私たちは何の「平等」を目指すべきなのか?―男女格差で日本が125位―
藤原昌樹
−ジェンダーギャップレポートの評価(日本146カ国中125位)は果たして正当なものといえるのか。インドの開発経済学者アマルティア・センが提唱する概念「ケイパビリティ」を糸口に原理的に検討する。
男女格差社会ニッポン
スイスのシンクタンクである世界経済フォーラム(WEF)が6月21日に発表した2023年版「ジェンダーギャップ・レポート(男女格差報告)」で、日本は調査対象の146カ国中125位となり、前回の2022年の116位から9つも順位を下げ、過去最低だった2019年の121位をも下回る結果となりました。先進7か国(G7)では79位のイタリアに大きく引き離され、東アジア・太平洋地域でも最下位であり、日本より下位に位置するのは、イランやアフガニスタンといったイスラム教徒が多く女性の社会進出に消極的な国、あるいは政情不安が常態化している国だけとなっています。
「ジェンダーギャップ・レポート」は2006年から公表されており、「経済」「教育」「医療へのアクセス」「政治参加」の4つの分野で男女間の格差について調査分析しています。「賃金」「教育環境」「健康寿命」「閣僚の人数」などについて男女の差を比べ、男女平等の達成率を数値化して「男性100%」とした場合の女性の比率を示しており、数値が小さいほどジェンダー・ギャップが大きいということになります。
男女が平等な状態を100%とした場合、世界全体の達成率は68.4%で前年から0.3ポイント改善しており、女性の労働参加などが鈍ったコロナ禍で悪化していた達成率はコロナ禍以前の水準まで回復しましたが、現在の是正ペースでは、平等の実現には131年かかるとの試算が明らかにされています。
日本の達成率は64.7%で、分野別では、議員や閣僚に女性が少ない政治分野で世界138位、収入や企業の役員・管理職の割合での平等化が進んでいない経済分野でも世界123位となっており、G7各国の指数の経年変化を見てみると、WEFがレポートを公表し始めた2006年当時は日本とほぼ同じ水準であったフランスやイタリアが右肩上がりに改善している一方で、政治と経済の遅れが足かせとなって世界の潮流から取り残された日本の低迷ぶりが際立っています。
「ジェンダー・ギャップ(男女格差)」で125位という過去最低の順位を記録したことを受けて、新聞各紙では、「新しい資本主義」で「女性版骨太の方針」を示して女性活躍推進を掲げているにもかかわらず、具体的な実効性のある対策に踏み込もうとしない岸田政権に対して「政権の本気度が問われる」「政権与党の責任が大きい」として男女格差解消に向けた政府の取り組みの弱さを批判的に論じています。
「ジェンダー·ギャップ解消=望ましい社会の実現」ではない
「女性に対する不当な差別や不平等」を解消すべきであることについては疑いの余地がないことだと思われますが、「ジェンダー・ギャップが解消されること」が、必ずしも「(男女問わず)人々にとって望ましい社会が実現すること」とイコールであるとは限りません。
WEFが「ジェンダーギャップ・レポート」を発表するのに先立ち、上智大学の三浦まり教授らで作る「地域からジェンダー平等研究会」は3月8日の「国際女性デー」に合わせて各地域の男女平等度を「政治」「行政」「教育」「経済」の4分野で分析した2023年の「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」を公表しています(「あなたの地域の男女平等度合いは? 都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」)。
この「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」の公表は2022年に続き2回目であり、内閣府などの統計から4分野の計30指標を選んでWEFの「ジェンダー・ギャップ指数」とほぼ同様の手法で統計処理がなされています。
「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」の経済分野の分析で、2年連続で男女格差が最も小さかったのが沖縄県であり、「社長数の男女比」と「非正規などフルタイム以外の仕事に従事する男女間の賃金格差」の指標で最も格差が小さいという結果が得られています。
しかしながら、沖縄県では1972年の本土復帰以降に「本土との格差是正」や「自立的発展の基礎条件の整備」といった目標を掲げて「沖縄振興開発計画」をはじめとする様々な経済振興策を実施してきた結果、1人当たり県民所得水準は増加傾向で推移してきてはいるものの、現在においても国民1人当たりの所得水準の7割強にとどまっており、都道府県別のランキングで最下位(47位)を脱することが実現できておりません。
他の都道府県と比較して沖縄県の経済分野における「ジェンダー・ギャップ」が小さいのは、「女性が収入の高い男性と同等に稼ぐことができている」という訳ではなく、地域別の最低賃金水準が低い沖縄県で「男性の賃金水準が相対的に低いために女性との賃金格差が小さくなっている」ということでしかありません。すなわち、沖縄県では「男女が等しく豊かになった」結果として「ジェンダー・ギャップ」が縮小しているのではなく、「男女が等しく貧しさから脱け出ることができていない」現実が「ジェンダー・ギャップ」の小さな値として表れていると言うことができるのです。
前述したように、今回の「日本の『ジェンダー・ギャップ』が125位」という結果に対して、新聞各紙をはじめとするマスメディアでは、岸田政権に対して我が国の「ジェンダー・ギャップ」の解消に向けた積極的な取り組みを求めていますが、現在のように岸田政権がプライマリーバランス規律を重視して緊縮財政政策を推進し、消費税増税を目論んでデフレ脱却という喫緊の課題を等閑視してしまえば、「(男女問わず)国民全てが貧しくなる」という望ましくない形で、我が国が「ジェンダー・ギャップの解消」を実現するということになりかねません。
私たちは何の「平等」を目指すべきなのか?
-アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチ-
1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、その著書『不平等の再検討 潜在能力と自由』(原題:INEQUALITY REEXAMINED)の冒頭で「平等についての分析や評価の中心にある問題は『何の平等か』である」と述べており、その重要性について下記のように論じています。
「何の平等か」という問いの重要性は、現実の人間の多様性から生じているのであり、1つの変数を基準にして平等を求めることは、単に理論上だけでなく現実的にも他の変数における平等の要求と衝突することが多い。わたしたちは、外的な状況(例えば、資産の所有、社会的な背景、環境条件など)においてだけでなく、内的な特質(例えば、年齢やジェンダー、一般的な力量があるか、特別な才能があるか、病気にかかりやすいかどうか、など)においてもまた実に多様である。ある面で平等主義を主張することが、ほかの面での平等主義を拒否することになるのは、まさにこのような人間の多様性のためなのである。
このように、「何の平等か」という問いの本質的な重要性は、人間の多様性という現実に関わっている。(「全ての人間は平等に創られている」といったような)人間の同一性を前提にして(理論的もしくは現実の)不平等の考察を進めると、問題の重要な側面を見落とすことになる。人間の多様性は、(無視したり、後から導入すればいいという程度の)副次的な複雑性ではない。私たちが平等に対して関心を持つのは、この多様性が人間の基本的な側面だからである。
アマルティア・セン。アジアで初のノーベル経済学賞を受賞。
また、同書の訳者である池本幸生は、訳者解説(「現代日本の不平等についての議論とセンの不平等論―『現代文庫版訳者あとがき』にかえて―」)において、「自由」と「平等」について次のように論じています。
平等というと、「みんな同じであること」と思いがちであるが、そもそも人間は多様な特徴を持ち、多様な環境で生き、多様な生き方をしたいと思っている。そのことを無視して、「みんな同じであること」を求めれば、それは個人の自由を侵害することになる。「自由か平等か」という形で、自由が平等と対立するかのように論じられる背景には、このような平等観がある。しかし、自由に反するような平等観には問題があり、自由と平等の関係は再検討する必要がある。
このような「自由か平等か」という単純な議論をセンは本書の第一章「何の平等か」で批判する。両者は次元の違うものであり、それらを対立させて論じるのは間違った問題設定である。「自由」とは、追求すべき「価値を認めるもの」のひとつであり、「平等」はその分布を指している。「平等」は、ある思想が多くの人々に受け入れられるために必要なものであり、まともな思想には備わっているものである。「平等」に反対し「自由」を主張する人たちも、自由が多くの人に平等に与えられることを求めているのであり、この意味で平等主義者だと言える。平等はどのような思想にも備わっているとすると、本当に重要なのは「価値を認めるもの」は何かということであり、それが「何の平等か」という問題である。
(追求すべき「価値を認めるもの」は何かということについて)経済学で用いられる所得と効用のいずれにも問題があるとすると、それらに代わるものが必要となる。そこでセンは「潜在能力」という概念を提唱する。所得は手段であり、それは何かをするために用いられるものである。大事なのは、「何かをすること」の方であり、「人は何ができるのか」は、「どんな暮らしができるか」ということである。それがセンの「潜在能力」であり、それは同時に人の「自由」を表している。
「潜在能力」は、センが提示する“capability”(ケイパビリティ)の訳語(注1)であり、同書の「訳者まえがき」で下記のように解説されています。
「潜在能力」は「機能」の集合として表される。「機能」とは、人の福祉(暮らしぶりの良さ well-being)を表す様々な状態(○○であること)や行動(○○できること)を指す。例えば、「適切な栄養をとっている」「健康である」「教育を受けている」などである。センが機能に注目するのは、人の福祉を表すからである。これに対し、所得や効用や資源などは人の福祉の手段や結果を表すものであり、人の福祉そのものとの間にギャップを生じる。この点は、人間の多様性を考慮した場合に特に深刻なものとなる。センが「機能」に注目するのはこのためである。
「潜在能力」は、ある人が選択することができる「機能」の集合である。すなわち、社会の枠組みの中で、その人が持っている所得や資産で何ができるかという可能性を表すものである。ここで注意すべきは、なにができるかは社会のあり方からも影響を受けるということである。差別を受けていて、できることが限られる場合には、「潜在能力」はそれだけ小さくなる。このように「潜在能力」を用いることによって、差別などの分析が可能となる。「潜在能力」が大きいほど、価値ある選択肢が多くなり、行動の自由も広がる。「潜在能力」は、この意味で「自由」と密接に結びついた概念である。
WEFの「ジェンダーギャップ・レポート」や「地域からジェンダー平等研究会」による「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」のような調査分析は、数値化できて分かり易い指標を用いて「ジェンダー・ギャップ」の存在とその程度を明らかにすることによって「ジェンダー・ギャップの解消」に向けた取り組みを促す効果が期待できるものであると思います。
しかしながら、「その指標を平等化することがどのような帰結をもたらすのか」ということについて何ら考慮することなく、分かり易い「数値化された指標」で示される「平等」の達成を機械的に追求することによって、センが指摘する「もし、全ての人々が互いに全く同じであったならば、ある一つの変数(例えば、所得)に関する平等は他の変数(例えば、健康、福祉、幸福)に関する平等と一致し、問題は起こらない。しかし、人間の多様性から生じるひとつの帰結は、ある変数に関する平等は他の変数に関する不平等を伴いがちだ」という冷厳な事実を等閑視してしまうと、「ある特定の変数での平等を求めることが、別の変数でのより大きな不平等を招く」ことになってしまう危険性を否定することはできません。
ひとりの人が多様な価値を持っているのと同様に、社会にも多様な価値を持った人がいる。そのような多様性を尊重することは重要なことであり、決してひとつの価値を押し付けるべきではない。それぞれの価値を人として互いに尊重し合い、その上でそれらをどのように調和させ、民主的に合意に導き、良い社会を築いていくかが、センが社会的選択の分野で追究してきたことである。
「機会の平等」か「結果の平等」かという議論をセンの表現に置き換えてみると、「機会」と「結果」は、それぞれ「自由/潜在能力」と「達成された成果」である。人は、その人が持っている実現可能な選択肢(つまり、「自由」であり「潜在能力」)から、その人の価値判断に従ってその人が望ましいと判断するものを選択し、選択した結果が「達成された成果」となる。センはその選択に関しては個人の価値判断を尊重し、「達成された成果」の平等は求めない。センがしばしば言及する例は断食である。「飢えない」という選択肢はすべての人が持つべきだが、政治的宗教的な理由から断食をして「飢えること」を選択した人に食べることを強制するのはその人の自由に反している。大事なのは、「飢えない」という選択肢を持っているということであり、その選択肢を実際に選択するかどうかは、各個人に任せられるべきものである。(池本幸生「訳者解説」)
数値化されているものはあくまで「結果=達成された成果」を表すものに過ぎないのであり、「機能=自由/潜在能力」“capability”(ケイパビリティ)を評価するものではありません。その「結果」は個人の自由な選択の結果なのかもしれず、その選択はまた価値観の多様性の問題であり、そこには文化の質的な要素も影響することになります。もし「結果」としての平等性が低かったとしても、それが十分なケイパビリティの中でそれぞれが選択した結果であるとしたならば、そのこと自体を批判し、是正しようとすることが「個人の多様な価値観の否定」に相当することになる可能性があるのです。
男女問わず全ての人にとって「より望ましい社会」を実現するために、私たちに求められているのは、「数値化された指標」で示される単純な項目における「平等」を機械的に追求することではなく、人々の“capability”(ケイパビリティ)をより大きくしていくことであり、「みんな同じではない」という当たり前のこと-人間の多様性-を認識した上で、自らとは異なる他者の「存在」を否定したり拒絶したりするのではなく、お互いに尊重し合うということから始めていかなければならないのです。
(注1)“capability”(ケイパビリティ)の訳語である「潜在能力」について、池本幸生は訳者解説で「潜在能力という訳語が適切でない」「センの意味での『潜在能力』と、私たちが日常用いる潜在能力との間には大きなズレがあり、それが誤解を招く結果となっている」として「私は、潜在能力という訳語には問題があると考えており、最近では『ケイパビリティ』という言葉を使っている。それにもかかわらず、本書では『潜在能力』という訳語を用いるのは、最初の翻訳で『潜在能力』を用いたからであり、それを変更するのは大変な作業となるからである」と述べています。
(藤原昌樹)
・資料:「ジェンダーとは?」国連女性機関(UN Women)日本事務所ホームページ
https://japan.unwomen.org/ja/news-and-events/news/2018/9/definition-gender
・資料:「男女平等、日本は世界125位で過去最低 ジェンダーギャップ報告書」『朝日新聞デジタル』2023年6月21日
https://www.asahi.com/articles/ASR6P0209R6NULFA02H.html
・資料:「【ジェンダーギャップ指数2023】過去最低125位、男女格差の改善どうすれば?」『讀賣新聞オンライン』2023年6月21日
https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20230621-OYT8T50075/
・資料:「男女格差、日本は125位 過去最低、政治経済両面で深刻」『琉球新報』2023年6月21日
https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-1732618.html
・資料:「男女格差、日本は125位 過去最低、政治経済両面で深刻」『沖縄タイムス』2023年6月21日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1173515
・資料:「3月8日は国際女性デー 未だ残るジェンダー不平等の改善のために行動を」ユニセフホームページ(2023年3月8日 東京発)
https://www.unicef.or.jp/news/2023/0039.html
・資料:「あなたの地域の男女平等度合いは? 都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」
https://digital.kyodonews.jp/gender2023/
・資料:「沖縄の男女格差を全国と比べてみた 都道県版の2023年度指数を公開」『琉球新報』2023年3月8日
https://ryukyushimpo.jp/news/gendergap2023.html
・資料:「[We ACT アクト 3・8国際女性デー]男女平等 沖縄再び経済首位 23年都道府県版ジェンダー・ギャップ 政治低迷28位 教育9位」『沖縄タイムス』2023年3月8日
[We ACT アクト 3・8国際女性デー]男女平等 沖縄再び経済首位 23年都道府県版ジェンダー・ギャップ 政治低迷28位 教育9位 | 沖縄タイムス紙面掲載記事 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・資料:「あなたの街の男女格差は?『都道府県版ジェンダー・ギャップ指数』政治、行政、教育、経済の4分野で課題を分析」『沖縄タイムス』2023年3月21日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1122827
・資料:「日本、男女格差で125位 取り組み停滞、過去最低」『沖縄タイムス』2023年6月21日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1173832
・資料:「ジェンダー・ギャップ指数 足踏み日本、世界に遅れ 問われる政権の本気度」『沖縄タイムス』2023年6月22日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1174248
・資料:「日本 男女格差125位 過去最低 G7最下位 世界経済フォーラム報告」『沖縄タイムス』2023年6月22日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1174014
・資料:「『とても先進国とは言えない』日本、世界最底辺の男女格差 世界125位...特に深刻な政治分野、岸田政権の『女性活躍』は本気?」『沖縄タイムス』2023年7月6日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1182473
参考文献
・アマルティア・セン『不平等の再検討 潜在能力と自由』(岩波現代文庫)2018年
https://amzn.to/44pflz0
・池本幸生「現代日本の不平等についての議論とセンの不平等論―『現代文庫版訳者あとがき』にかえて―」(アマルティア・セン『不平等の再検討 潜在能力と自由』(岩波現代文庫)2018年所収)
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