11月も半ばを過ぎ、エディンバラはすっかり冬になってきました。朝晩は氷点下まで冷え込むこともしばしばです。今はだいたい16時ごろには日の入りで、16時半を過ぎると、もうあたりは真っ暗です。
ただでさえ雨や曇りがちなので、太陽が恋しい今日この頃です。こんなに寒いなかでも、少しでも晴れれば、カフェのオープンテラスでコーヒーを飲んでいる人が結構いるのですが、気持ちがよくわかります(私は寒がりなので無理ですが・・・)。
そろそろ街は本格的なクリスマスの装いになります。エディンバラのメインストリートであるプリンセス・ストリート脇のプリセンス・ストリート・ガーデンでは、先週末からクリスマスマーケットがはじまりました。
そして、英国におけるクリスマス前の最後のイベントが「リメンバランス・デー」です。
今回はその「リメンバランス・デー」について紹介し(ご存知の方も多いでしょうが)、それについての雑感を若干述べたいと思います。
10月末頃から、英国ではいたるところで赤いポピーの花を目にします。エディンバラでも、通りすぎる人のほとんどが胸にポピーのブローチをつけ、街角やショップの店頭にはポピーの柄のついた募金箱が目につきます。街中を走るタクシーやトラム、バスもポピーを付けて走ります。街の中心にあるスコット記念塔(Scott Monument)に隣接するガーデンには、ポピーの造花のついた十字架がいくつも捧げられていました。
英国では、11月11日は「戦没兵士追悼記念日」(Remembrance Day)であると定められていまして、毎年、この日に最も近い日曜日を「リメンバランス・サンデー」として、左襟にポピーの造花を着けたエリザベス女王をはじめ、すべての王族や歴代首相などの政府要人、国教会主教などの角界指導者が一堂に会し、英国の中枢であるロンドンのホワイトホールにある無名戦士の碑(the Cenotaph)にポピーの花輪を捧げるのです。
今年は11月10日がその日でしたが、当日の11時には、英国全土で2分間の黙とうが行われました。
エディンバラでは、ニコラ・スタージョン首相が、セント・ジャイルズ教会にあるリメンバランスの石碑にポピーの花輪を捧げている姿が紙面を飾っていました。
この「11月11日」という日付は、英国で(というよりもヨーロッパにおいて)、大変重要な意味を持ちます。というのも、その日は、第一次世界大戦の休戦協定が発効した日なのです。
というと、われわれ日本人からすると、あまりピンとこないかもしれません。たとえば世界史の授業などで、「20世紀入って、人類は2度の世界大戦を経験した」などと習うと思いますが、我が国ではどちらかといえば、第二次世界大戦(1939~1945)のほうが、第一次世界大戦(1914~1918)よりも重視されるのではないかと思います(ある意味では、当たり前と言えば当たり前ですが)。
しかし、ヨーロッパにおいては必ずしもそうではありません。
史上初の「総力戦」(total war)であった第一次大戦ですが、その舞台はほとんどヨーロッパだったのであり、たとえば、英国(英連邦を含む)における死者は、実のところ第二次大戦(約37万人)よりも第一次大戦(約91万人)のほうがはるかに多いのです。
したがって、第一次大戦の休戦協定が発効した11月11日を「戦没兵士追悼記念日」としていますが、これは第一次大戦における死者のみならず、第二次大戦などにおける死者をも含むものなのです。
また、この戦没者追悼の象徴がポピーであることにも由来があります。それは、第一次大戦のさなかに、ジョン・マクレーというカナダ人軍医が書いた「フランダースの野に」(In Flanders Fields)という詩にあります。
現在のベルギーのフランドル地方は、第一次大戦における激戦地の1つでした。ポピーの花の種というのは、80年ほど芽吹かなくても休眠できるそうで、その休眠中に何らかの危機が訪れた際にはそれを機に活性化するようです。それゆえ、塹壕戦によって掘り返されたことによって、たくさんのポピーがフランドルの野原に一気に芽吹いたようです。マクレーは軍医としてその地で散った友人の遺骸を拾い集めながら、一面に咲くポピーを見て、その詩を書いたということです。
このことにちなみ、ポピーの花が戦死者追悼の象徴として使われるようになり、英国では、The Royal British Legionという退役軍人や英国軍の家族を支援する団体が主になって募金活動(ポピー・アピール)を行い、募金と引き換えに赤いポピーの造花が手渡されます。ただ、英国国内では、実はポピーの形状が若干異なります。イングランド、ウェールズ、北アイルルランドでは2枚の花びら(と1枚の葉がついている場合もある)のポピーの造花が使われますが、スコットランドでは、4枚の花びらのあるポピーの造花が使われます。
さて、この英国全土で行われる大規模な戦没者の追悼イベントですが、それに対して拒否反応を示す人たちもいないわけではありません。
祖国のために亡くなった人を追悼することが、ナショナリティを再確認し、ナショナリズムを強化することにつながることは否めません。そしてそれは、愛国心を執拗に煽ることであったり、ややもすれば、追悼を拒む者に対する攻撃につながったりもします。
多文化社会イギリスには、多様な背景を持った人々が多く存在します。そのなかには、英国軍が参加した戦争によって逆に同胞の命を奪われた人々も存在するわけです。たとえば北アイルランドにおいて、政府から厳しい弾圧をうけた人々はそうですし、アフガン戦争やイラク戦争に反対した人々もそうです。
私が知っているのは、プロサッカー選手でマンチェスター・ユナイテッドに所属するセルビア人MFのネマニャ・マティッチの話です。通常、この期間に英国で行われるサッカーの試合では、選手のユニフォームが、赤いポピーのあしらわれた特別仕様になります。しかし彼は、それを「個人的な選択」として拒んだのです。というのも、彼の故国は、紛争の際に、英国も参加したNATOによる空爆で多くの犠牲者を出したからです。
そういった人々は、赤いポピーではなく、平和の象徴として白いポピーを着用することもあるようです。
そうした動きなども受けて、近年の追悼行事は、たとえば多様な宗教指導者を招いたりするなど、多様な背景を有する人たちをできるかぎり包摂するような形で行われるようになってきているようです。
自国のために亡くなった人を弔うのは大変重要なことではありますが、戦争という「やった/やられた」の世界においては、犠牲者はまた加害者である場合もありえます。そうしたなかで、どのようにして犠牲者を追悼すべきなのか。我が国でも靖国神社のことが取りざたされることが多くありますが、どこの国でもそれは試行錯誤の繰り返しなんだなと思い、非常に考えさせられました。
ただ、その追悼の日の数日後には、ポピーの十字架が捧げられていた場所がクリスマスマーケットに早変わりし、メリーゴーランドなどの遊具が設置されていたのにはちょっとコケてしまいました。。。
それでは、このあたりで。
Chi mi a-rithist thu!
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