―ようやく書類送検された「フェニックス(不死鳥)さん」―
藤原 昌樹
2024年6月28日に発生した「安和桟橋死傷事故」が新たな局面を迎えました。2026年6月5日、事故発生から2年になるのを前に沖縄県警が「重過失致死容疑」で女性活動家を書類送検したのです。
今回、書類送検された女性活動家は、『琉球新報』が「フェニックス(不死鳥)さん」と呼ばれていると紹介した人物です。当該記事では「女性が手術前に残した『骨は折れても心は折れない』の言葉に奮い立った市民が目立つ」「(彼女宛ての寄せ書きには)女性の言葉に勇気づけられた市民の新基地建設阻止の誓いがつづられている」など、抗議活動の現場において彼女が英雄視されている様子を伝えていました。
事故発生から約一年が経過した昨年8月の時点で「県警が重過失致死容疑で女性を書類送検する方針を固めた」と報じられていたにもかかわらず、一向に女性が送検される気配が見受けられなかったことから、SNS上では「沖縄県警が玉城デニー県知事に忖度しているのではないのか」などといった疑問の声が拡がっていましたが、そもそも「重過失致死容疑」で立件するハードルが高いことは否定できません。
一般に「重過失罪」に問われる事例としては、自転車でスマートフォンを見ながら運転する「ながら運転」での事故や、自動車運転処罰法の施行以前の無免許運転での事故などが挙げられますが、今回のように歩行者に「重過失」が問われるのは極めて稀なケースです。
この「安和桟橋死傷事故」では、昨年9月前半の段階で福岡高検側から「重過失致死は立件のハードルが上がる。今の状態では起訴するのは厳しい」と難色を示され、書類を修正するなど紆余曲折を経て最終的に最高検察庁から「ゴーサイン」を受け、今年初めになってようやく罪名がほぼ固まったと報じられています。
しかし、「重過失致死」での書類送検という警察の判断が、そのまま刑事裁判(起訴)に直結するという訳ではありません。今後の焦点は、検察当局(那覇地検)がどのような判断を下すか(=本当に起訴できるのか)という点になります。
当該事故における「重過失致死」の立件には、女性の抗議活動が、男性警備員の死亡という結果の「直接的な原因」であったと法廷で立証できるか(=直接的な因果関係の証明)、実際にダンプカー車輌を運転していた運転手(過失運転致死傷容疑)や交通誘導をしていた警備員(業務上過失致死容疑)の過失と比較した際、女性側の過失が「重大な犯罪」として処罰に値するレベルであると判断できるか(=過失の度合いの評価)などといった、極めて高い法的なハードルが存在するのです。
もし検察が「公判維持(裁判で有罪を勝ち取ること)は困難である」と判断し、不起訴(嫌疑不十分など)とした場合、「女性の書類送検は、反対運動に対する不当な弾圧であった」とする抗議活動家達の反撃を許してしまうシナリオすら現実味を帯びてきてしまいます。
県警が書類送検したことを受けて、玉城デニー知事は「捜査が進められると理解しており、引き続き今後の状況を注視したい」と述べて「法令をしっかりと順守して安全安心な(抗議)活動に取り組んで頂きたい」と強調し、今後の抗議活動への影響については「主催される方々が判断するのではないかと思う」との見解を示しました。
また、事故で亡くなられた男性警備員の妻が、沖縄県警を通じて「事故からもうすぐ2年が経ちます。私たち家族は、今も深い悲しみの中にいます。まじめで優しかった夫が、どうして命を落とさなければならなかったのか。事件の全ぼうが明らかになることを心から願っています」とのコメントを発表しています。
もう一方の当事者である抗議女性側は一貫して自らは「被害者」であり、「(政府が)反対運動そのものを牽制し、潰そうとしている」と主張しています。
書類送検されることになった女性活動家は、亡くなられた警備員について「彼も被害者だ。改めてお悔やみを申し上げたい」と悼む一方で、「順法闘争をしてきたのに、交通事故で轢かれた側に厳罰を求めるなんて理不尽な扱いだ。防衛局が現場の映像を見せることを拒んでいるが、真相解明が必要だ」と訴え、自身を被疑者とする捜査に「辺野古新基地建設を進める政府の意思を感じる」として「政府は事故を絶好のチャンスと捉えて沖縄の反対の民意をつぶそうとしている。絶対に負けられない」と語っています。
事故発生から一年が経った昨年6月28日に開かれた「追悼・抗議集会」では、彼女が「私は生きて帰ってきた。この命は私だけのものではない。皆さんの魂のこもった命なのだ」「二度と戦争をさせないために、一日も早く元気になって皆さんとともに現場に戻って頑張っていきたい」と宣言し、「事故は防衛局による安全性を無視し工事を急がせた危険なダンプ『2台出し』によって起こったものだ」「分断されているが、亡くなられた警備員やダンプカーの運転手もみんな国策の犠牲者だ」と訴えるメッセージが読み上げられました。
また、昨年10月8日には女性活動家がダンプカーの運転手や警備会社などを相手取り、約1,500万円の損害賠償を求める訴訟を提起しています。訴状では「運転手はダンプカーを進行させた際、女性や男性警備員に気づかず、前方注視義務や一旦停止義務を怠ったほか、誘導の警備員は女性や男性警備員を認識することができたのに、安全確認を怠り、ダンプカーに進行するよう指示した」と主張し、「現場の安全管理を顧みない、危険な車両運行指示に基づいて発生した」「背景には、沖縄防衛局による強引な工事推進方針があるといわなければならない」と訴えています。
この訴状で示されている女性活動家の言い分は、玉城デニー知事の支持母体である「オール沖縄会議」が防衛省沖縄防衛局に提出した要請書で展開していた「あくまでも事故の直接的な原因は(抗議活動をする市民の側ではなく)安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にある」とする主張と軌を一にするものです。
さらには、今年5月16日に浦添市内で開催された集会で、女性活動家の姉が「妹は被害者である」とした上で「抗議女性の日記が『フェニックス(不死鳥)日記』と呼ばれている」と紹介し、県警から事情聴取を受けた際の状況について「重傷を負っているから被害者で事情聴取を受けるかと思ったら、加害者。弁護士から『冤罪をでっちあげられる』と言われ、彼女は完全黙秘を貫いた」と振り返り、「県警とか、厚労省とか、(防衛省沖縄)防衛局とか、妹を(被害者なのに)加害者にでっちあげる動きが顕著になっている」「反対運動に対する弾圧である」との見方を示しました。
同集会では、事故当時の状況を映した防犯カメラ映像を入手し、映像の中身を報じた『産経新聞』と記者を名指しして「ブラック記者が沖縄に来て、悪いことをどんどんやっている。(防犯カメラの)映像がぼけているが、この中で『妹が警備員を殺した』というキャンペーンを張っている」と批判していたと報じられています。
しかしながら、「フェニックス(不死鳥)さん」達の主張とは裏腹に、『産経新聞』が伝えた防犯カメラ映像を見る限りでは、「牛歩」戦術という危険な抗議活動が行われていること―「フェニックス(不死鳥)さん」が警備員の制止を無視してダンプカーの前に飛び出したことが一義的な事故原因であることは火を見るよりも明らかです。
県警が書類送検したばかりであり、現時点で「法的にどのような判断が下されるのか」について予断や軽率な発言は差し控えなければなりませんが、「法的に」ということではなく、「常識(コモンセンス)」に基づいて考えれば、「『牛歩』戦術という無謀で危険な抗議活動」そのものが主たる事故原因であることに疑問の余地はありません。
抗議活動家達の「他責思考」について、評論家の篠原章氏が「反対協の人たちの認識は“すべての原因は政府にある”というものです。つまり政府が辺野古を埋め立てさえしなければ反対運動など起きなかったという理屈。彼らにとっては“政府が県民に理不尽を強いており、自分たちはそれに抗議して撤回させようとしている”という構図なのです。その過程で亡くなる方が出てしまったとしても、それは最終的に政府の責任だという発想に至るわけです」と解説しています(『週刊新潮5月7・14日号』)。
「辺野古転覆事故」を取り上げた拙稿では、「他責思考」に基づき、「当事者意識」が欠如した「ヘリ基地反対協議会」(以下、「反対協」)をはじめとする抗議活動家たちの振る舞いについて批判的に論じました。
「安和桟橋死傷事故」と「辺野古転覆事故」は、いずれも危険な抗議活動に一般人が巻き込まれたという意味で「同根」であり、当事者である抗議活動家達が、自分達の「無謀な抗議活動」が事故を引き起こした直接の原因であるという事実を捻じ曲げて「政府が沖縄の民意を無視して辺野古移設を強行に推し進めることが原因である」とする「他責思考」で自らの罪責に向き合おうとしていないことが共通しています。
「辺野古転覆事故」における「反対協」や「オール沖縄会議」など抗議活動家達の言動は、自分達が引き起こした事故で亡くなられた犠牲者の尊厳を傷つけ、そのご遺族をさらに鞭打つかのような非人道的な振る舞いであると断ぜざるを得ないものです。
武石知華さんのご遺族が情報発信(辺野古ボート転覆事故遺族メモ)を続けられていますが、抗議活動家達は読めば自らの罪の重さを認識せざるを得ないご遺族の悲痛な言葉から目を背け、読んでさえいないのではないかと思えてなりません。
「安和桟橋死傷事故」では、女性活動家を「フェニックス(不死鳥)さん」と紹介し、称賛している地元紙の報道を受けて、亡くなられた警備員のご遺族が次のようなメッセージを発信していました。
「報道やSNSでは、妨害者に非はなく、非があるのは、強引な警備なのではないかとの誹謗中傷がほとんどであり、妨害活動が問題ないことにされ、家族の死がなかったことのように扱われることに対して精神的に辛く、心を痛めていたところ、最近では妨害者を褒め称える声さえあり、さらに憤りを強く感じ、辛く許せない思いである。そして、車椅子でも抗議活動を再開するなどともあり、不死鳥フェニックスなどと褒め称えているようであります。今までで一番憤りを感じる記事でした。本当に本当に許せないですし、とても辛いです」
「フェニックス(不死鳥)さん」や彼女を支援する抗議活動家達は、このご遺族のメッセージをどのように受けとめているのでしょうか。
徐行するダンプカーの前に出ようとした自らの行動が直接の事故原因であるにもかかわらず、「自分は(加害者ではなく)被害者である」と主張し、「あくまでも事故の直接的な原因は(抗議する活動家たちの側ではなく)安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にある」として訴訟を起こすなどといった振る舞いは、亡くなられた警備員の尊厳を傷つけ、愛する家族を失ったご遺族の傷口に塩を塗るような行為であると断ぜざるを得ません。
自分達の「無謀な抗議活動」が事故を引き起こし、死傷者を出してしまったにもかかわらず、その事実と向き合うことなく自分達の罪責から目を背け、それどころか、自分達の側に「正義」があると酔いしれ、「命どぅ宝」を錦の御旗のように掲げて「平和」の大切さを語る彼らの姿は、醜悪そのものです。
かつて栄養ドリンクのコマーシャルで「反省だけなら、サルでもできる」とのキャッチコピーがありましたが、「フェニックス(不死鳥)さん」や彼女の取り巻き達、「反対協」や「オール沖縄会議」など抗議活動家達は「(サルでもできる)反省すること」さえできないということなのでしょう。
事故現場となった安和桟橋については、事故が発生する前から港湾を利用する事業者や沖縄防衛局が、沖縄県に対して「ガードレールの設置など妨害行為に対する実効性がある安全対策」を繰り返し要請し、玉城知事も把握していたにもかかわらず、県が「歩行者の横断を制限することになる」として認めず、「現場の安全対策は防衛局が行うべきである」との考えを示していたことが明らかとなっています。
県は昨年1月に(安全対策として)安和桟橋出口付近の歩道部にラバーポールを設置しましたが、防衛局は「ラバーポールでは意図的にトラックの進路上に出るなどの妨害行為を防止できず、このような対応は事故の状況や背景を無視したものである」「意味のある対策にならない」と抗議し、玉城知事宛の要請文書で「本来、(県が拒絶している)ガードレール設置は法令等に照らして実施不可能ではなく、道路管理者において直ちに実施すべき」と指摘し、「不誠実な対応に終始している」と県の姿勢を強く批判しています。
玉城知事は、定例会見(4月30日)で安和桟橋付近における安全対策について問われた際にも、「県は道路法に基づき、この道路の管理を行っている立場から歩行者の歩行(横断)を制限することはできない」と述べ、「安和桟橋の安全対策については、道路を利用する事業者においても検討がなされるべきもの」との考えを示していました。
安和桟橋の事故現場をめぐっては、玉城知事の支持母体であり、周辺で活動する抗議団体と連携する「オール沖縄会議」が2024年7月、弁護士立ち会いによる現地調査などに基づき、「現場は『車両乗入部』と呼ばれる歩道部分であり、『あくまでも歩行者の通行が優先される場所』である」とする資料を公表していました。
また同年11月には、市民団体「沖縄平和市民連絡会」が玉城知事宛に「ガードレールを設置して抗議する市民を排除しても、ダンプトラックの走行が増えれば、交通事故はさらに増加する」と指摘し、「特定の事業者・警備員が公道を封鎖し、歩行者の通行を阻止することなど許されるはずはない」としてガードレールや車止めポールなどの設置を認めないように求める要請書を提出していたことも報じられています。
県が頑なに安全対策の実施を拒否する理由として、現場が安和桟橋と国道を繋ぐ「車両乗り入れ部」であり、「道路管理者として、歩道とも車道とも言い切れない」ことから「歩行者の歩行(横断)を妨げるような安全対策はできない」ということを挙げていることは一貫しています。
しかしながら、防衛局が「法令等に照らして実施不可能ではない」と指摘しているように、県が主張する「安全対策をできない」ということ自体が疑わしく、玉城知事が「県民の安全」ではなく、自らの支援者である抗議活動家達からの「抗議活動を継続するために、安全対策を実施するな」との要請を優先したのではないかとの疑念を拭うことができません。
「安和桟橋死傷事故」で書類送検をした4日後の6月9日、県警が安全対策のため、事故現場に信号機と横断歩道を整備する方針を固めて、今年度内の設置を目指していることが報じられました。現場周辺に信号機と横断歩道が整備される見通しとなったことを受けて、玉城知事は「きちんと道路交通法も信号も守りましょうという、当たり前の状況になった」とコメントしています。
安和桟橋周辺では、この2024年6月の死傷事故以外にも衝突事故を含むトラブルが多発しており、信号機と横断歩道の整備といった安全対策が施されることになったことが喜ばしいことは、その通りです。玉城知事の「当たり前の状況になった」という言葉も、それ自体で間違っている訳ではありません。
しかしその一方で、県警が「事故現場が歩道ではなく『車道』であった」と特定し、「交通の安全対策を図り事故の再発を防止するため、信号機による交通整理が必要と判断した」ということは、玉城知事(及び沖縄県)の「現場は『あくまでも歩行者の通行が優先される場所』であり、歩行者の歩行(横断)を制限することはできない」との認識を県警が真っ向から否定したということに他なりません。
これまで一貫して主張してきた自らの認識が否定されたことについて「当たり前の状況になった」と言うだけでは余りにも言葉足らずであり、玉城県政が「当たり前ではない状況」を放置し続けてきたということについて説明責任があるのではないでしょうか。
沖縄県民の1人として、玉城知事には「これまで安全対策の実施を拒絶し続けてきたことの真意と、その認識が(県警によって)否定されたことについての自らの所感」「今後、県として(安和桟橋周辺や辺野古における)抗議活動にどのように対処し、どのような形で安全対策に取り組んでいくのか」等といったことについて、県民に向けて、より詳しく雄弁に語って頂きたいと思わずにはいられません。
前述したように、「安和桟橋死傷事故」と「辺野古転覆事故」は、いずれも危険な抗議活動に一般人が巻き込まれたという意味で「同根」であり、当事者である抗議活動家達が「他責思考」で自らの罪責に向き合おうとしていないことが共通しています。それに加えて、もう一つの共通点として、玉城知事が事故に関する「不都合な真実」を直視しようとしていないという点を挙げることができます。
「安和桟橋死傷事故」で『産経新聞』が防犯カメラ映像を公開した当時、玉城知事は「映像が(報道機関に)提供されたことは由々しき問題だ」との認識を示して「捜査中の証拠になり得るものは、報道を差し控えるべきではないか」と批判し、玉城知事と「オール沖縄」会派の議員たちは「映像の出所や内容も曖昧だ」と反発し、映像を視ることを頑なに拒否し続けてきました。
県警の書類送検を契機に地元紙も当該映像に言及するようになっていますが、改めて「当該映像を伝えた報道」について問われた玉城知事は「オープンにすることが良いかどうかというのは、まだこういう判断はない」として是非の判断を示さず、「映像は捜査資料で、本来公表できないはずだ。公表できない映像を見てもコメントはできない。捜査の推移を見守る立場が県知事としての向き合い方だ」と持論を述べて、知事自らが映像を閲覧することについては否定的な見解を示しています。
「辺野古転覆事故」において、ご遺族が5月31日に更新した「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」で「もし沖縄県が辺野古への基地移設問題を高校生向けの平和教育の題材とするならば、玉城デニー知事としては、どのような取り上げ方とコース設計を推奨するか、参考までに教えて頂きたい」と問いかけました。
玉城知事はこのご遺族からの公開質問について、6月2日の記者団の取材に対して「見てはいないけども、そういうようなお話がある、質問があるとは聞いている」と述べ、記者が「note(ノート)」の文章を読み上げた上で改めて見解を問うと「この内容がいいとか、この内容が良くないという表現は控えたいが、幅広く子供たちが学び、考え、いろいろと話し合いをしながら、教育の本質的な部分をしっかりと自分たちで学ぶことができる、そういうプログラムを検討されるのが望ましい」と語りました。
この玉城知事の「(ご遺族のnoteを)見てはいない」との発言についてSNS上で非難の声が拡がり、玉城知事は6月8日に記者団の取材に応じて「週末の台風情報や災害対策以外の報道情報は届いていなかった」として「(記者に)読み上げられた文章の内容は、そのあとすぐ確認した」と釈明し、2日の発言については「(noteを)見ないとか、見ようと思ってないという意味で発言したことではない。それは訂正させてほしい」と強調しました。
改めて「noteを読んでどう思ったのか」と問われて、「沖縄の平和教育については、いろいろな観点から学生たちが、自分で見て聞いて考えて、みんなで話し合うという、教育の根幹に沿ったプログラムがあってしかるべきではないか」との見解を示し、ご遺族のnoteについて「本当にご遺族のおっしゃる通りだ」と述べています。
また、6月11日の定例会見においても、「平和教育」について「県知事の立場で教育について申し上げるのはなかなか難しい」としながらも「ご遺族の方も例示しているように、様々な現状を学ぶ機会は設けられるべきだと思う」と言及し、「子ども達が実際に現場を見て、話を聞き、お互いに話し合いながら考えを深めていく環境づくりについては、県としてもしっかり協力していきたい」と述べていました。
しかしながら、「玉城知事の言葉は明らかに矛盾しており、ご遺族からの問いかけに真摯に答えようとしていない」と指摘せざるを得ません。
ご遺族はnoteで、同志社国際高校の「沖縄研修旅行」(=沖縄で提供された平和学習)において「かろうじて多角的な視点が提供されていた、過去に実施されていた普天間高校の生徒との交流プログラムが縮小され…基地反対とは異なる視点を生徒に提供しない内容に変遷したことは確かだ」と指摘し、文部科学省が同志社国際高校の「沖縄研修旅行」における「辺野古移設工事に関する学習」が教育基本法第14条第2項に反するとしたことについて肯定的に評価しています。
他方、玉城知事は、出馬会見(4月25日)で「沖縄の平和教育」について「『偏向的な平和教育』という言葉が独り歩きしている」との懸念を示した上で、「沖縄の平和教育は決してそういう偏向的なものではない」と強調していました。
また、「同志社国際高校の学習内容が政治的中立性を定めた教育基本法に違反する」とした文部科学省の判断が示されたことを受けて「踏み込み過ぎた」と批判し、「沖縄県における平和教育全般が偏向しているというようなことはない」と改めて強調しています。
このように、ご遺族と玉城知事との間で「沖縄の平和教育」と「文科省の同志社国際高校の学習内容に対する判断」に関する見解は明らかに異なっており、その相違について何ら言及することなく「ご遺族のおっしゃる通りだ」と回答して済ませようとすることは、「ご遺族の問いかけの意味を理解していない」か「問いかけに対して真面目に向き合うつもりがない」のいずれかであると断ぜざるを得ないように思えます。
また、ご遺族は「もし沖縄県が辺野古への基地移設問題を高校生向けの平和教育の題材とするとした場合に、どのような教育プログラムを推奨するのか」という具体的な内容について問いかけているのに対して、「いろいろな観点から学生たちが、自分で見て聞いて考えて、みんなで話し合うという、教育の根幹に沿ったプログラムがあってしかるべき」という抽象的な理念(目標)を答えるのは、「問いかけの意味を理解していないか、まともに答えるつもりがない」と解釈せざるを得ません。
玉城知事がご遺族からの問いかけに真摯に向き合い、誠実に回答するためには、自らの支持層の中核である抗議活動家達(=“お仲間”)を厳しく非難せざるを得ないことから、あえて論点をずらし、曖昧な回答に終始しているように思えます。
「安和桟橋死傷事故」と「辺野古転覆事故」における玉城知事の言動は、玉城知事自身と“お仲間”達にとって「不都合な真実」から必死に目を背けようとしていると言われても致し方ない振る舞いであるように思えてなりません。
「不都合な真実」から目を背け続けていては、沖縄県のリーダーたる知事の職責を十全に果たせるはずがありません。
沖縄県民の1人として、沖縄県知事の立場にいる人物には、自らに課せられた重責を理解し、たとえ自分にとって「不都合な真実」であったとしても、そこから逃げることなく真摯に対峙する意志を持って頂きたいと切に願います。
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