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【松林薫】時の流れに身をまかせ

From 松林薫(ジャーナリスト・社会情報大学院大学客員教授) 

こんにちは。ジャーナリストの松林です。

春先から続いた平成回顧ブームは一服しましたが、6月4日の「天安門事件30周年」を振り返る報道が相次いだことで、あらためて平成元年の世相を思い出したという人も多いのではないでしょうか。11月には「ベルリンの壁崩壊30周年」も控えています。こうして見ると、「平成元年」が見事なまでにその後30年間のプロローグになっていたことに驚かされます。令和元年もまた、同じように振り返られる日が来るのかもしれません。

さて、天安門事件の回顧記事を読んでいると、私の頭の中で二つの、雰囲気がまったく違う曲が流れ始めました。一つは革命歌「インターナショナル」です。

この理由ははっきりしています。当時16歳だった私が読んだ新聞記事に、広場に集まった学生たちが軍の突入を前に「インターナショナル」を歌う場面があったからです。「なるほど、この曲が流れる舞台としてこれ以上のものはないであろう」という発見と、「歌詞にある『圧政』を敷く側が社会主義国の政府だというのは何という皮肉だろう」という衝撃とで、強く脳裏に刻まれたのです。

同じ記事に、学生が広場に設置した「民主の女神像」が軍の車両に蹂躙される描写があったことも覚えていたので、当該記事はすぐに見つかりました。惨劇の翌日に一部始終をドキュメンタリータッチでまとめた、朝日新聞の「時時刻刻」でした。

“「大丈夫、大丈夫」。マイクを握る学生リーダーが、ことさら抑えた声を出す。スピーカーは記念碑に取り付けられている。「私たちがこの運動で求めたものの話をしよう……」。リーダー4人が交代でマイクを持った。合間に労働歌「インタナショナル」が何度も流れる。”

“戦車、装甲車十数台が横に並び、故毛沢東主席の肖像画が掲げられている天安門の方向から、一斉に広場を走り出した。学生がねじろにしていたテント群や、高さ10メートル、石こう製の「民主の女神像」が、ごう音と共に引き倒された。”
(朝日新聞 1989年6月5日付朝刊「悔しい、涙のむ学生 包囲されすべなく 北京の武力制圧」)

30年ぶりに読み返すと、当時の記事は割と文学的な描写が多かったのだな、という感想を持ちます。最近はルポでも淡白な文章が目立ちますが、描かれたシーンが今でも鮮やかに蘇るのですから、こういう表現方法は見直されてもいいのではないでしょうか。

それはさておき、私が気になったのは頭の中に流れたもう一つの歌の方でした。故テレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」だったのです。

当時の人気歌手で父親が中国本土出身だったとはいえ、テレサ・テンさんは台湾人。内容も恋愛歌で政治性は全く感じません。とくに好きな曲だった覚えはないので不思議な気がしました。

しかし、ネットで調べると理由はすぐに分かりました。私の記憶からはすっかり消えていたのですが、彼女は学生たちの民主化運動を熱心に支持していたのです。過去記事を調べると、むしろ民主化運動の象徴と言っていい存在だったことが分かります。おそらく私も何度かそうした報道を目にしていたのでしょう。

“八日前と何という違いだろう。五月二十七日、ハッピーバレー競馬場を舞台にした学生運動支援の大コンサートは希望と歓喜にあふれていた。民主のシンボル黄色いネッカチーフの波が揺れる巨大なスタンドに向かって、ジャッキー・チェンもアニタ・ムイも感動的なステージを演じた。テレサ・テンは感きわまって顔を覆ったままステージを駆けおりた。”
(読売新聞 1989年6月13日付朝刊「激震・天安門(7)“反北京”香港の失望 中国復帰へ募る不安」)

“テンさんは天安門広場での座り込みが始まってから、宣伝のための来日予定を中止して、中国学生支援のマラソン・コンサートに飛び入りしたり、「軍政反対」のゼッケンをつけてデモの先頭に立つなどの抗議行動を続けており、香港や台湾の新聞に連日大きく紹介されている。”
(朝日新聞 1989年6月22日付夕刊「歌手のテレサ・テンさん 中国民主化を歌で訴え」)

このわずか6年後、彼女は早すぎる死を迎えます。新聞に載った評伝などを読むと、この運動での挫折が彼女の心身を蝕んでいったことがうかがえます。

しかし惨劇が起きるまでは、テンさんだけでなく、広場に集まった学生や市民、そして報道に接した私自身も、中国の民主化に明るい見通しを持っていました。欧州では前年から東西冷戦の雪解けムードが高まっていたし、中国自身も改革開放の只中にいたからです。あと一押しすれば民主化は比較的穏健な形で実現するように感じられたのです。

それどころか事件を目の当たりにした後も、私を含む多くの人が「これだけの弾圧をした体制は民心が離れてすぐに崩壊するだろう」という希望的観測を持ちました。しかし、こうした予測はことごとく外れたのです。

当時の私たちには何が見えていなかったのでしょうか。それを振り返ることは、始まった「令和」の国際情勢を見通す上でも重要でしょう。

もちろん私にも確信の持てる答えがあるわけではありません。ただ、自分自身についていえば、「政治と経済の関係」について大きな思い違いをしていた気がします。それは「人々が豊かになれば、自然と政治的自由を求めるようになり民主化圧力が強まるだろう」という思い込みです。少なくともこの30年を振り返る限り、この見通しは完全に外れました。

しかし後知恵でいえば、当時の国内外を少し見渡しただけで「経済発展すれば民主化が進む」などという法則が当てはまらない事例はたくさんあったのです。そもそも当時、民主化が進んだ(というより体制が民衆の怒りによって覆された)ケースは、たいてい経済が崩壊した結果だったからです。

日本はどうだったでしょう。労働運動や学生運動が激しかったのは60年安保の頃であり、高度経済成長の訪れとともに政治の季節は幕を下ろしました。当事者は怒るでしょうが、70年安保はそれと比べれば国民的広がりを持つ運動だったとは言えないでしょう。

そうした視点で30年前の報道を眺めると、中国がらみのニュースは崩壊前のソ連や東欧に比べ明るさに満ちていました。だからこそアジアのスターだったテレサ・テンさんが運動に関わる余地もあったのだと思います。しかし経済の好調は中国政府に体制維持の自信を深めさせ、弾圧に踏み切る要因になったと考えられます。

それにもかかわらず、当時の日本や米国は中国の経済発展を後押ししました。新しい市場としての期待が大きかったことに加え、「経済発展が民主化を促す」という固定観念に囚われていたことは間違いないでしょう。その思惑が外れた今、米国は中国に貿易戦争をしかけ、経済の封じ込めに舵を切っています。

現在の中国は、最新のテクノロジーを駆使することで盤石の体制を作り上げているように見えます。ビジネス界で「全体主義は経済発展に有利な体制なのではないか」という見方が台頭するほど中国はうまくやっているのです。しかし、事実は逆なのかもしれません。つまり「経済がうまくいっているうちは、国民は少々荒っぽく不自由な体制でも受け入れる」だけなのかもしれないのです。

だとすれば、中国の真の試練はこれからなのかもしれません。規模が大きいので突然崩壊することはないにせよ、人口減少や需要の飽和は経済の舵取りを格段に難しくします。足元では香港への支配を強め、台湾も飲み込む勢いに見えますが、過去30年とは全く異なる局面に差し掛かっていることは間違いないでしょう。時の流れは確実に変わろうとしているのです。

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コメント

  1. 学問に目覚めた中年。 より:

    六月四日は天安門事件と同時に、ミッドウェー海戦が行われた日でもあります。ましてや欧米人の日付へのこだわりは、いわずもがなで、当然そこには意図してなされている事でしょう。ところで表題に対する評価は端的に音楽的な事のみに限られます。また六十年安保当時の全学連には、表現者の創設者である故・西部邁先生の青春の全てから現在に至るまでの歴史がある訳で歴史の重みを痛感する次第です。そこで思い出されるのが西部先生から教わった西部イズムの数々であり、我々大人が為すべきは、大和魂の遺志を受け継ぎ継承する事なりと思います。

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