第一次大戦終結100年の記念式典で、フランス大統領のマクロンが行った演説が話題になっています。
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中でも目をひくのが、愛国心とナショナリズムが対立関係にある、としているところ。
マクロンは、ナショナリズムが愛国心への裏切りであり、「自国の利益が最優先で他国のことは気にしない」という倫理的に間違った態度だとしています。
名指しこそしていないものの、これが「米国第一主義」を掲げるトランプを意識した発言であることは間違いないでしょう。
では、ナショナリズムと区別される愛国心(パトリオティズム)とは何か。
パトリオティズムとナショナリズムの違いは、これまでも論争を呼んできました。
日本語では「愛国心」も「国民主義」も同じような意味になりますが、西欧語圏ではこの二つを区別して用いようとする傾向があります。
その場合、パトリオティズムは良い意味で、ナショナリズムは悪い意味で用いられるのが常です。
例えば、イタリアの政治学者M・ヴィローリは、パトリオティズムを「自由な政体への愛」、ナショナリズムを「文化的、民族的に同質な集団への愛」と区別しています。(『パトリオティズムとナショナリズム』)
「自由な政体」は理想的な国家のあり方と言い換えることもできるでしょう。古代ローマ以来の伝統を重んじる欧州では、共和政体を理想とする考え方が根強い。ゆえにパトリオティズムは、共和政体を守ろうとする精神ということになります。
一方、ナショナリズムは国民の文化的、政治的な統一を目指す考え方で、ときに異質な文化を排除する論理へと転化します。マクロンがパトリオティズムとナショナリズムを対立的に捉えて、前者を良い意味で、後者を悪い意味で用いる背景には、そのような事情があると言えます。
ただ、現実世界でこの二つを截然と分けるのは難しい。例えば自国が外国に支配されたとき、独立を求めて戦うのはパトリオティズムなのでしょうか、それともナショナリズムなのでしょうか。
祖国の自由を取り戻すという意味ではパトリオティズムですし、自国の独立を求めて敵を排除するという意味ではナショナリズムです。両者に大きな違いは見いだせません。
また次のような問題もあります。それはパトリオティズムが求める「理想の政体」は、いったいどこから来るのかという問題です。
例えばフランス人が共和政体を理想と考えるのは、フランスの歴史と文化に基づいてのことでしょう。理想的な国家のあり方は、文化的な真空から出てくるわけではない。
政治的理想は、その国の文化や歴史に根ざしたものとしてしか成り立ちません。一定の文化的同質性をもった「国民」の(意識的、無意識的な)同意がなければ、どんな政体も持続可能なものにはならないはずです。
そのように考えていくと、パトリオティズムとナショナリズムはすっきり分けられるものではないと分かります。両者を概念的に区別することはもちろん可能ですが、その境界線は実に微妙なものにならざるをえません。
マクロンの演説について、アメリカの政治学者ウォルター・ラッセル・ミードが批判的に論評しています。タイトルは「ナショナリズムを巡るマクロン氏の間違い」です。
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マクロンの反ナショナリズムは欧州の指導層の無意識を反映したものだ。しかし「ポストナショナル」の理想を共有できるのは一部の国の指導者だけで、世界では今も、新興国を中心にナショナリズムが燃え上がっている。
トランプは多くの点で間違えているが、ナショナリズムが今も国際政治の原動力であることだけは本能的に理解している。ナショナリズムを認めただけで安定的な国際秩序が作れるわけではない。しかし、ナショナリズムを否定したところに生まれる「官僚的な世界市民主義」は必ず反発を呼ぶので、世界が混沌化するのは避けられないだろう、というわけです。
ミードの指摘で重要なのは、ナショナリズムを否定する国際体制が、「官僚的な帝国」と背中合わせの関係にあるという点です。
反EU派の主張には優れたものと劣ったものが混在していますが、欧州の現状が巨大な官僚機構の支配になってしまっているという指摘には、かなりの説得力があるように思えます。
ナショナリズムが「自国の利益を最優先にして他国のことを気にしない」という倫理的に間違った方向に流れがちであるという指摘を受け入れるとしても、ナショナリズムを抑圧したところに生まれる国際体制が理想的なものになり得るわけではありません。現実的に言っても、持続可能とは思えない。
「理想の政体」は、国民の歴史や文化に根ざしたものでなければ力強いものになりません。同じように理想の国際体制も、それぞれの国のナショナリズムを認めたところからしか生まれないのではないか。
したがって「パトリオティズムは良いがナショナリズムは悪い」という二分法は、簡単に受け入れることができないのです。
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コメント
とても興味深く、難しいテーマをわかりやすく説明頂き感謝致します。私は、欧州在住ですが、「欧州の現状が巨大な官僚機構の支配になってしまっている」ことを嘆く、反グローバル、反「官僚的な世界市民主義」的な政党は、「右翼」のレッテルを張られてますが、もはやどの国にも存在します。仏の「国民連合」、独の「ドイツの為の選択肢、オーストリア自由党」スイスの「国民政党」等。流行病の強権的な規制や今話題になっている「パンデミック条約」などの経験から、エリート・国家に対する中間層の不信はますます強まっています。およそ3割の民衆や一握りの「買われていない知識人」は、「エリートの裏切り」にもううんざりしてます。ただ、問題は、このプロセスが、逆説的に、国家破壊の方向に動かざるを得ない、ということです。パトリオティズムでもナショナリズムでもいいのですが、国を愛する精神のために、EUに追従する現行政府が目指すNWOの否定すると、国家を否定しなければならない、というアンチノミーに陥っていることは深刻な問題だと思います。