今回は、『表現者クライテリオン』のバックナンバーを特別に公開いたします。
公開するのは、仁平千香子先生の新連載「移動の文学」です。
第二回目の連載タイトルは「記憶なき場所に故郷を探す」。その第二編をお届けします。
〇第一編
『表現者クライテリオン』では、毎号、様々な連載を掲載しています。
ご興味ありましたら、ぜひ最新号とあわせて、本誌を手に取ってみてください。
以下内容です。
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少年は幼い少女を傷つけてさえ罰を逃れられ、被害者の父親には励まされさえする。
それは自分が支配者側の人間であり(少年は日本人であり、警部補である父親を持つ)、「外国人」との間にある社会階層が、少年と彼らの間にある距離を縮めず、結果として少年は疎外されるのである。
少年の涙には、日本人だという理由で罰を逃れられてしまう情けなさと、その優位は表面的なもので、この土地において自分こそが「外部」なのだという事実に気づき、居場所を失った喪失感が示唆されている。
人は何かに自分を結びつけ、関連付けさせることで自分が何者かを認識し、自尊心や自己肯定感を養う。
前回の記事で述べ「wholeness and belonging(全体感と帰属感)」に繋がる部分であるが、帰属感を感じる対象は人間でも空間でも可能である。
ある場所への愛着によって帰属感を得る時、人は「場所アイデンティティ」を獲得する。ある場所に身を置いて時間を過ごし、地域と人間関係を結び、土地に根付いた自分の歴史を記憶に紡ぐことで、人はその場所への愛着を育てる。
そしていつしかそれは「故郷(ふるさと)」と呼ばれるものになる。場所との深い繋がりを通じて、人は物理的に、社会的に、情動的に土地との絆を育み、また自分が歴史(過去、先祖)に繋がっているという連続性の感覚を得る。
自分が「ここ」という交換不可能な場所にいる交換不可能な存在であることを肯定的に認識する。
引っ越しや災害などにより突然の転居を強いられる経験は、人々から場所アイデンティティを奪い、自己概念を揺るがす。また幼少期に転居を繰り返す子供にも複雑な影響を及ぼす。
場所への愛着が自己認識や自己肯定感に重要な役割を果たすのは、小林の作品を通しても明らかであろう。
外地生まれの日本人の子供たちは、生まれ故郷の言語や文化、習慣への同化を禁じられることで、当然として得られるはずの場所への愛着が不自然に妨げられる。
愛着を持つはずだった対象は「汚れた」ものとして関わりを制限され、朝鮮という「日本」に生まれ落ちながら、内部者であるという感覚を獲得できない。
生まれてから立ち続ける大地に根を張れない子供たちは、代わりに、写真や大人たちの語りを通してしか知らない日本という「故郷」に愛着を持つよう要求される。
しかし文化というものがその土地で過ごす時間の経過を通してのみ吸収されるものである以上、想像としての日本をふるさととして絆を結ぶことは不可能である。
日本人が朝鮮という「故郷」との絆を禁じられる一方で、それを実現しているのは朝鮮人である。朝鮮人として彼らは朝鮮語を解し、文化や習慣を実践し、土地に紡がれた先祖からの歴史を次世代に繋げる語り部である。
日本人にとってバイリンガルであることが下等民族の証である一方、朝鮮人にとってそれは外部(日本人の空間)への侵入を許す武器であると考えると、どちらが実質的な権力を持っているのかという疑問が起こるだろう。
ベネディクト・アンダーソンによると、オランダ人はかつて植民地の現地人を、彼らの移動できない劣位を強調するために「インランダー」と呼んだという。
そこには可動性の優位を信じ、静止性の劣位を信じたオランダ人の「幻想」がある。一つの場所に繋ぎ止められている「インランダー」に発展はないと考えたのだ。
小林の少年はこれをどう捉えたのだろうか。可動性の優位を実感しただろうか。
対照的に、可動性を利用する存在としてのトルコ人は複言語話者として登場する。父親は日本語も朝鮮語も解する人物として登場し、少年を驚かせる。
彼らもまた日本人と同様、朝鮮にとっての闖入者であるが、言語の習得を通して住民と繋がり、土地に根を張ろうとする。
またその娘の朝鮮語の習得を肯定していることから、子供の居場所作りとして言語の重要性を理解しているとも解釈できる。
朝鮮で生まれた少女が朝鮮語を話すのは自然な流れではあるが、日本人の子供との対比により、後者に言語習得が禁じられた環境の不自然さが際立つ。
憧れの少女が朝鮮語しか解さないことは、少年の世界観を支えていた常識や基準を揺さぶる。そして彼女に近づくために絞り出す朝鮮語は、自らの能力不足を露呈し、それまで信じてきた基準という地盤の脆弱さに気づかせる。
その事実を受け止められない少年は、暴力という形で解消しようとし銃を手にする。信じていた力関係が通用しない空間が朝鮮にあること(それが特に憧れの西洋館であったこと)の認識によって少年の暴力が作動することを考慮すれば、力関係の逆転による自信の喪失から目を背ける防御行為として、暴力が発動されたと解釈できる。
言い換えれば、暴力への依拠が少年の(または日本人の)根本的な立場の危うさを物語っている。
内地への引揚げは、外地生まれの日本人にとっては「帰国」というよりは「移動」であり、彼らは疎外感を感じ続ける。
実際に目にする日本という「故郷」が想像と大きく違っていたという話は、多くの引揚者によって語られるところである。
彼らはその新しい土地に根付こうと試みるも、食糧危機にある戦後日本において彼らは余計者でしかなく、また外地で共通した「標準語」しか話さない彼らは、移住先で土地のことばを話さないという理由で言語的な差別も経験する。
外地生まれの子供たちはこのように朝鮮においても日本においても場所との絆の構築を否定される運命にあり、帰属感の欠如は彼らのその後の人生に長く影響を与える。
小林の作品を含む多くの引揚げ文学と呼ばれる作品は、日本の帝国支配への批判として読まれる傾向が強い。確かにそれを意図していると自ら発言する作家もいるため、その視点は無視できない。
一方で、彼らが経験した稀有な「故郷」との関係は、グローバル化が進めてきた移動の自由がもたらす副作用を顧みるのに重要な視点を提供している。
二世の子供たちが朝鮮と日本で経験した疎外感、部外者感、愛着の欠如は彼らの精神の安定や自己肯定感に影響を与え、
この事実は、いかに場所、そしてその言語、文化、習慣との関わりが人間の精神の成長と成熟に不可欠であるかを裏付ける。
また馴染んだ土地を離れるという行為が与える影響も甚大である。
個人は単体で自律可能であるとする新自由主義の考えは、人間が自尊心や自己肯定感を構築する過程を無視している。帰属感がアイデンティティ形成には不可欠であり、それを媒介するのは土地や共同体や歴史である。
小林が描いた少年の基準が揺さぶられる体験と、それによる暴力への依拠は、外地で生まれ内地で戦後を生きた小林自身の人生も象徴する。
「故郷」と常に絶対的に縮められない距離を強いられてきた外地育ちの困難は、人間が生きるに欠かせない帰属感の役割と、帰属感の獲得に要する「根付く」という意味について現代人に問うものがあるだろう。
〈参照〉
アンダーソン、ベネディクト『想像の共同体』書籍工房早山、二〇〇七年
小林勝「フォード・一九二七年」『小林勝作品集1』白川書院、一九七五年
Scannell, Leila & Robert Gifford. Defining Place Attachment: A Tripartite Organizing Framework.
Journal of Environmental Psychology 30(1) :1-10, 2010.
(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)
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