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カタカタとキーボードを打ちながら、型について考えながら、境を考えた

川北貴明(32歳・芸術家・大阪府)

 

 今年も新年を迎えた。今年こそはおみくじで吉以上を引きたい。その運勢や初詣や新年の挨拶、おせちの具材などそこにはある程度の型がある。モデルの写真写りやアイドルの受け答えや髪型、化粧、SNS運用にもそれは存在する。型が重要であることは、わざわざ『風姿花伝』を引かずとも人口に膾炙している。モダンでモデルの時代ならば当然だ。

 

 しかし最近は型を破壊する/消し去る風潮がある。一昔前のX JAPAN系総理大臣の「ぶっ壊す」は、決して過去の流行ではない。その破壊/消去はレス(less)で表現されている。代表的なものとして、コロナ禍前に必死に叫ばれていたボーダーレス、昨今絶叫されているジェンダーレスがそうである。しかし本当に消し去ってよいのかという吟味や、概念そのものへの懐疑は、消し去ってよいのだろうか。

 

 もちろん型が重要だからといって、型に固執するのはよろしくない。「守破離」とはそうである。挨拶が目的となってしまう「あいさつしろおじさん」にならないことが大事である。大切なのはそのような内容軽視の形式主義と、土台無き型なしの間の平衡をとることである。徹底と怠惰、固執と破壊などの極端で安直で過多・過少なものを避けてその間で思考し実践する姿勢が、保守思想を規準に生きることだ。西部邁は『保守の真髄』で平衡を、「矛盾せる両方向への姿勢をそれぞれ最高度に保ちつつ、その間に生じる緊張を巧みに乗り越えていく」ことと述べている。努力せず「型ガチガチ」や「型ゆるゆる」に安住するのは平衡感覚の喪失ないし平衡の諦めの現れである。

 

 この型なし傾向に見られる「境界消滅」の流行を抑えるのも、当然保守の役目の一つである。まさか規制をドリルで破壊したり、伝統芸能を無用の長物扱いしたり、男女の垣根を無くそうとしたり、「トモダチ」だと言って日本を米国化しようとする保守はいないはずである。

 

 要するに、境界が大切なのである。いわゆる「遊び」が大事である。遊びとは余裕、ゆとりである。さらに重要なのは「境界」自体が堅牢でも華奢でも駄目なのだ。私はそれを「あるけれどないしないけれどある、霞のような空間」と表現している。国境も男女も新旧も、あるけどないし、ないけどあるのだ。見る距離によって変化するだけである。平衡感覚ですらも階調的なのである。

 

 余談ではあるが人同士の距離もゆとりが大事である。コロナ禍において多くの日本人は、密接と隔絶の間の平衡感覚の大切さに気付いた、と私はそう思いたい。ベタベタするのも孤立するのも、満員電車だけにもリモートワークだけにも懐疑する。もし「新しい生活様式」なるものを本気で考えているならば、まず境界について考えてみるのが吉である。「マスクしろおじさん」もようやく変わる潮時である。

 

 2023年はうさぎ年だ。私も一匹のうさぎのように跳ねて……と、「うさぎは一羽と数えるべきだ」と思ったあなた。ガチガチにはお気をつけて。