クライテリオン・サポーターズ(年間購読)最大6,000円OFF

学習指導要領は日本の危機を救えるか

清水一雄(58歳・高校教諭・埼玉県)

 

 1月号のテーマは反転の年2022年―023年であるが、どの記事も頷けるものであった。しかし反転攻勢が実を結ぶには、相当の時間が必要であることは明らかだ。変化を期待するのであれば少なくとも10年単位で見守る必要があろう。つまり次の世代にわたって反転攻勢をかけ続ける覚悟が求められる。そう思うと改めて「教育」の果たす役割の大きさに気づかされるが、現状はどうだろうか。

 いま日本において、「教育」が迷走し続けていることは、2021年7月号の拙稿でお示しした通りである。その迷走は、今年度から小中高で完全実施された「新学習指導要領」の迷走とつながっている。

 「学習指導要領」は学校における学習内容を規定するものであり、その影響は入学試験にまで及ぶ。これは学校教育においては絶対に正しいもの、疑ってはいけないものとなっている。ここに記載された内容をいかに実施するかが学校に課された最大の使命となっているのが現実だ。このとてつもない影響力をもっと国民は知るべきだろう。

 「学習指導要領」は1961年から実施され、およそ10年ごとに改定が行われてきた。このおよそ60年間の流れを見ると、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の間を揺れ動いてきたことがわかる。

 教育内容の規準を明確にするという趣旨でスタートした「学習指導要領」であるが、1971年の改定では「学習内容の高度化」つまり「詰め込み教育」がテーマとなり、小学校の算数に大学レベルの集合などが導入された。すると「新幹線教育」という言葉が生まれ、授業についていけない生徒が続出した。

 1980年の改定では「ゆとりある学校生活」が掲げられ、授業時間、内容の削減が進んだ。いわゆる「ゆとり教育」の始まりである。

 1992年からは「関心・意欲・態度」を重視するいわゆる「新学力観」という言葉が流行し、学校週5日制が開始された。授業時間数の削減を伴い「ゆとり教育」が定着した。「ゆとり教育世代」はこの時の教育を受けた世代のことである。

 ところが2003年の国際学習到達度調査(PISA)の成績順位の下落により「ゆとり教育からの転換」がにわかに言われ始めた。そして2011年からの改定では「脱ゆとり」をキーワードに「詰め込み教育」に再び舵が切られた。そしてこの10年間に、小中学校では国語、算数(数学)の授業時間の増加、道徳の教科化が急速に進められた。

 今回の「新学習指導要領」では、内容は削減されるどころか増加し、小学校において外国語、プログラミング教育が導入された。その一方で「主体的・対話的で深い学び」という曖昧なスローガンが掲げられ、高校においても「発表」や「論文作成」などいわゆる「探究」と称する「ゆとり教育」が推奨され、現場は混乱している。

 そして忘れてはならないのは、この「新学習指導要領」の中身は、2017年から2018年にかけて「周知・徹底」という名目で学校に示されており、コロナの感染拡大以前の社会状況が前提となっている点である。

 学校はコロナ対策という難問を抱えたまま、それを前提としない「新学習指導要領」を実行に移さねばならない状況にあるのだ。

 この状況に耐えきれず、小学校長会が時間数削減の異例の要望を出したのだ。そして次の改定では「ゆとり批判の再燃」を避けながらどのように「ゆとり教育」に舵を切るかが文科省の最大の関心事となっているようである。そこにはもはや日本の衰退を食い止めるべく、次世代の育成の問題意識のかけらも見えない。

 その時の流行と気分で作り上げた「学習指導要領」を現場に押し付け、それを無批判に追従するだけの学校の状況が変わらなければ、日本の教育そのものが衰退し、反転攻勢を次世代に期待すること自体が虚しいものになってしまう、というのが私の率直な感想である。