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【川端祐一郎】ロシアの「秩序観」を想像する──亀山郁夫氏特別インタビュー

川端 祐一郎(京都大学大学院准教授)

 もう半年が過ぎてしまいましたが、今年の2月にあさま山荘事件から50年目ということで、

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二監督)
『突入せよ 「あさま山荘」事件』(原田眞人監督)

という2つの映画を久しぶりに観なおしました。前者は山岳ベースでのリンチ事件を経てあさま山荘に立てこもる学生運動家たちの視点、後者はあさま山荘を包囲し人質を救出する警察の視点から、それぞれ事実を辿ったものですが、私自身は犯人側の心情にばかり関心があって、後者の『突入せよ』で英雄的に描かれる警察官にはどうも感情移入することができません。

 革命運動に対するシンパシーなど持っていないし、正義は圧倒的に警察側にあると分かっているのですが、気になるのはどうしても、山荘を攻め落とす警察官ではなく、立てこもる悪人側の心理なのです。擁護しようのない非道の泥沼に、運命に導かれるようにして飲み込まれていく学生テロリストたちの絶望的な姿は印象深く、『実録』の後半は何度も見返してしまいます。ちなみに私は、どういうわけか子供の頃から警察に追われる夢をよくみる人間なので(前世で泥棒か詐欺師でもやっていたのでしょう)、個人的な偏向もあることは断っておきますが。

※『実録』は厳しい予算不足の中で作られた作品で、最初の1時間は正直安っぽいニュース番組のような作りですが、山岳ベースでの軍事訓練を始めるあたりからの描写は見ごたえがあります。

 さて、同じ2月に始まったウクライナの戦争に関しても、似たような意味で、世界を敵に回しすっかり「悪の帝国」の地位に返り咲いたロシアの立場が気になっていました。開戦前、ロシア軍が10万とも15万ともいわれる兵力を国境付近に結集させつつあった頃は、「NATOがウクライナにまで拡大するなんて、そりゃロシアにとっては深刻な脅威だろうからねぇ」ぐらいに考えていたのですが、侵攻が始まると、少し見方を変えざるを得ませんでした。

 まず、いかにNATOの拡大方針が挑発的であったとはいえ、そして西側メディアの情報に偏りがあるとはいえ、ロシア軍によるウクライナ主要都市への破壊行為はさすがに過剰であり無法の極みです。私は軍事や戦史の専門家ではないので、どの程度なら適当かと訊かれても答えられませんが、素人目には、ロシア側にもあったかもしれない正当な言い分を軽く吹き飛ばしてしまう所業であるように見えます。この飛躍は我々日本人の感覚では理解しがたいもので、「プーチンの狂気」と呼んで済ます人が多いのも頷けるのですが、「なぜ狂気に陥ったのか」「なぜ他のタイプの狂気ではなくこの狂気なのか」という疑問は残ります。

 また、ロシアの国営メディアが誤って(先走って)配信した勝利宣言記事や、プーチンの演説・論文などを読んでいると、ロシア側の意図はNATOの脅威の排除という以前に、帝国的な地域統合が崩れることの阻止にこそあるように思えます。いくつか文献を当たればすぐに分かるのですが、どうもロシアの保守派にとってウクライナやベラルーシは自分たちの「身体の一部」のようなもので、NATOのミサイルがあろうが無かろうがロシアから離反することは許せないし、そもそもソ連崩壊の過程であっさり独立してしまったこと自体が問題だと考えているようなのです。

 もちろん、ソ連時代に国境を引き、ソ連崩壊とともにいったん独立を承認したのだから、いまさら「身体の一部だ」と言って力づくで呑み込むことを正当化する道理はありません。しかしともかく、ロシアの指導者たちの世界観がどうなっているのか、そしてそれはどのような歴史的背景を持ってるのかを考えてみないことには、今起きている事態を正確に理解することもできないし、その理解を欠いたままでは停戦合意を組み立てるのも難しいはずです。

 そういう問題意識から、昨日発売された『表現者クライテリオン』最新号では、ロシア文学者でありロシアの芸術運動やスターリン主義の研究にも長年取り組んでこられた亀山郁夫先生に、28ページに渡るロングインタビューを行っています。
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「ロシアの内在論理を問う――受動性と全一性、そして断絶の歴史」

と題するもので、

  • 独裁や悪の存在をも許してしまう民衆の「受動性」
  • 「一皮めくればタタール人」と言われる野蛮性
  • 「国境」をめぐる信頼関係が崩壊することへの恐怖感
  • 「全一性」と呼ばれる独特な共同体意識
  • カルト的「熱狂」を伴う「祝祭」的な政治文化
  • 「ナショナリズム」の存在を許さない多民族主義
  • 他者の「憎しみ」に対する鈍感さ
  • 成熟を知らず、二進法的な「断絶」を繰り返してきた歴史
  • 「成り行き任せ」の戦略と「あり合わせ」で生き延びるしぶとさ
  • 自らの短命すらものともしない「運命論」

 
……など様々な切り口で、ロシアという国の歴史的遺伝子がいかなるものであるかを詳しく考察していただいています。メイン特集の岸田政権論とは関係ありませんが、ぜひ熟読ください。

 梅棹忠夫が半世紀前に指摘したように、ユーラシア大陸の中央部では、(タタール人などの)騎馬民族が征服戦争と大移動をくり返し、数々の帝国が興っては滅び、滅びては興るという歴史を歩んできました。この地域で育まれた、カオスと専制が貼り合わせになったような苛烈な秩序観は、日本人のように長く安定した歴史をもつ民族にはなかなか想像しがたいものです。しかしこのギャップに向き合わない限り、戦争の解釈も、戦後の秩序の検討もできません。

 もっとも、日本がウクライナ地域の秩序づくりにおいて重要な役割を演じることはないでしょう。しかし恐らく今後、中国と周辺国の間で大きな危機が生じた際も、我々はある程度、彼らの歴史を貫く世界観や秩序観――それは日本よりもロシアのものに近い可能性があります――を考慮に入れながら対処する必要があります。その準備の意味でも、ウクライナの戦争をきっかけにロシア人のメンタリティを想像することには価値があるはずです。

表現者クライテリオン 2022年9月号(発売中)
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