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『表現者クライテリオン2025年7月号 [特集]トランプ時代の核武装論ー「核の傘が無くなる。どうする日本?」』から特集論考をお送りします。
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藤井 本日は我々編集委員に加え、現在京都大学の助教を務められている小幡敏さんをお迎えして巻頭座談会を行いたいと思います。
最初にこの特集の趣旨を申し上げますと、これまではいわゆる「戦後レジーム」という国連を中心とする世界体制があり、九〇年代以降は中国が参画する格好でポスト冷戦構造、つまり権威主義対自由主義陣営の対立がある中で、アメリカが核の傘をヨーロッパや極東に提供することを通じて安全保障の枠組みが形成されてきました。人間の体にたとえると、世界秩序の「骨組み(スケルトン)」の役割を果たすのがまさに核の傘を含む「核戦略の構造」であって、そこに通常兵力や貿易、政治、経済、社会、などが肉付けされ、今の世界の秩序構造が形作られている格好となっています。言うまでもなく人間の骨格が変わると体躯全体の構造が全く変わってしまうわけですから、核の傘の構造が変わると世界の秩序や構造が大きく変化してしまうという事実があります。
今、トランプの大統領就任によってこのスケルトンが大きく変わろうとしています。トランプはアメリカを中心とした「西半球」は本気で守ろうとするけれども、「東半球」に対しては選択的に関わっていこうという方針であると見られます。アメリカの言う「西半球」にはヨーロッパや極東・アジアや中東は含まれず、これらの地域は「東半球」と言われます。これまでは日米安保ならびにNATOという安全保障の枠組みがあり、ヨーロッパや日本、それから韓国も含めた地域をアメリカが核の傘で守ることを前提に外交が展開されていたのですが、トランプは東半球に対する核の傘を絶対に維持するという態度を見せていないところがポイントです。その証拠に、ウクライナ戦争の終結に向けた交渉の中でウクライナ支援を実際に取りやめたことがありました。ヨーロッパはこれを非常に重いものと見なして、アメリカの核の傘がなくなる可能性を見越してアメリカ抜きの安全保障の会議をウクライナも入れる格好で行い、さらにフランスのマクロン大統領はヨーロッパにフランスの核の傘を提供するという議論を始めています。
こういった危機感は極東においては韓国でも共有されています。アメリカの核の傘がなくなると、韓国は北朝鮮の核の脅威に直接的にさらされることになるので、韓国では核武装の議論が急速に高まっていると言われています。
以上が「トランプ時代の核武装論」の基本構造です。その中で日本はどうするかということですが、日本は唯一の被爆国であるということもあり、核の議論そのものがタブー視されるところがあり、今申し上げたような内容を説明する機会が、教育の現場でもメディアの現場でも政治の場でもほとんどないというのが実情です。いわゆる「平和ボケ」の状況がずっと続いているわけですが、そういう状況が維持できたのも「アメリカの核の傘に守ってもらっている」という欺瞞に満ちた幻想が(明示化されているか否かはさておき)一定程度共有されていたからです。しかしトランプの誕生でそんな欺瞞を続けることがいよいよできなくなる状況になってきているわけです。
日本の周りには中国、ロシア、北朝鮮、そしてアメリカも含め核保有国が四つ存在するわけで、中国、ロシア、北朝鮮は仮想敵国と言える中でアメリカの核の傘がなくなった場合、日本の外交は質的に全く異なる状況になっていくことは必至です。そういう状況の中で日本はどうすべきなのかということを論じていかなければならないわけです。
以上が企画の趣旨ですが、まずは柴山さんからコメントをお願いします。
柴山 今から核を持つべきかを議論するのは遅きに失した感もあるのですが、戦後日本の何が間違っていたのかを考えるためにも、議論することの意味は大きいと思います。
核兵器や核戦略について考えるとき、「どこで実験するのか」といった技術面での問題もありますが、思想的な問題もあります。核兵器は破壊力があまりに大きい、最悪の大量破壊兵器です。広島、長崎以降は実戦で使用されていないし、プーチンも、ウクライナ戦争で相当追い詰められた局面がありましたが、核の使用には踏み切らなかった。今の核兵器には広島、長崎型の百倍を超えるものもあるようですね。戦術核と戦略核という区別もありますが、どちらにせよ都市に使われれば民間人が大量に犠牲になる。事実、広島、長崎も民間人が犠牲になっているわけで、人類がそうした兵器を簡単に使用できないというのは、当然の抑制なわけです。
そうなると「そんなに危険な兵器をなぜ持とうとするのか」という批判が出てきます。日本はそもそも、通常戦力さえ憲法の文言上は「保持しない」ということになっている。もちろん実際には保持しているわけですが、核兵器の保有となると話は別で、歴史的な経緯からも激しい反発が起きるのは避けられません。
ですが、すでに複数の国が核を保有しているという現実もある。五大国に加えてインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮と保有国は拡大していますし、日本に向けられた核ミサイルも現に存在しています。そうした現状では、日本が核という「絶対的な兵器」を保有することも倫理的に正当化しうる、という議論はありうるわけですね。周りの国が持っている以上、持たないことによって生じる大きな悪が存在するからです。核保有国の恫喝に屈せざるを得なくなってしまうとか、アメリカから「日本のために核を使わない」と示唆されるだけで震え上がってしまうことも考えられます。つまり現代世界では、核を持っていないだけで国家主権を圧倒的に制約されてしまう局面があるということです。
もう一つ、核攻撃を抑止する力を持っていないがゆえに、国として十分な外交力を発揮できないという問題もあります。そう考えると、現代においては、主権的な平等を実質的に担保するために、本来はすべての国家が核兵器を保有する権利がある、という議論が成り立つはずです。
その場合でも、核はあくまでも防衛のため、撃たれたら撃ち返す第二撃能力を確保するためのものであり、先に使うことはしないという「先制不使用」の原則は、当然の前提とすべきでしょう。
東アジアに関して言えば、日本だけでなく、韓国や台湾もまた、周辺の核大国に振り回されている現状があります。だから日本、韓国、台湾が先制不使用の原則を共有した上で、ほぼ同時に核兵器を保有し、東アジア全体で抑止の均衡を築く。その上で、お互いに核の脅威を下げていく外交交渉をしていくといったことができれば、軍事的安定を達成できる。現実にできるかと言われると絶望的に困難でしょうが、核を巡る力の非対称性をただ受け入れるのではなく、対等な主権国家として併存していく道を考えるなら、他にどんな道があるのかと思います。
藤井 ありがとうございます。では、小幡さんからもお願いします。
小幡 結論としては、極東地域で世界有数の軍事大国に囲まれている日本が自律的に生存を全うする上で、核戦力を保有することが望ましいのは理想として絶対に揺るぎません。柴山先生がおっしゃったことにほぼ同意しますが、一点付け加えるとしたら、我々日本人の通弊として、原子力兵器を「原爆」と呼ぶと汚いものとして考える一方で、「核」と言ったときにはある文脈では急にクリーンな魔法の兵器のように考えるところがあります。
現在、核兵器に対するアレルギーが徐々にではあるものの収まってきている状況で、核武装に肯定的な人は、核兵器を通常兵器に比べて非常にクリーンな兵器として捉える傾向があると思います。核のおかげで今ウクライナがやっているような汚い、血と汗と油の戦場で交わされるドロドロとした戦争をやらなくて済むからこそ、持ったほうがいいと考える節が強いということです。その考え方はまともなようですごく危険を孕んでいて、確かに核兵器を抑止力として持つことによって通常のフルコンタクトする戦争を避けられる側面はあるかもしれないですが、通常の戦争を行うだけの覚悟も能力もない、あるいは国民の準備もできていない国がいきなりそんなものを持ってしまっていいのか、ということを一番危惧しています。刃物の使い方を知らない子供に凶器を与えるようなことにはならないのか、ということです。
実際、アメリカがそもそも日本に核を持たせるのかどうかということについてはいろいろな意見があり、例えば二次政権になった今のトランプは日本の自主的な核武装を認めるのではないかと期待する人もたくさんいます。一方でトランプがなんと言おうとアメリカ政府は認めないだろうし、それは国防総省をはじめアメリカの実務を担っている人の総意だと言っている人もいます。自然に考えれば、これまで核の寡占市場におけるナンバーワンの立場を最大限利用してきたアメリカが日本に核自立を認める動機は乏しいでしょうし、私の現場からの実感としても、軍関係者を含めアメリカ当局者の日本に対する信頼は全くないと思っています。
ちょうど昨日、海兵隊と付き合いの深い方と食事したのですが、その人も「(アメリカが日本の核保有を)認めることはあり得ない」と言っていました。核の拡散を防ぎたいとか核兵器を現在の核大国の占有物にしておきたいといった意味ではなく、単純に日本をガバナンスの面から信用できず、そんな国が核を保有するのは認めたくないというのが、アメリカの安全保障に関係する人たちのほとんど統一的な印象なのではないかということです。現場レベルにいた私からしてもそれは非常に説得力のある話で、とてもじゃないですが日本の今の自衛隊の制度と能力で核兵器を運用できるとアメリカは思っていないし、自分の古巣を悪くは言いたくないですが、防衛省・自衛隊が核を持てるとは到底思えません。
では何が必要かと言うと、自衛隊をアメリカの信用に足る組織にすることはもちろん大事ですが、その前提として日本人全員がいざとなったら銃を取って戦争するという牧歌的な銃後の観念を取り戻さなければならないと思います。そうしなければ核武装の議論が地に足がついたものにはならないですし、そことの接続を失わずに議論を進めていかなければ、核の議論は根本的に国を守るという視野から離れてその時々の政争の具となり、実質を持たない恐れが強いと思います。
藤井 そうですね。石破茂という「恥辱」と言うべき存在が核のボタンを押す判断をする責任者になるということの恐ろしさがありますよね。
川端 アメリカが日本を信用していないというのは、自衛隊の運用能力が追いつかないという話でしょうか。実際に核兵器を運用するとなると、特別な訓練課程を設けたり、誰がどの機械を使う資格があるかというようなルールを山ほど作ったりと、途方もなく厳しい安全管理の努力が必要で、自衛隊の体制だと現実的に難しいという話を聞いたことがありますが。
小幡 そういう実務的な面もあるとは思うのですが、沖縄の基地移転の話が日本国内で政治的な合意が取れないせいで右往左往した経緯を見て、「日本が核戦力を運用する意思を国家として統一できない」、「政権が変われば国家の重要な決定がころころ変わってしまうような国が強大な力を持ったとしても『気ちがいに刃物』になるだろう」というのが彼らの印象なのだと思います。
藤井 核武装を反対している政党もありますから、そういう政党が政権を取ったときの不安は当然あるでしょうね。
浜崎 まず、状況論から振り返っておくと、以前「『ウクライナ』からの教訓」という特集(二〇二二年七月)を組んだ時のことを思い出します。その頃、世論はウクライナへの同情一色でしたが、「なぜ、ウクライナは攻撃されてしまったのか」という点で指摘されていたのは、主に次の二つのことでした。一つは、ヨーロッパやウクライナに工業力がないこと。そしてもう一つは、もちろん核を持っていないことです。核さえあれば、ウクライナはロシアに攻め込まれることはなかったのではないかという話は、当時、よく耳にしました。
それを踏まえて言えば、今、改めて核武装論を特集しているのは、トランプのアメリカが国際社会から退いていったとき、東アジアの中でウクライナと似ている国がいくつかあるのではないかという危惧があるからです。つまり、大国の狭間にあって、核を持たず、工業力も乏しくなっている国、その筆頭に挙げられるのは、おそらく日本でしょう。
ただ、、、続きは本誌にて…
<編集部よりお知らせ>
~『日本の真の国防4条件』出版記念~
元陸将補・軍事評論家 矢野義昭先生による新刊『日本の真の国防4条件』の刊行を記念し、特別講座を開催いたします。
本講座では、単なる技術論にとどまらず、「核武装」の是非を思想的側面からも深く問い直します。矢野先生自らが問題提起を行い、参加者とゼミ形式で議論を交わす双方向型の講座です。質疑応答の時間をたっぷり確保。直接質問し、意見交換ができる貴重な機会です。
ご参加の皆様全員に、矢野先生の著書『日本の真の国防4条件』を一冊進呈!
日時:2025年7月12日(土)14:00〜16:00(13:45開場)
会場:日本料理 三平 7階 サンホール(新宿駅徒歩5分)
会費:一般 4,000円/塾生・サポーター 3,000円
講師:矢野義昭(軍事評論家/元陸将補)
詳細・お申込みはこちら
書籍『日本の真の国防4条件』の内容紹介はこちら
7/1(火)、早稲田大学公認の保守系政治学術サークルである国策研究会の主催で、藤井聡先生の講演会が開催されます。
以下に開催概要を記します。ぜひご参加ください。(※予約優先とのことです。)
━━━━━━━開催概要 ━━━━━━━
■講師:藤井聡 (京都大学大学院教授/元内閣官房参与)
■演題:「天下布道〜国土を巡る国民国家の現象学」
■日時:7月1日(火)17:00〜18:30(開場16:
■会場:早稲田大学 小野記念講堂(東京都新宿区戸塚町1丁目103-18)
地図:https://maps.app.goo.gl/
■参加費:無料・一般公開(学生に限らず、
■予約:予約優先(当日参加も可)
↓予約フォーム↓
https://forms.gle/
※座席数に限りがございますため、「予約優先」
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