先日、アメリカ人で日本の古典文学を研究しているロバート・キャンベル氏のインタビュー記事を読んだのですが、その前半では「明治政府の政策で日本語のあり方が大きく変わってしまい、それ以前と以後の文献のあいだに大きな断絶が生じていて、日本人が自国の古い文献を読むことができなくなってしまった」という問題について語られていました。
日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力
https://www.mugendai-web.jp/archives/7237
「明治維新の後に日本語が刷新され、過去の伝統からの断絶が生じました。日本が近代化・工業化し、国民国家に発展して行く過程で300もの藩は廃止され、方言に代わって標準化された共通言語を作る政策がとられました。これと並行するように書き言葉は古文から言文一致体へ、表記も崩し字から楷書体へと形を一変しました。
それが今日の社会の安定や経済的発展につながったことは事実ですが、他方で以前の文字文化と私たちを隔てる高い壁が生まれ、古文は読まれなくなってしまったのです。」
「明治30年代以降の学校教育では、見たり感じたりしたことをそのまま語るように書く言文一致の作文教育が進められていきました。日清戦争のような対外戦争では、全国から集まる兵士が号令ひとつで一斉に動けるように共通言語が必要でした。工場など労働の場も同じです。標準語を定めて普及させることは、明治政府にとって重要課題だったのです」
要するに、教養あるエリート層が伝承してきた書き言葉のスタイルが徐々に解体されて、一般に理解しやすい言葉で文章を書くようになっていったわけですが、たしかにそれによって失われた過去との断絶は大きいでしょう。私も恥ずかしながら、崩し字で書かれた古文書などはまともに読めませんし、活字化されたものであっても、漢文はともかく大和言葉で書かれた古い文章は、注釈を頻繁に参照しながらでないと読み進めるのが難しい。
ところで、この明治期に近代化を進める過程で生じた「断絶」と関係するのですが、最近読んだ隠岐さや香氏の『文系と理系はなぜ分かれたのか』という本の中に、面白い議論がいくつかありました。テーマはタイトル通りなのですが、文系・理系という区別の由来を辿るため、西洋や日本の学問の歴史を遡って整理した本です。
「理系・文系という区別は日本にしかない」と言う人もいますが、欧米でも最近は「STEM」(Science, Technology, Engineering & Medicine、つまり科学・技術・工学・医学の略だと隠岐氏の本では説明されていましたが、最後のMはMathematics、つまり数学とされることが多いように思います)という言葉がほぼ日本語の「理系」に相当する用語として用いられ、人文社会科学と対比されていますので、これは案外一般的な区別です。
中世までの西欧では、知的な研究・教育の活動は教会や王室の権威に支えられていて、逆にいうと宗教や封建制の秩序を逸脱するような内容の研究を自由に行うことはできませんでした。ところが宗教改革や市民革命を経て近代化が始まると、「神」や「身分」を持ち出すことなく自然界の原理や人間社会の秩序を説明する必要が生まれてきます。
そのとき、自然に関する学問は、人間の五感や感情が生み出す認識のバイアスを取り除く方向に進んでいき、観測機器によって得られたデータや数学的論理によって、知の体系が作られるようになった(それ以前の時代には、「神の似姿」とされた人間の感覚を疑う姿勢は希薄でした)。一方、社会秩序に関する学問において重要だったのは、神や王に代わって、普通の人間を中心にして社会秩序の論理を作り上げることでした。このように、近代化を牽引した知の潮流が、「人間排除」と「人間中心」という二つの異なる思想を含んでいたために、理系的な世界と文系的な世界が分かれていったのではないかというのが隠岐さやか氏の説明です。
さて、そのようにして作られてきた西洋の近代的な学問を、日本は幕末の頃から明治期にかけて輸入していくわけですが、当初から理工系の知識に重きが置かれていたのが特徴的だと隠岐氏は言います。
西洋では、啓蒙の時代を経ていたとはいえ古くからの知的伝統がまだ残っていて、理工系の知識は職人仕事のためにあるもので、教養あるエリートが大学で研究するようなものではないとされていました。19世紀前半のドイツで実験を重視した研究・教育システムが整えられ、それがフランス、イギリス、アメリカなどに普及していくのですが、ちょうどその頃に、科学者を意味する「サイエンティスト」という英語が生まれたらしい。これはヒューエルという哲学者が作った言葉で、当初は「自然科学の実験ばかりに夢中になって、人文学的教養をおろそかにしている科学オタクども」というような、皮肉を込めた意味だったようです。
一方当時の日本では、幕末の洋学者が強い関心を持っていたのは西洋の理工系の知識でしたし、明治維新後も急いで近代化を進めるために、理工系の学問が非常に重視されました。何しろ、世界で始めて工学部が設置された総合大学は、日本の東京帝国大学です。最近、文科省の「文系軽視」が批判されていて、私も問題だと思うのですが、日本の大学というのはもともと、国策として西洋の技術力に追いつくために理系の知識を重んじてきた歴史があるわけですね。
日本でも昔は、儒教や道教のように人間の生き方に関する規範を解き、人格形成の基盤となる知識が「学」と呼ばれ、天文学・数学・医学・農学・軍事などの技術的知識は「術」と呼ばれるという区別があり、後者は前者に比べて軽視されていたようなので、事情は似ています。しかし西欧近代との接触にあたって、目立ったのはやはり彼らの人文社会科学(道徳科学)よりも理学や工学だったのでしょう。
隠岐氏は、日本で文系と理系の分化に大きな影響を持ったのは、官僚制度(公務員試験)と中等教育ではないかという仮説を提示しています。行政機関で法務に携わり、近代法に基づく制度体系を作り上げていく事務官僚と、土木事業や産業の振興を通じて富国強兵を進める工学系の技術官僚が、近代化の過程で重要な役割を果たしました。これに対応して、大学に入学するエリート人材の教育と選別を担った旧制高校では、1910年頃から「文科」と「理科」という区別が一般化したらしいですが、これも「法律」と「工学」の実務家養成を意識したものだったのだろうと言います。
ところで、日本が輸入し始めたころの西洋の学問は、今ほどではないものの、すでに「専門分化」が相当程度進みつつありました。「サイエンス」という英語に「科学」という訳語を当てたのは西周ですが、西は当時の西洋の学問を眺めて、諸学が互いに関連性を持ちながらも、個々の分野が独立して専門化していたことに衝撃を受けたようです。
当時の日本ではまだ、知識というのは総合的であるのが当たり前で、「ある専門だけ勉強して他の分野については学ばない」というのは学問の修め方として正統ではありませんでした。一方、西洋では専門分化を進めることで、むしろ多彩で深堀りされた知識が生み出されつつあった。そこで「分科の学」という意味で「科学」という訳語を考案したらしい。
こういう歴史を振り返ると、我々日本人が近代的な国づくりの過程で下してきた選択と集中が、今も我々の知識や精神世界の広がりに対して、案外強い制約を課しているのではないかと思えてきますね。
第一に、国語の改革(明治時代には標準語化と言文一致化が進められましたが、戦後には旧仮名遣いが一掃されました)によって、我々の祖先が持っていた広大な文学や思想の世界とのつながりを希薄にしてしまった。第二に、知識が総合的であるのが当たり前だった時代が終わって、個別の専門分野に細分化された知の体系を持つようになり、その全体像に対する関心を持ちにくくなった。第三に、教育プロセスの中で理系と文系が区別され、文系の中で法学だけは国家に直接奉仕する技術的知識として特別視されたものの、その他の人文・社会科学は総じて軽んじられてきた。
もちろん、これらは恐らく欧米諸国にも多かれ少なかれ言えることで、特に二番目の総合知の喪失に関しては全人類的な課題です。専門分化が進むとともに科学的・学問的知識が膨大になって、その全体像を捉えることはそもそも容易ではなく、「教養が大事です」で済む問題でもなくなっています。だから、隠岐氏も書いていますが、「諸学の総合」が何度も唱えられたものの全く成功していません。
一方、三番目の人文社会科学の軽視については、日本独特の問題かも知れません。さらに、ひょっとすると、そのせいで我々日本人は政治や経済の大きな変化を捉えるのが苦手で、欧米のトレンドに10年か15年遅れで付いていき、その頃には時代がまた変わろうとしている……という失敗が繰り返されているのかも知れません。また一番目の、過去の人文知との間で断絶が生じたこととも関連して、日本人の腑に落ちる「人間と社会に関する理論」を組み立てる努力も不足しているのではないでしょうか。
国づくりとともに生み出されてきたバイアスなので、一朝一夕に是正できるものはないでしょうが、維新から150年を経ていっそう成熟した国家を目指す上では、知識の断絶や分断は大きな課題と捉えておいたほうが良いように思います。
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コメント
看護師として働いています。
最近はインターネットや解説系の書籍の流行で病気や治療の専門知識を持つ患者が増えています。
とても熱心に勉強していて、我々の知らないことを話すこともあります。
ただ、決して否定的に見ているわけではありませんが、彼らも知識の統合が十分でないように感じます。物知りなんだけれど、どうしていいのかわからない。すぐ効く、すぐ役に立つ、限定されたところでの分かりやすい解決策を延々と求められる傾向があるように感じます。広がった知識は新しい不安と医療へのさらなる期待を生み出していくんですが…
科学はますます専門的に深く掘り下げられていくでしょうけれど、もっと総合的というか、統合的な、人とは…とか、生きるとはなんたるかとか、今すぐは何にも役に立たないかもしれないけれど、人生でとても大切な知識をもっとみんな重要視しても良いんじゃないかなと思うばかりです。
年老いた親などの治療方針を決めるカンファレンスの場では、そのために帰省してきた息子たちの言動を観ていると、心の中で「違う、多分そうじゃない….」と呟いてしまうことが少なくありません…
>「人間排除」と「人間中心」
「人間」と言ってしまうと、おそらくかなり幅広いものを指すはずで、自分にはこの表現はしっくりこなかったのですが、心理学をサイエンスたらしめんと努力した経緯の自分が想像するに、言わんとすることはおそらく、「モノ」「コト」の違いかなと、想像いたしました。
つまりモノの追求が自然科学、ということで、日本ではほぼイコール理系だと。
#もっとも、自分は統計は文学、数学もきっと、
#純粋さで人類最高な文学だと思っておりますが。。
ただ、人はモノであり、かつ、コトをなす、なので、どちらの対象でもあり、どちらかだけでは捕まえにくい(表記しにくい)という本質的問題がある点は重大だと思っています。
>その全体像を捉えることはそもそも容易ではなく、
>「教養が大事です」で済む問題でもなくなっています。
>だから、隠岐氏も書いていますが、「諸学の総合」が
>何度も唱えられたものの全く成功していません。
さて、それを難しくしているのは、膨大だからでしょうか?
人は概念の高さを調節可能で、もしも膨大煩雑ならば、それを区分してかたまりに分けて、それぞれにラベルして把握する方法をいくらでもできる存在なはずです。それを停滞させているのは、単に「膨大」という理由だとは考えにくいと思います。
人の認知は常にコスト最小で動きます。
自分はときどき電車を乗り間違えますが、それは路線図をみるか空想して、駅と駅と経路をアルゴリズムで解決するのではなく、「この電車は○○行、目的地と関係ないから、反対ホームの電車」と、よく確認せず乗っちゃいます。そして、乗ってから考える。
書くとバカみたいですが、人は意外と、そんな処理が多いはずです。ざっくり区分です。しかもその区分にラベルをつけるのは、後付けです。
なぜ「総合知」が興隆しないのか。
学ぼうとする立場の側面にたてば、それは、その知が、なにをもっとも省コストで解決できるか、見えてこない、感じられないから、ではないでしょうか。
また、学問を作り維持する立場の人によれば、専門的追求こそ己の業績が具体化でき、差別化でき、職業人としての学者の社会的立場が実現できて、学問を継続できる。いや、それでしか継続できないから、ではないでしょうか。
なので、よっぽど偏屈な、総合的見地を踏まえてやっと問題にアクセスすることができるかもしれないようなバーバリアンな学問でないかぎり、諸学の統合して初めて我が意を実現させるなんて苦労は、誰にも生まれてこないのだとと思います。
ただし、分化した諸科学が行き詰まる今だからこそ、このような話題が出始めたのかもしれないとも思います。
いやその前に、日本の政治、いや社会問題の指針の貧しさの解決のためにでも、諸学統合の努力がなされ実を結べば、それは他文化に対するアドバンテージでもあります。
デフレ脱却と連続して為されるべきかと思いました。