表現者クライテリオン2024年1月号より一部公開
川端▼イスラーム教には精緻なイスラーム法の体系があって、日本の民法や刑法なんかよりも遥かに長い解釈論争の積み重ねがあると思います。その遵守をあまり強く唱えると、堅苦しい社会になったりはしないのでしょうか?
中田▼法にもいろいろなレベルのものがあって、それら全体が整合性を持たないといけないわけですが、一番下の法律だけをとれば何でもありなんですよね。たとえば日本には税法があって、厳密に守れていない人は多いですが、脱税で捕まるのはごく一部ですよね。道路交通法のスピード違反などもそうです。一つの法律ですべてが決まるわけではなくて、実際にはバランスを考えた運用がなされるということです。
川端▼たとえば「豚肉を食べてはいけない」というような決まりも、事情によりけりなのですか。
中田▼もちろんそうです。どうしても食べ物がない場合は、食べないわけにはいかない。そういう例はいくらでもあって、たとえばヒジャブ(スカーフ)を着けないことに対しても、罰則は何も決まっていません。そもそも、ヒジャブを着ける義務があるというより、ヒジャブを着けないのを指導者が容認すると、その指導者が神の命令に背くことになるという構図です。暑くてたまらないので熱中症にならないためにヒジャブを脱ぐというのは、それ自体が罪なのではありません。
川端▼指導者が、「着けなくていい」と公式にルール化するようなことはあってはならないということですか。
中田▼そうです。単に何かの事情で着けたくないというのは、本人の気持ちと状況の問題なので、間違いと言えない場合もあるのです。
川端▼欧米系の報道では、イスラーム法はとにかく厳しいというイメージで伝えられますが、誤解が多そうですね。
中田▼彼らはイスラーム法が分かっていないというより、 そもそも法律とは何かが分かっていないのです。法律とは 一種の命令ですが、有限な単語で無限の宇宙の事象のすべてを表現することはそもそもできません。言葉が不完全なものである以上、厳密に一義的な命令はそもそもしようが ありません。たとえば「あの本を持ってこい」という命令があったとして、「何秒で持ってこい」だとか、手で持ってくるのかポイッと放り投げてもよいのかといったことは分か らないし、持ってこなかったからどうなるのかも何も言っていないわけです。言葉では、すべてのことを決めることはできないのです。
神の命令も同じです。神の命令は完璧であるとつい考えてしまいますが、神自身の意志が完璧だったとしても、人間の言葉を通して「預言」を与えている時点で、人間の情報処理能力の限界から、曖昧さが一切ない完全な指示の命令 を下すことは原理的に不可能です。かなりの部分は、人間が自分で判断するしかないのです。
川端▼先生はご著書で、「イスラーム」はもともと「服従する」「帰依する」という意味だが、服従のあり方は三種類に 分けられるという話をされていたと思います。一つは、物体が自然法則に従うというもので、これも神が決めたルー ルに無自覚に従っていることになる。もう一つは、人間が 神の定めた法に則って行動するという形の服従。そして三つ目が難しいのですが、そもそも神の意志が何であるかは人間には分からないという前提で、最大限それを想像して従おうとする態度だったと思います。結局、この三番目の服従に法の本質があると考えればいいのでしょうか。
中田▼そうです。本当の法は神しか知らないもので、それに基づいて裁けるのも神だけです。なぜ裁けるのかというと、すべてを知っているからです。人間が行う裁判では、 事実については部分的な証拠しか手に入らないですし、被告人の心の中は全く分かりません。物事の善し悪しの判断についても、いろんな解釈があり得て迷うところがある。でも、神はすべてを分かっているわけです。その内容が何であるかは、最後の審判で地球も宇宙も滅びた後に分かる。これが本来の法で、イスラームの中心にあるものです。私は、法の中の法がイスラームであり、西洋の法は単なる行政命令でしかないと思っています。
ハンス・ケルゼンの議論から学んだことなのですが、ルールを守るということと、その行為の善悪は区別すべきです。皆さんがよく話題にする、イスラーム刑法がありますよね。お酒を飲んだら鞭打ちにするとか、姦通は石打ちにするとかです。この場合、姦通を犯した人間やお酒を飲んだ人間が、「悪いこと」をしたが故に罰せられるのだと思うでしょうが、実はそうではないんです。
イスラーム法の構造から言うと、お酒を飲むという行為に対する裁きと罰は、あくまで最後の審判において神によって下されるわけです。その時まで、善いか悪いかは分かりません。では鞭打ちやら石打ちやらの刑罰は何なのかと言うと、為政者が、飲酒や姦通に対してそういう罰を与えるよう神から命じられているということです。為政者がそれに背けば、彼自身が最後の審判で焼かれる可能性が高くなる。これがイスラーム法の構造です。日本の法律も似たようなもので、たとえば殺人罪というものはありますが、殺人が「悪いこと」だという判断は法律で決まるものではない。
川端▼なるほど。ケルゼン的な法実証主義の考え方に近く、法が何かを禁じているにしても、本質的な善し悪しはそれとは別の次元で考えなければならないと。法律の世界と神の世界を分けるのだとすると、イスラームも割と「政教分離」になっているように思えますね。
中田▼分離と言えば分離なのですが、政治と宗教関係については、社会の「分化」の観点から論じないといけないというのが私の立場です。「イスラームは政教一致であるのに対し、西欧は政教分離によって近代化した」とよく言われますが、そうした区別はあまりに表面的です。人間は胚細胞から手や足、心臓とかに分化していきますが、分化している以上は一応全体を一つのシステムと考えます。ここが 一番大切なことで、手と足とは違うし、脳と心臓と肺と胃腸はそれぞれ機能が違いますが、しかし相互に関連し合っ て全体として一つのシステムを為しているものであり、どこかで繋がっているわけです。
川端▼一応は区別するが、よく見れば全体が繋がっていると。
中田▼そうです。そもそも、キリスト教圏で生まれたいわゆる「政教分離」の考え方は非常に特殊で、普遍性がありません。イスラームが特殊なのではなくて、キリスト教が非常に変わっているんです。今あるキリスト教はローマ帝国 で育った宗教です。イスラーム世界、アラブ社会はかなり同質性が高かったのですが、ローマは、ヨーロッパとは全く言語も宗教も文化も違うオリエントの属州のユダヤ教に由来するキリスト教という、全く別の組織原理を持つものを取り込んでいるので、きわめて特殊なものになりました。
特に西ローマ帝国の場合、いったん滅びて官僚機構がなくなりますね。ローマ帝国という一つの世俗権力が潰れて、部族社会に戻ってしまったわけです。ただ、ローマでは最初の三百年ぐらいのあいだキリスト教が迫害されていたので、キリスト教側ではローマ帝国に対抗できるような教会組織を作っていました。教区制があって、上から官僚的に担当の聖職者を任命して派遣していた。初期のキリスト教は全財産を教会に差し出すというオウム真理教のようなことをやっていたので、お金もたくさん持っていました。そうやって、ローマ帝国中に張り巡らされた教会網を築いていたわけです。この教会網は一種の世俗権力と見なすべきで、後の時代に「政教分離」と呼ばれるのも、この二重の世俗権力の問題なんです。「精神的な権威」と「世俗的な権力」が分けられたのではなく、二つの世俗権力があったということです。
近代になるにつれて、教会ではない方のいわゆる「世俗」権力がどんどん強くなり、教育権とか徴税権とかを独占していきました。イスラームには、そもそも教会組織がないですから、そういう話は全く通用しません。
川端▼タリバンやイスラーム国の運動のエネルギーを見て も、中東はやはり西欧とは異なる社会の形に落ち着いていくのかなと思えるのですが、先生は中東の秩序のあり方についてどのようにお考えですか。
中田▼私は、「シン・ムガール主義」というものを打ち出しています。「シン・ゴジラ」から取ってきたのですが、日本 語の「シン」には「新」「真」「深」などいろいろな意味があって気に入っています。ムガール帝国というのは、じつはもともとアフガニスタンのカブールから始まっているんです。ティムール朝の末裔の人たちが始めたもので、もともとはサマルカンドという西の方にいた人々が、そこで敗れてカブールの王様になり、そこからインドに攻め入って征服し、現在のアフガニスタンからインド、パキスタン、バングラデシュのあたりまで支配するに至った大きな帝国でした。
今、パキスタンがぐちゃぐちゃになっていて、私はこのままいくと国自体が潰れるんじゃないかと思っていますが、その場合、新しく来るのはタリバンを元首にした体制ですね。
川端▼タリバンが、アフガニスタンとパキスタン、そしてインドまでをも統治するということですか。
中田▼そうですね。バラモン教も、その後身のヒンズー教も、多言語、多民族、多宗教をまとめ上げる政治原理を持っていません。インド史上、南北のインドに統一王朝を築けたのは、古代インドの仏教を庇護した前三世紀のアショカ王のマウリヤ朝と、十六世紀から十九世紀のイスラームのムガール帝国と、世俗主義西欧文明の大英帝国だけです。現在のインド共和国は、西欧流の民主主義を標榜していますが、ヒンズー至上主義の極右モディ政権を見ていると、インド共和国にインド文明圏を再統一できるとは思えません。
中央アジアはユーラシアの要ですから、タリバン政権がインド文明圏を統一しシン・ムガール帝国を樹立できれば、この帝国の力によってロシア帝国と中華帝国を抑えます。そして地中海周辺の、旧ローマ帝国の南半分のイス ラーム世界は、オスマン帝国の継承国家トルコ共和国を中心にまとまると私は見ています。このシン・オスマン帝国 とシン・ムガール帝国は実は相性が良いんですよね。少し専門的な話になりますが、シン・ムガール帝国であるタリバン政権の支持基盤は、ハナフィー法学派(デオバンディー学派)のマドラサとスーフィズムのナクシュバンディー・ムジャッディディー教団であるのに対して、シン・オスマン帝国であるエルドアン政権の支持基盤もまたハナフィー法学派のマドラサ(イマーム・ハティーブ学院)とムジャッディディー教団なのです。つまりシン・オスマン帝国とシン・ムガール帝国は、ハナフィー法学派とムジャッディディー・スーフィー教団という共通の学問修行道のネットワークの両翼なのです。
さらにいうと、欧米がアジア・アフリカを植民化した十九世紀において、イスラーム世界で独立を保っていたのは実はオスマン帝国とペルシャ帝国とアフガニスタン王国の三国だけでした。この三国は欧米帝国主義列強による植民地化を免れるために、「国体」の護持と近代化という二つの目標を達成しようと試行錯誤の改革を行った、という意味で共通しています。詳しい説明は省きますが、幕末の攘夷派と開国派の対立から明治維新を思い浮かべていただけばおおよその想像はつくかと思います。
結果的に、日本が脱亜入欧の西欧化へと大胆に舵を切った明治維新により近代化に成功したのに対して、オスマン帝国、ペルシャ帝国、アフガニスタン王国の三国は近代化に失敗しました。オスマン帝国、ペルシャ帝国は二十世紀の初めに滅亡し、西欧化による近代化を目指すことになり、アフガニスタン王国は絶対専制君主の下の近代化路線で延命しました。しかし、ハナフィー法学派ムジャッディディー教団を支柱とするスンナ派イスラーム帝国として、滅亡に至るまでオスマン帝国とアフガニスタン王国のあいだには緊密な交流があり、友好関係を保っておりました。現在もトルコには、内戦を逃れてきたアフガン難民が五〇万人ほど存在し、国民レベルでも友好関係が続いています。
川端▼なるほど。ところで前から気になっていたのですが、イスラーム教圏の中でもいろいろな民族や、それより小さな部族間の違いがありますよね。その多様性と、イスラーム世界の統一性とは、どう両立していくのでしょうか。たくさんの民族や部族があると習慣も違ってくると思うのですが、イスラーム教ではそんな細かいところまでは統一性を持たせる必要はないのでしょうか。
中田▼必要ないですね。言語はどうだっていいわけですし、習慣に関してもイスラーム教にあからさまに反しなければいいわけですから。たとえば豚肉を食べないというルールにしても、日本人だって豚肉がなければ別のものを食べるわけで、何の不便もないですよね。ちなみに、イスラーム世界では異教徒が改宗する必要もありませんし。
川端▼帝国というのは、たとえばロシアだったら皇帝がたくさんの民族の上から睨みを利かせていて、各民族は税金を納めて徴兵の義務に応じてさえいればあとは勝手にしていいよという緩やかな統合ですよね。先生がおっしゃっているシン・ムガール帝国とシン・オスマン帝国も、それに近いイメージですか。
中田▼そうですね。
川端▼もう一つ気になるのですが、オスマンとムガールの親和性が高いのだとしても、二つの帝国が並立していること自体に問題はないのでしょうか?
中田▼地政学的な境界、文明的な境界、宗教的な境界は、完全には一致しないんです。イスラーム世界は本来はすべて一つになる方がいいのですが、トルコとインドネシアとでは、イスラーム教徒が絶対多数を占める点では共通しますが、文明論的にかなり違いますよね。つまり、旧ローマ帝国の版図だった地中海周辺地域がオスマン帝国と重なるんですが、それは必ずしもウンマ(イスラーム共同体)そのものと一致はしないということです。…
(本誌に続く)
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中田考(なかた・こう)
60年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。83年、イスラーム入信。ムスリム名ハサン。東京大学文学部宗教学宗教史学科(イスラーム学専攻)卒業。カイロ大学博士(哲学)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、同志社大学神学部教授などを歴任。著書に『みんなちがって、みんなダメ 身の程を知る劇薬人生論』『宗教地政学から読み解くロシア原論』『13歳からの世界征服』『70歳からの世界征服』『私はなぜイスラーム教徒になったのか』『イスラーム入門 文明と共存を考えるための99の扉』など多数。
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