こんにちは、浜崎洋介です。今日のメルマガは、少し長くなってしまうと思いますが、お付き合い願えればと思います。
2019年の「骨太の方針」の原案に、「消費税率10%への引き上げ」が明記されことを根拠に、新聞各社は一斉に「消費増税延期の可能性はなくなった」と報じ始めました。
しかし、もし、それが本当なのだとしたら、以前のメルマガ(日本人の「背骨」を問う――「消費増税」という「貝」を破るためにhttps://the-criterion.jp/mail-magazine/m20181121/)にも書いたように、日本の為政者たち――あるいは、消費増税を容認しているメディアや経済学者たちはみな、私に言わせれば、「思考停止したネズミ」であるということになってしまいます(今更、消費増税の「不条理」については、くどくどと説明しませんが、
その「不条理」のほどを、今一度確かめたい方は、藤井編集長が書いた記事「『財政悪化』を導く消費増税が生み出すのは、『害のみ』である」https://38news.jp/economy/13676?fbclid=IwAR1dMYsGDWVFRpFSKDxAwWViuVs0NNgk_sYmVtJDYmlpdL9ADrF1_fPwsMQをご参照ください)。
それは、つまり、日本の政治家や、官僚、経済学者において、まっとうな「現実感覚」――いわゆる「現実適応能力」――が完全に壊れてしまっていることを意味しています。
では、「現実適応能力」とは何なのか。
それは、決して難しい話ではありません。ただ、目の前にある「事実」に対して、どのような「言葉」(解釈・説明)がふさわしいのか(整合的なのか)を判断する力――言ってみれば、「感性」と「悟性」(知性)とを結びつける「常識力」のことです。
たとえば、夜に握った小石が冷たくて(事実①)、昼間に握った小石が熱かった場合(事実②)、事実①と、事実②の差異の由来を、太陽の有無(解釈①)に求めるのか、それとも、石のちょっとした形の違い(解釈②)に求めるのかを判断する力のことだと言ってもいい。この場合、形の違いより、夜と昼の違いの方が石の温度に与える影響が恒常的であることを察知した「常識」は、
石の温度差の由来を太陽の有無(解釈①)の方に帰すでしょう――ちなみに、この「常識力」が極度に壊れている場合(統合失調症を患っている場合)は、石の温度差の由来を石の形(解釈②)に求めてしまうことがありますが、その判断の形がまさに、他人には「妄想」に見えてしまうのです――。
しかし、だとすれば、過去から現在までのデータ(事実)を目の前に、「消費増税は問題ない」と判断(解釈)している現在の政府は、ほとんど「妄想」の世界に生きているということになる。言い換えれば、「デフレ下での消費増税」という非常識を容認する政治家・官僚・経済学者の「常識」は完全に壊れてしまっているということです。
が、それは、決して政府に限った話ではないのかもしれません。政府に影響を与えうる地位にいる人間たちからして、すでに、この「常識力」が完全に狂い始めているかのように見えるのです。
例を挙げていれば切りがありませんが、目ぼしいサンプルを、二つだけ挙げておきましょう。一つは、日本経済新聞・上級論説委員である大林尚氏が書いた「令和財政 大戦時より深刻」(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44941220X10C19A5TCR000/)という記事。
もう一つは、同志社大学大学院教授で経済学者の浜矩子氏が書いた「財政赤字容認論『MMT』、通貨の大量発行政策は理解できない」(https://dot.asahi.com/aera/2019060500023.html)という記事です。この二つの記事は、まさに「識者」と言われる人間の〈常識の死滅=妄想癖〉を示している典型例です。
まず、日本経済新聞の大林氏は、第二次大戦末期の日本政府の債務残高(GDP比で、およそ2倍)と、2019年現在の日本政府の債務残高(GDP比で、およそ2・2倍)を比べながら、1945年の敗戦以降に日本を見舞った状況について、次のように述べます。
「債務が積み上がった日本経済を見舞ったのは超インフレだ。政府は国民から強制的に富を奪うふたつの荒治療で、債務の帳消しを図った。ひとつは、すべての金融機関の預貯金について生活費などを除いて引き出しを禁ずる預金封鎖だ。もうひとつは、古いお札(旧日銀券)の価値をゼロにして金融機関に回収させ、新たに発行した新日銀券のみの引き出しを預金者に認める新円切り替えである」と。
そして、そこから大林氏は、話題を現在の政府債務に切り替えて、次にように言葉を続けるのです、「債務がある程度、積み上がったのは致し方ない面があろう。やはりその真因は、危機予防策のカベに阻まれ遅滞した年金や医療など社会保障と消費税の改革だ」と。
つまり、大林氏は、敗戦後のような「危機」(超インフレ)を招かないためにも、今のうちから社会保障費を抑制し、消費税を引き上げておくべきだと言いたらしいのです。
しかし、この記事で、大林氏は絶対に見落としてはならない「事実」を、故意か過失かは知りませんが、完全に見落としています。それこそは、敗戦後の「超インフレ」が、戦争による破壊によってこそ引き起こされていたという「事実」です。
インフレとは、需要に対して供給が少ない現象のことを指しますが、だとすれば、工場その他の生産手段=供給手段が破壊されている焼野原で「超インフレ」が起こるのは、むしろ当然でしょう(というより、闇市で物々交換が為されていたことくらい、小学生でも知っています)。にもかかわらず、大林氏は、その供給手段の破壊(戦争)という、最も基本的な「事実」を無視しながら、敗戦後と現在とを比較して「戒めるべきは〔国の債務問題に対する〕根拠なき楽観である」と言うのです。果たして「根拠がない」のはどちらなのか。
それでは、浜矩子氏の方はどうでしょうか。
浜氏は、最近話題のMMT(現代貨幣理論―Modern Monetary Theory)の「M」について、「『まともじゃない』のMにも見える」と言いながら、その概要を次のように纏めます。MMTとは、「通貨発行権を有する国が自国通貨建てで国債を発行する限り、財政が赤字化することに何ら問題はないという」理論だと。そして、次にように批判するのです。
「ここまで来たところで、MMTのMが盲点のMにもみえてきた。通貨発行権を掌握していればいくらでも通貨を発行出来るというのは、あくまでも、その通貨発行権を人々が認知する限りにおいてだ。そして、発行された通貨を人々が通貨だとみなす限りにおいてである。大盤振る舞い財政を賄うために、通貨が大量に発行されたとする。その結果、人々がこんなものは通貨じゃなくて紙切れだと思い始めたら、万事休すだ。その時、通貨製造装置という名の打ち出の小槌は神通力を失う」と。
これを読んだときは、さすがに私も、「ここまで来たところで、浜氏のHが、非常識のHにもみえてきた」と言いたくなってきましたが、というのも、MMTとは、浜氏が言うのとは逆に、「発行された通貨を人々が通貨だとみなす」その根拠をこそ解き明かそうとして積み上げられてきた歴史的な理論だからです(決して新奇な理論ではありません)。
MMTは、「現代の貨幣」(Modern Monetary)が、不換貨幣であるにも関わらず、しかし、それが価値を持つことの根拠を、「国家の課税」という「事実」に見定めますが(税を自国通貨で支払わなければならない国民は、だから自国通貨を欲しがるという原理です)、それゆえにMMTは、確かに「財政が赤字化することに何ら問題はない」とも言いますが、それと同時に、財出を減らしたり、金利を上げたり、最終的には、「増税」することによって「インフレ」をコントロールすることができるとも言う理論なのです。
つまり、浜氏の指摘とは逆に、「人々がこんなものは通貨じゃなくて紙切れだと思い始め」ないようにするための根拠を徹底的に考え抜いた理論、それがMMTなのです(注1)。
しかし、浜氏は、故意か過失かは知りませんが、MMTにおける、その最大の論点(インフレ抑制論)を完全に無視しています。とすれば、決定的な論点を避けたまま、MMTを単なる「打ち出の小槌」とする浜氏の態度の方が、よっぽど「まともじゃない」と言うべきではないでしょうか。
ことほど左様に、「識者」と言われる人間において、その「常識」は完全に壊れています――要するに、「事実」への適切な顧慮がないままに言いたい放題なのです――。彼らは、20年以上もの間、国債を刷れば刷るほど金利は下がり続けているという「事実」や、消費増税による財政再建が失敗し続けきたという「事実」に眼をつぶりながら、
何かの一つ覚えのように「財政再建」の一語を呪文のように唱え続けているのです(ちなみに言えば、だから私は、MMTを‶盲信″せよなどとは言ってはいません。今のところ、管見の及ぶ限りでは、MMTに対する反証らしい反証は見当たりませんが――逆に、その正しさを裏付ける「事実」には事欠きませんが――、もちろん反証が出てくれば、それに従って、理論の一部を修正するか、その体系を組み直せばいいだけの話です)。
しかし、だとすれば、やはり現代日本人(の政治家、官僚、学者)において決定的に欠けているのは、「頭脳」ではなく、「現実感覚」だということになる。一つの目的(財政再建)に向かって最短距離で走っていく「処理能力」ではなく、その目的の「正しさ」自体を「事実」と付き合わせて吟味するプラグマティックな「思考力」だということになります。
しかし、改めて考えてみれば、この体たらくにも、理由がないわけではないのかもしれない。70年以上もの長きにわたって、この「対米従属空間」(日米安保空間)の中に敷かれたレールの上を歩きながら、ただひたすらに「家畜の安寧」を貪り続けてきた戦後日本人において、「現実感覚」が失われないという方がおかしいのです。つまり、与えられたエサ(目的)だけを食みながら、ついには、そのエサの味の違いさえ見分けることことができなくなるほどに「常識」を失ってしまった悲しい国民、それが、戦後日本人だということです。
かつて、福田恆存は、「先学の血の滲むような苦心努力によつて守られて来た正統表記(歴史的仮名遣)」が、戦後のどさくさくに紛れて覆されてしまった事実を、取り返しのつかない「痛恨事」として語ったことがありますが、今、再び、その時の言葉を繰り返すべきなのかもしれません、「戦に敗れるといふのはかういふことだつたのか」(全集「覚書四」)と。
注1―MMTの概要について知りたい方は、中野剛志氏の『富国と強兵』や『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室―基礎知識編』がお勧めですが、もっと手っ取り早くその概要を知りたい方は、中野剛志氏「米国発『消費増税無用論』の真贋―デフレ脱却のため財政赤字をもっと拡大すべきだ」(『文藝春秋』2019年7月号)や、
藤井編集長の「MMT(現代貨幣理論)とは、『現代社会の実態に即した、貨幣に関する政策論』です」(https://38news.jp/economy/13499)という記事、あるいは、その解説動画「『日本の未来を考える勉強会』―MMTの真実〜日本経済と現代」(https://www.youtube.com/watch?v=s2Uj-_RolsY)などを参照ください。
【編集部より】
『表現者クライテリオン』7月号が発売されました!
https://the-criterion.jp/backnumber/85_201907/
今回の特集は「外交」。呉善花、堀茂樹、山田吉彦、遠藤誉、ロバート・D・エルドリッヂ、藤和彦、小原凡司、桒原響子各氏にゲストとして執筆・ご登場頂いています。
また、連載座談会「対米従属文学論」では村上春樹『風の歌を聴け』、田中康夫『なんとなくクリスタル』を論評。
ぜひお買い求めください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
メルマガのバックナンバーはこちらで閲覧頂けます。
https://the-criterion.jp/category/mail-magazine/
雑誌『表現者クライテリオン』の定期購読はこちらから。
https://the-criterion.jp/subscription/
その他『表現者クライテリオン』関連の情報は、下記サイトにて。
https://the-criterion.jp
ご感想&質問&お問合せ(『表現者クライテリオン』編集部)
info@the-criterion.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
執筆者 :
CATEGORY :
NEW
2024.10.10
NEW
2024.10.08
NEW
2024.10.07
NEW
2024.10.06
NEW
2024.10.05
2024.10.04
2024.10.08
2024.10.04
2020.01.22
2024.10.03
2024.10.10
2024.07.13
2022.10.25
2018.09.06
2023.10.12
2024.10.06
コメント
ごもっともなご指摘です
私は『簿記3級』を持っておりますので、『現代貨幣理論』が、スンナリ理解出来ました
私も各方面でコメント活動した際に、『現代貨幣理論』への批判者から相当なバッシングを受けましたが、私の反論にマトモに返せた人は皆無でした
そして『現代貨幣理論』を否定したがるのは、自称保守派の『安倍内閣支持者』が圧倒的に多く、しかも聞きかじり程度の『新古典派経済学』や『ケインズ経済論』を、生半可に理解したつもりでいる連中ばかりでしたね(笑)
それで反証したつもりに成って得意満面の方々を見て、『日本も終わったな』と感じましたし、安倍内閣の支持者とは、『新自由主義者であり、安倍内閣が継続する事で自分が得をするから支持しているに過ぎず、それを誤魔化す為に「自称保守派」を語っている』のが、アリアリと分かりました
つまり、国家全体の国益は考えず、安倍内閣批判者は、脊髄反射で『左翼呼ばわり』の、低次元な欲集りしか見ませんでしたね
勿論、安倍内閣支持者にもマトモな方々はおりますが、少なくとも『現代貨幣理論』を理解した上で、安倍内閣を必要に応じて批判出来る人は、水島聡氏以外は知りませんね
間違いなく日本は【滅亡】に片脚を突っ込んでしまっております
出来得る限り早急に、内需拡大をし、国力を増強しなければ、未来への道は無いでしょう
私は、これからの日本に、大して希望をつなぐことが出来ないと絶望して自決した、三島由紀夫に同意しております。これも全ては戦後体制がもたらした自由と民主主義による安易な経済の恩恵と引き換えにした馬鹿げた偽善者が蔓延るデタラメな学歴社会に憤慨しているからです。特に東京大学を始めとしたインテリ連中の如きは、沖縄の玉砕をはじめ、サイパン、パラオ、アッツ島、硫黄島などで玉砕された方々を軽んじその顔に泥を塗る姿に言葉もなし。また国家の要にある政治と行政の劣化も酷くて、ものすごいスピードで欧米化するは哀れとしかなく、まさに愚民ここにありと極まれりで残念無念!。
>過去から現在までのデータ(事実)を目の前に、「消費増税は問題ない」と判断(解釈)している現在の政府は、ほとんど「妄想」の世界に生きているということになる。言い換えれば、「デフレ下での消費増税」という非常識を容認する政治家・官僚・経済学者の「常識」は完全に壊れてしまっているということです。
全くおっしゃる通りです。日経新聞の記事は中学生でももっとまともな記事書けるでしょと思う単なる事実誤認の妄想記事。浜教授の方はたぶん事実知っておきながらイデオロギー的に反対してるように思えます。学者としての真実の追求より保身からくる学者の立ち位置を死守したいようにこのように言ってるように思います。
何故ならちょっと考えれば貨幣の信用が神通力からきてるとは思いませんし
お金や貨幣は単なる負債の記録でしかないからです。それは昨今キャッシュレス化を進めようとしてますが(全面キャッシュレス化がいいかは議論があると思います)あれは金属でもなければお札でもありません単なるデジタルな記録です。
でもキャッシュレス化してる昨今通貨の神通力が危険になってるなんて誰も言ってない。それは貨幣や通貨は負債の記録でしかないからです。もう正解は出てるのにまだ通貨の神通力という浜教授はエリートの現実無視から学者としての保身から来てるとしか思えません。
長いと前置きされましたが、自分にはとてもシンプル&ストレートな話でとても分かりやすく、短く感じられました。
さて、このような明白に解き解された話でも、世間には通じない方々がいるそうで、しかもそれは、世間的にかなり高いインテリジェンスを持つと思われる人々(真正の権威からプチ権威まで)だったりする。。。
なるほど、この国の失われた30年の原動力たるりえる病根の正体のように思われました。
この問題の処方箋の神髄はきっと
> それは、決して難しい話ではありません。ただ、目の前にある
>「事実」に対して、どのような「言葉」(解釈・説明)が
>ふさわしいのか(整合的なのか)を判断する力──言ってみれば、
>「感性」と「悟性」(知性)とを結びつける「常識力」のことです。
とご説明された話であり、ならばなぜ、ここに立ち戻れないのか。
そこには「バカの壁」という話がありそうですが、それほどの壁でなくても、過去の自分の言動もありましょうから、ある程度社会的身分が出来てしまった以上、もう、「それしか道がない」のかもしれません。
(ホントはそんなことはないのですが、人とはそういうもので)
そのしみったれた安住からひき剥がすのは、腹の皮をむしり取られるような拒絶にあうだけで、労力に見合わないかもしれません。
もう残念な方々を論破して変えるという可能性は諦め、相応のポストを入れ替えるしかないのかもしれません。
現代の戦略で目標とされるものにマスコミ掌握があるようです。出演者の考え方を変えるより、出演者自体を変える目標のほうが実現が早そうに自分は思っています。
その動因はどうするか?
視聴者、読者は、それほどバカではない、むしろ「整合的なのか判断する力が、余計な知識がないせいで自由である」可能性さえあるはずです。
またその実現には、そのような本来的な進め方だけでなく、日々忙しく、大づかみな社会の問題(政治経済の筋道)について考える労力を割けない方々のためにも、権威という温風も、あわせて活用することが、近道なのかもしれません。