【川端祐一郎】コロナ禍の商店街――老舗は大手資本よりも強靭だった?

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

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写真:大阪黒門市場の某ドラッグストア跡

先月から今月にかけて、大阪と京都で、市場や商店街で店舗を経営している方々にインタビューをしています。コロナ自粛の影響や、ここ数年の観光バブルの影響などについて伺っているのですが、いろいろ興味深いことがわかってきました。

まず「観光公害」と言われる現象について整理しておきたいのですが、この言葉自体は1960年代から存在し、当時は富士山に放置されるゴミなど、国内の旅行地の混雑を原因とする問題でした。さらに遡ると、「観光公害」という言葉自体は存在しなかったものの、江戸時代にも富士山への登山者が急激に増えすぎて、現地の水や薪が不足するという現象があったそうです。

ただ近年になって観光公害問題が再燃しているのは確かで、その一つのきっかけは6年ぐらい前に話題になった「違法民泊」でした。法的にグレー(もしくはブラック)なままアパートの空室を外国人旅行客に格安で貸し出す業者が増加し、「深夜や早朝にスーツケースを引きずって歩いていてうるさい」「大人数でどんちゃん騒ぎをしている」「住民の家に間違えて入ってくる」といったトラブルが増えたのです。

ヨーロッパでも、不動産は観光公害(オーバーツーリズム)問題の中心です。たとえば、国外の資本家が観光地の不動産事業に投資し、賃貸アパートなどの家賃を大幅に引き上げて住民を追い出し、ホテルや民泊など観光客向けの宿泊施設に衣替えをして営業するような例があるそうです。そのほうが儲かるという話ですが、ひどい場合には住民を追い出した建物を確保しておいて、宿泊事業を営むわけでもなく転売で稼ぐというケースもあるとかいないとか。典型的なバブル現象ですね。
その結果、地域住民の「住む権利」が侵害されているということで、ヴェネツィアやバルセロナでは「反観光デモ」が行われたりもしたわけです。

日本で観光公害というと、「外国人観光客が騒いでいてうるさい」「ゴミを放置している」「舞妓さんに迷惑をかけている」「店舗や交通の案内表示が外国語だらけになって日本人にとって不便になった」といった問題として語られることが多いですが、単なる「外国人旅行客への嫌悪感」の問題と捉えてしまうと、議論が狭まってしまう恐れがあります。

街中に外国人旅行客が増えすぎて、地元住民が不快な思いをするということ自体は、世界共通に起きている現象であり、かつては日本人旅行客がヨーロッパなどで邪魔者扱いされたこともありました。だから、ナショナリズムと観光公害に密接な関係があることは確かなのですが、今起きているのはどちらかといえば、大企業や金融資本の横暴の問題ではないかと思えるのです。

ちょっと余談になりますが、大学の授業で留学生たちに観光公害についてのレポートを出してもらったところ、ある中国人の学生がこんな趣旨のことを書いていました。

「私は高校生の頃に日本に遊びに来たことがあり、そのときは中国人旅行者に対する日本人の視線が冷たいことを残念に思った。しかし留学生として日本に1年ほど住んでみると、中国人である自分から見ても、中国人の団体旅行客が多すぎて迷惑だと感じる。京都はもっと静かな街であってほしい」

また、私がインタビューした経営者の中には、「外国人のほうがむしろマナーはいい。街にゴミを撒き散らしているのは日本人の酔っぱらいだ」と語る人もいました。数年前に、同じような趣旨で、沖縄のラーメン屋が「日本人お断り」を掲げて話題になったこともありましたね。要するに観光公害は、「ナショナリズムと排外主義」の問題とはズレた面が結構あるわけです。

さて話を戻しますが、みなさんご認識のとおり、コロナの影響で観光問題の前提は大きく変わってしまいました。今「観光公害」を論ずるのは、時期外れであるようにも思えますね。ただ、コロナ自粛の影響についてインタビューして回っている中でも、観光バブルにまつわる「資本の横暴」を思わせるエピソードがありました。

ここ数年、観光地を中心に、ドラッグストアがやたらと増加しましたよね。あれは中国等から来る旅行者が、日本の高品質な医薬品、衛生用品、化粧品を買い込んで帰るという需要があるからです。
それで出店の勢いが最も激しかった頃、大手ドラッグストア企業の店舗開拓担当者には会社から、「家賃はいくらでも構わないからとにかく売り場を確保しろ。しばらく売上がなくても構わん」という指示が出るほどだったそうです。観光客は増え続けているので、費用がかさんでも元は取れるという算段だったのでしょう。実際、店舗の家賃は何倍にも跳ね上がっていきました。

そんな状況が数年続くと、いわゆる「老舗」の中にも、後継者問題で悩んでいることもあって、店舗自体を売却したり、店じまいをして不動産屋を通じてドラッグストアに貸すという決断をするところが出てきます。ちなみにドラッグストア以外にも、歴史のある市場や商店街のブランドを利用して観光客向けのビジネスで儲けようと、放漫な投資による飲食店や土産物屋の出店が相次いだようです。自由な取引を重んじる立場からすればそれで良いのかも知れませんが、他でもないこのコロナ禍において、問題が噴出してきました。

つい昨年まで「混雑」が問題になるほど賑わっていた歴史のある商店街でも、コロナ後はシャッターの閉じている店舗が目立っています。で、どういう店がまっ先に撤退したのかというと、それは慎ましい経営を続けてきた老舗の商店ではなく、観光需要をあてにして派手な投資を行ってきた大企業の店舗です。彼らは観光ビジネスがバブル化する中で法外に高い家賃を払っており、従業員も積極的に雇用していたのですが、そういう店舗が自粛のショックで瞬時に潰れていきました。

一方、老舗の商店は、店舗は持ち家だから家賃の支払いは無いし、従業員も家族経営でやっているので、すぐに潰れることはありませんでした。緊急事態宣言下でも、老舗は地域のお客さんの求めに応じて営業をほそぼそと続けていたのですが、大手の新興店舗にそのような余裕はなかったようです。(ただ、これはあくまである程度力のある老舗の話で、本当の零細事業者やはり厳しかったようですし、コロナ禍が長期化すれば今生き延びている老舗もさすがに傾くので、安泰というわけではありません。)

もちろん、経営の体力そのものは、バブル期に稼げるだけ稼いで雲行きが怪しくなったらすぐ撤退する大手資本のほうが、依然として大きいのだろうと思います。しかし「サービスの持続性」という点で脆弱極まりないのです。それに、バブル的需要に押し出されて伝統的稼業の店舗がなくなり、バブルが弾けた後にはシャッターの閉じた空き家だけが残されるわけですから、地域にとっては大迷惑ですね。むしろ、持ち家と家族経営によって堅実に営業し続ける店舗のほうが、ある意味では強靭な商売をしていると言えるわけです。

私は、ハゲタカのように街を荒らして去っていく巨大資本ではなく、地域に長く貢献する堅実な商売が生き残るような経済・社会であってほしいと思います。ただ、「資本の横暴」とは言いましたが、政商めいた投資家の悪巧みを指弾するというよりもその前に、資本主義や市場経済はそもそも放置すればこうなってしまうものだと認識することがまず重要でしょう。事前に適度な規制をかけて、地域経済を「計画」し続けることが必要なんですよね。

いま、現場の優秀な経営者たちの中には、観光バブルへの依存がもたらした弊害を振り返って、「本来あるべき姿の商店街」を再興すべく中長期の計画を練り直すような動きも出てきているようです。最近になって、条例を適用して不動産屋と商店街の間で出店方針に関する事前協議を行うようになったところもある。中には、「こう言っては失礼だが、コロナのおかげで地域にとって不要な店が先に潰れ、本当に必要な店が残ってきているので良かった」と語る経営者もおられました。

詳しいことはまだ研究室で精査中ですし、現時点で生き残っている事業者にしか話を聞いていないので情報が偏っているかも知れず、これらはあくまでも暫定的な印象です。ただいずれにしても、どうやらコロナ禍の経済ショックには、「自粛でお店が潰れて大変だ」という以上に語るべきことが色々ありそうですね。

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コメント

  1. 大和魂 より:

    特段に大阪に於けるドラッグストアの存在の仕方は格別に異常で、まさに狂っている状況かと思います。それで背後には間違いなく国際社会に蔓延るハゲタカファンドが意図的に操作していると認識でき、事大主義的な唯物論を展開し支配体制を強化しながら大衆に黙認させる公算だと思うところです。なぜなら日本では宗教が全く通じない側面があるからです。その一方で私から見れば川端先生の地元の交通局の関係者は、このコロナ禍により、ある意味多少は正常な日常を送られているものと想像しておりますが、いかがでしょうか?。そしてそこもやはり歴史から紐解くと山県有朋の旧邸などが存在している地域でもあり、さまざまにその背景が存在していますから、色々とかなり複雑な心境で捉えているところです。その真意は、山県有朋と言えば山城屋とか、その背景にかなり問題がありますから、結局は歴史教科書に問題があるわけですね。だから中野先生も小林秀雄も歴史を観る眼を強調されているのです。ちなみにそれが目指すところは中身の問題であり、敢えて勝ち馬に乗るよりも遙かに日本社会全体の強靭化につながると考えているからです。

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