながら、後に、「義理と人情」、「文語と口語」、「漢文脈と和文脈」、「ますらをぶりとたをやめぶり」、「洋才と和魂」、「顕教と密教」などの日本的観念に変奏されながら、その都度、私たちの生活に「かたち」を与えて来たのでした。
なるほど、それゆえ日本人は、「曖昧」だとか「二枚舌」だとかいう非難も浴びてきました。が、しかし、その「内」と「外」の回路が自覚されている限り、この二重性は大して問題ではなかったのです。言い換えれば、「内的なもの」に沿って「外的なもの」を「編集」する余裕がある限り(海を隔てた距離がある限り)、日本人は、自然に「本音と建前」を使い分けることができたのだということです(実際、中国の儒教を輸入した日本人は、その巧みな「編集」によって、科挙や宦官制度などは輸入しなかったのです)。
しかし、それは逆に言えば、「編集」のための距離感=余裕を失い、「内」と「外」の回路(バランス)をなくしてしまえば、日本人は簡単に「分裂病」の症状(自然喪失の症状)を呈してしまいかねないということでもあります。たとえば、精神分析者・エッセイストの岸田秀氏は、近代日本人における〈分裂気質〉を指摘して、かつて次のように書いていました。
「一つの集団の歴史は、一人の個人の歴史として説明できるという立場に立って、私は幕末から現代に至る日本国民の歴史を一人の神経症者ないし精神病の患者の生活史として考察してみようと思う。(中略)はじめに結論めいたことを言えば、日本国民は精神分裂病的である。しかし、発病の状態にまで至ったのはごく短期間であって、たいていの期間は、発病の手前の状態にとどまっている。だが、つねに分裂病的な内的葛藤の状態にあり、まだそれを決定的に解決しておらず、将来、再度の危険がないとは言えない。現在は一応、寛解期にある。」
「日本近代を精神分析する」一九七五年、『ものぐさ精神分析』中公文庫所収
岸田氏によれば、「ペリー・ショック」(トラウマ)によって、江戸(前近代)のナルシシズムを破られた日本人は、その後、他者(西欧)への適応を専らとする「外的自己」と、そこから切り離された「内的自己」とに分裂していくことになります。19世紀の帝国主義時代を生き延びるために、「西欧化」(文明開化)を強いられた「外的自己」(洋才)は、その仮面をますます厚くしながら、それに関与し得ない「内的自己」(和魂)を無視し、それを無意味なもの、生気を失ったものと見做していったのでした。
が、「抑圧されたものは必ずいつか回帰」します。そして、近代日本における、その最大の「回帰」現象、それが大東亜戦争だったのです。つまり、「外的自己と内的自己との分裂が悪循環的に進行し、外的自己が内的自己にとって耐えがたく重苦しい圧迫となって限界に達したとき」、それまで内奥に押し込められ、現実との接触を断たれていた日本人の「内的自己」(和魂)は、「外的自己」(洋才)の仮面をかなぐり捨てて、「対英米戦争」として現れたのだということです(まるで、『昭和残侠伝』の高倉健のようです!)。
しかし、この日本人における「分裂」は、決して「戦前」に限った話ではありません。
「ペリー・ショック」ならぬ「敗戦ショック」によって、再び「内的自己」の抑圧を強いられた「戦後日本人」は、今度は「平和と民主主義」を「外的自己」の仮面としはじめるのです。そして、国際社会に対して「憲法九条」(建前)を高々と掲げながら、その裏で、「国家」に対する欲望(本音)を「経済戦争」のなかに見出していったというわけです。
なるほど、それも、「外的なもの」への適応によって、いつか「内的なもの」が取り戻せるという幻想が生きられていた冷戦期(戦後の昭和期)はよかったのかもしれません。が、その「夢」も、「平成デフレーション」の三十年間で、完全に潰えてしまった。
戦後45年もの間、アメリカへの適応を習い性としてしまった日本人は、冷戦が終わっても、なお対米依存の悪癖を払拭することができず、「日米構造協議」(一九八九年)から「年次改革要望書」(一九九三年)に至るまでの流れ(グローバリズム)のなかで、それまで辛うじて担保していた自己表現の回路(経済成長)さえ失ってしまったのでした。
しかし、だとすれば、今、再び、「外的自己(対米依存)が内的自己(日本人の生活意識)にとって耐えがたく重苦しい圧迫となって限界に達し」はじめていると言えはしないでしょうか。もちろん、だからと言って私は、単に「内的自己」を取り戻せばいいと言っているわけではありません(それでは、「戦前」の二の舞です)。なるほど、「外的自己」を排して「内的自己」に回帰すれば、「内」と「外」の葛藤は解消されます。が、それによって、私たちは「内」と「外」の回路=バランスをも見失ってしまうことになるのです。
その意味で言えば、やはり問題は、どちらか一方を取ればいいという話ではない。そうではなくて、いかに「内的自己」と「外的自己」を循環させ、均衡させ、その両者を包括し得る「人格」(自己同一性)を立ち上げることができるのか。いつでも問題は、その「人格」の立ち上げ(真のナショナリズム)にこそあるのだということです。もちろん、私に、そのための妙案があるというわけではありません。が、やはり、そのバランス感覚は、日本人が生きてきた過去からの「持続感」の上にしか築けないことだけは確かでしょう。
来たる「令和」の新時代を、「分裂」の時代とするのか、「統合」の時代とするのか。それを決めるのは、私たち一人一人の歴史意識だと言っても過言ではありません。
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コメント
上手く表現できませんが、
ここで言う「外的自己」は、相手に合わせていけばいいので、比較的スムーズに確立できると思いますが、
「内的自己」は、当たり前の感覚になり、振り返って認識し直さないと確立しにくいのではないかと思います。
そのアンバランスで、内と外で大きく振れ過ぎてしまう傾向があるのではないかと思います。
日本人は自分達の内向性に気付いて、一度、自分は何なのか、しっかり認識しておく必要があると思います。
やっぱり教育になるんでしょうか。