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【小浜逸郎】国家官僚になったら、まず世間を学んで来い

From 小浜逸郎(評論家/国士舘大学客員教授) 

昔、教育論を手掛けていたころ、オーストラリアの大学進学について読んだことがありました。
日本では、大学に進学するほとんどの高校生が、ただちに入学試験に挑戦します。
ところがオーストラリアでは必ずしもそうではなく、1,2年はモラトリアム期間として自由に社会経験を積むケースが多いというのです。
何かの仕事に就くのもよし、諸国を漫遊するのもよし、自分のやりたい自由な研究や創作活動などに打ち込むのもよし……。
親もそのことを許容する雰囲気があるそうです。
筆者はこれを知った時、それはうらやましい! と思いました。

先日、オーストラリア経験が長い日本の知人にこれについて話してみたら、それは日本の教育にない、いいところだと言っていました。
この年齢は、活力にあふれ、さまざまな興味関心に目覚め、世間を味わってみたいと願い、異性関係を充実させたいと思う年齢です。
窮屈な受験勉強などに押し込めるのは、あまりよいことではありません。
筆者がこの稿で本当に言いたいことはその先にあるのですが、いずれにせよ、かけがえのない青春期、子どもたちに、それぞれの関心に見合った自由で多様な経験をさせることはとても大切なことと思われます。

日本では、義務教育と高校教育を終えると、なぜ一直線に進学→卒業→就職というコースをたどる青少年が大部分を占めるのでしょうか。
これは制度上の問題ではありません
やろうと思えば高卒後、しばらく社会経験を積んで、やはり大学を出ておこうと思い立った時点で、勉強に精を出せばできるはずですから。
半世紀も前、筆者の知人で、現にそういうふうにして自分のやりたいことを見つけ、芸大に進んだ人がいました。
最近でも、大学で哲学を学んでから某一流メーカーに二、三年就職し、やはりもう一度哲学を学び直そうと大学院に進んだ人がいました。
若いときは、事情の許す限り、あれこれ選び、いろんなことに手を出して、あちこちふらふらしたくなるのが当然です。
そういうことは、もうずっと前から制度的には可能なのです。

ところで、小さいころから秀才の誉れ高く、有名進学校を出て東大に入り、好成績を修め、国家公務員試験に合格して、そのまま財務省などの官庁に務めて出世していく、あるいは、経済学、法学など、人文系の専門学を学び、アメリカの一流大学に留学し、帰国して学者の道を目指す。
こういうコースを一直線に選んだ人たち(誰とはあえて言いませんが)の中には、世間一般の常識とか、庶民の心とか、貧しい人たちの生活実態といったものに対する想像力が著しく欠けている人がしばしば見受けられます。
彼ら「エリート」は、何やら難しい理論(時としてまるで現実と合わない間違った理論)を身につけているかもしれませんが、私たち国民の普通の暮らしを豊かにしたり、安寧を保証するにはどうすればいいか、という発想がまったくないようです。
それこそが、そもそもエリートたる者の本来の役割であるにもかかわらず。

しかし、本当に公共心の持ち合わせがあれば、多少自分とは違った世界に住む人たちに対して想像力を馳せることはできるはずです。
ところが、日本の「直線コース」志向の圧力はものすごく、そういう想像力を働かせる余地そのものも奪ってしまうようです。
いまの日本の経済状態、国民の貧困状態、若者の将来不安がどんなにひどいことになっているか、ちょっと数字を見ただけで誰でもわかるのに、彼らはひどい視野狭窄に陥っていて、そういうところに目が向かないようです。

なぜこういうことになるのか。
これには、明治以来の後進近代国家の悲しい後遺症がいまだに響いているように思います。
「末は博士か大臣か」
「ねえねえ、ハーバード大学出たんだって。すごくない?」
「お偉いさんたちが言ったりやったりしてるんだから、何か考えがあってのことだろう」
こんなふうな空気がまだ支配しているようでは、日本はほんとうの意味で近代民主主義国家とは言えません。
日本は欧米並みの近代国家になることを急いだために(それ自体は必要なことでしたが)、文系学問の各部門が縦割りで発展して、それぞれの間に有機的な連係プレーが成立していません。
分業体制は作ったものの、協業体制ができていないのですね。
だから、どの分野にも専門家がそろってはいるのですが、それらの知見を総合して、全体としてそれらが何を意味するかを考えるジェネラリストが非常に少ないのです。
個々の部品は優秀でも、それを組み立てて優れた自動車を作ることができないようなものです。
部品は車が走る現実の複雑な状況など知りませんから。
いまの日本では、そういう貧弱な状態に乗じて、声のデカい連中が知ったかぶりや権力行使をほしいままにしています。
そしてその結果、こんな貧困大国になってしまいました。

空気の支配と言いました。
そう、これは、言われなく「上」を仰ごうとする空気の支配なのです。
この空気は、大多数の人々の周辺に漂っています。
高校を終了したら、間髪を入れず、できるだけいい大学へ、大学を卒業したら、すぐにもできるだけいい就職先へ……こうした直線コースを当然のこととして疑わない人々がほとんどです。
このゆとりのない人生イメージに最も囚われている人々は誰でしょう。
ほかならぬ子どもたちの親であります。

ちなみに筆者自身も、自分の子どもたちを大学に入れるまでは、そういう直線コースにあまり疑いを持っていませんでした。
日本的な枠組み通りに、普通に進んでくれればいいと思っていたのです。
ところが大学入学後は、子どもたちが勝手に紆余曲折の道をたどるので、もう、勝手にせい、となってしまったわけです。

さて、一部のエリート官僚や学者の想像力の欠落の再生産に一役も二役も買っている日本の「直線コース」志向の圧力を少しでも減圧するにはどうすればいいでしょうか。
親が子どもに託す上昇志向欲そのものは、まずなくならないでしょう。
またそれ自体は一概に悪いと決めつけるわけにもいきません。
自分の子どもが立派になってほしいと願うのが人情というもので、その人情を自分の属する文化圏や時代のなかで満たしていくほかに方法がないからです。

問題は、外見は立派なキャリアを経てきながら、かえってそのことのためにとんでもなく間違った認識や行動を平気で取る「エリート愚民」たちを、どうすれば増産しないで済むか、ということです。
だいぶ以前、どこかに書いたことなのですが、一つ提案をしたいと思います。
これは、ことにエリート官僚候補生について適用すべき提案です。
国家公務員試験に合格して、省庁への採用が決まった時点で、すぐに入省させずに、二年から三年、社会経験の期間を義務付けるのです。
一種のインターン制度ですね。
この社会経験は、一流企業への出向といったたぐいのものではなく、たとえば町工場の作業員、ファミレスやコンビニ店員、小売店員、零細企業の事務職員、電気ガス水道工事屋、看護助手、介護施設職員、保育所職員、建設現場の作業員、レジャーランドの職員、掃除婦、大型免許や二種免許を持っているならトラックやタクシーの運転手、その他、さまざまなNPO職員等々。
要するに、この社会で縁の下の力持ちを果たしているような職業に就かせて、そこでの仕事のきつさや人間関係の厳しさを学ばせます。
もちろん一つに限ることはないので、期間中にいくつかの職に就くことを選ばせてもいいでしょう。
ただし、あまり自由選択肢を増やさず、いくつかに限定します。
彼らは20代で活力にあふれ、壮健な体と柔軟な頭脳とみずみずしい適応力とを具えています。
この早い時期に、脚光を浴びることのないこれらの職業に就くことを通じて、庶民の心、世間常識、下積みの人々がどういう生活意識で生きているかを骨身に沁み込ませることができると思います。

筆者は思うのですが、このインターン期間を終えた上で、本務である官僚の仕事に就かせれば、必ず経験が活きてくるでしょう。
省庁内部での自由な発言も増すでしょうし、これまでの路線に唯々諾々と従うだけでなく、発想も豊かになる可能性があります。
旧態依然たる組織形態や体質を、内部からもっと開かれたものに改善してゆく原動力にもなるでしょう。

この提案は、上司に対しても厳しさが求められる提案です。
上司は、これまでの既定路線をひとまず脇において、若き官僚候補生の言葉や雰囲気を寛容に受け止め、狭いセクト主義を克服しなくてはなりません。
机上で「PBを黒字化しなければ!」などとカルト的教義にいつまでも固執して国民殺しを続けている現在の財務省も、少しは変わるのではないでしょうか。


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コメント

  1. Ability2Think より:

    現状においては、官僚に限らず政治家や学者の多くが本稿でいう「エリート愚民」なわけで、本来そういった職業に就くべき精神的貴族性を持ち合わせている青少年たちは、その現状を見てその道に進もうとはあまり思わないのではないでしょうか。
    こんな下らない大人たちがエリートと言われて良い暮らしをしている一方で、真面目に慎ましく生活してる人が貧困に喘いでいる現状を見れば、真っ当な精神を持っている青少年ほどグレていかざるを得ないでしょう。
    実際に私が十代の頃に感じていたことは、進学校で所謂エリート路線を目指しているような連中は、一部の世界(受験勉強)にしか興味がなく、現実社会の底辺から上流に至る広い世界を知ろうともせず、人間味に欠ける気持ち悪い奴らだなということでした。
    一方で、学校を辞めて社会の底辺や裏側にいるような連中は、確かに問題のある人間が多いですが、社交性や活力、それから自信や誇りを持った人間も多かったように思います。
    グレるという話は些か極端にしても、やはり真っ当な人間で現状のエリート路線に進もうと思う人はあまりいないのではないかと。
    ですから、本稿において提案されている入省前のインターン制度が、人間性の本質をどれほど変革させる効果があるものか、気になるところです。
    もちろん、これによって得られる経験は少なからずあると思うので、意味のないものとは思いません。
    願わくば、藤井編集長のような本物のエリートが今の青少年達の見本となり、将来、真っ当な人間が日本を背負うようになれば良いなと。

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